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与えられなかったもの

少し前に話題になった発言。

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なかでも重みある発言を引用する。

「当たり前に全部与えられちゃったものより、すごく欲しかったのに手に入らなかったもの、与えられなかったものの方が私を豊かにしてくれたんだなって今は思えます」と成長につながったことを振り返った。

欠落は人を苦しめる一方で人格形成の大きな軸・支えとなる。
正負の全てを受け入れて生きる創作者としてのあり方に心底胸打たれた。

自分もたくさん欠落がある。
どうしても欲しかったけど手に入れられなかったものについて考える。

子どもの時もっとこうだったら、今ももっとこうなら、と思うこともある。
基本的には心理的安全性や、愛情のすれ違いがあって、いろいろな苦労が生じた。今もそうだ。

プライドや妬みが邪魔したり、根性がなかったり、心理的安全性を得られずに縮こまったりした。

そして逃げたこと、怠惰や弱さがいまの生き様に繋がってるんだな。かなしい。
自分の弱さや情けなさ、目測の甘さなんかが思い浮かぶ。

ひとが完全にわかりあえることはない。
思いやりも幻想だ。

激情、嫉妬、悔しさ、絶望、逃亡、諦念などの心の動きを経て生きてきたことが、今の私を私たらしめていることは事実だ。

それが豊かだったと思ったことがなかったので、宇多田ヒカルの考え方にハッとした。
豊かなんだ。経験を宝とした場合は。

自分を尊重して受け止めること。
妙な自信を持つこともなく、
かと言って卑下することもなく。

それを豊かと捉える芸術的感性を養って生きていきたい。いや、生きる。

………
最近は公私の公が激動、私の方は寂しすぎて凪。
暑くなるし、お散歩とかして帰りに美味しいものを食べたりして楽しくやる。


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