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どんな大人になりたいのか

成熟とは何か、よく考える。
ミドルも後半、社会人人生の終わりも視野に入ってきているから。

わたしは故・小澤征爾さんのように、自分が磨いてきた力を後進へおしみなく伝えていく人でありたい。

一方で、力を振りかざして下を振り回し、継承を拒む人を身近で目にする。
理由を言わず「考えた末の結論だからついてこい」と言われても貢献意欲は湧かない。「良い仕事だから」と煽られても、コマのように使われると虚しくなる。
そういう人は、老年・若年を問わず一定層いる。

周囲を見ていると、内面って若い時とそんなに変わらない気がする。元々が誠実なら問題ないが、無駄に威圧感だけ得た幼い年寄りは目も当てられない。

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成熟とは諦念、達観だ。ある哲学者は「幸福は絶望の上に成り立つ」と語る。
ただ、期待を捨てることで人を粗雑に扱う人間にはなりたくない。「あいつは使えない」とかいう人は根本的に傲慢で視野狭窄だ。

その上で、わたしは愛情を持って生きたい。
基本的に一番興味があるのは「人間」だ。
心理学や脳科学、哲学・美学、宗教学などから人の心のパターン、心身や土地との相関などを深く知りたい。

時に人が怖いと思うこともあるが、色々な場面を観察する中で、内面の矛盾を発見するのが一番楽しい。
複雑で多様な面をはらむ人は面白いし、ほとんどの人間は一筋縄でいかないと思っている。

観察眼を磨き、人というものを知り、そのさまざまな面に愛情を持って接する。
それは自分にとって簡単なことではない。
相手を無償の愛で包み込むのは難しい。わたしはまだ期待や怒りに囚われているのだと思う。達観への道のりは険しい。

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なりたい自分になるためには、成熟への道(俯瞰とクールをはらんだ視点)と、愛情をどうバランスするのかが課題だ。

わたしは比較的熱くるしい人間なため、それが原因で転ぶことが多い。頭を冷やすのに必要なのは知性だと思う。

解決の一歩目としては、俯瞰目線を常に意識することが大切と推測する。今まで足りなかった部分だ。謙虚さを保つためにも。

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理想のわたしは、穏やかで謙虚で知性を携え、自分も周りも大切にしながら社会に貢献し、心の奥底に秘密の庭園を持つ人だ。
実際はコミュ鬼のうるささを持ち、ちょっと何かを得たり学んだりしたらすぐ調子に乗る人間。貢献できても調子に乗るしな。秘密の庭園はちょっとあるが。

理想と現実の落とし所を探していくのが今後の課題だ。
まず己を大事にし、そして周りへ波及する流れを作りたい。

まあ気づいた時が始まりです。
ミッドクライシスも後半ですが、楽しみながら進みます。

サポートいただけたら泣いて喜び、創作活動に活用します。