17.「わたしが女じゃなかったら、あなたはわたしを好きにならないんでしょう」

今、わたしには、大切な恋人がいる。
こう7年も東京にいれば年齢だけじゃなくて価値観も結構変わった。
とくに、「恋愛」とか「性」に関しては壁をちゃんと乗り越えられたと思う。
上京する前は「人と付き合うなんて無理」って思ってたんですよね。
中学生でも高校生でも「できる子は普通にできている恋愛」が20歳を超えてもまるでできなかった。
好きな人ができても、いざ付き合うとなると気持ち悪くなってしまうとかが普通にあった。
これが俗にいう「蛙化現象」というものなのだということは、この現象を克服した頃から、約5年後の今知った。
もうちょっと早くしれたら、もう少し早く楽になれたのだろうか。
当時は、自分でも克服する術が分からなくて、なんかもう一生このままなのかなって結構真剣に悩んでいた。
好きになった相手といざ付き合うとなると気持ち悪く感じる理由は、同じ「蛙化現象」でも人によって違うのだとは思う。
わたしの場合は、男性から向けられる好意は、わたしが「女性である」からこそ向けられるものでしかないと考えていたというのが原因だった。
女性の「性」そのものだったり単に女性としての「容姿」だったり。
そんなの全然「わたし」じゃない。
この「女性である」という事実がもし仮になかったら見向きもしないんでしょ、と。
まあ、女性を恋愛対象としてみるタイプの男性からすれば当たり前のことなのかもしれないけど、わたしにとってはすごく気持ちの悪いことで仕方がなかった。
わたしが「わたし」だと思っているわたしには、全然男性が想像するような「女性らしさ」はないから、実際の姿を知ったらどうせ幻滅するんでしょって思ってた。
がっかりされて傷つくのが嫌でプライドも高くて。
わたしなりの自己防衛本能だった。
それに、一番はやっぱり「性」の対象でしか見られないのなら、わたしである必要がないじゃん、わたしが消費される必要なんてないじゃん。って思ってた。
「女」という枠組みの中でなんとなく「女」として選ばれたのであれば、わたしじゃなくてもいいじゃんって。
これもプライドですね。「消費されてたまるか」って思ってた。
だから当然といえば当然なんだけど、誰かと交際しても長続きしないし急に「無理」って思ってLINEで別れを切り出してすぐブロックしてサヨナラ〜なんて余裕でやってたわけで。
相手にとっても「女」であればいい中の1人というポジションにわたしがいるのなら、わたしだって「男」として誰でもいい「男」ならすぐに切り捨てても構わないでしょ、と。
今はもちろんそうは思わない。
本当に信頼できる、好きな人と付き合う以外に興味がないし、真実の「愛」は求めているけど、同時に逆に開き直ってもいる。
恋愛には運命なんてなくて、そのときタイミングよく出会ってフィーリングが合った人と付き合うものだって分かっているから。
これは相手を大切にしないという意味ではないし、わたしは恋人のことを大切に思っている。
でも、結局わたしたち男女には「代わりがきかない」なんてことはないのだ。
代わりがきくなかで、「相手をかえない」選択をしている。
気楽に、でも誠実に恋愛をしていくのが幸せへの道なんじゃないかなと思う。
本当に不誠実で最低なやつだったわたしも、20代半ばになり、今は割と順調に恋愛をしている……と思う。
最も、「消費されてたまるか」っていう気持ちの大元は「自分なんかが愛されるわけがない」という自己肯定感の低さが原因だったと思う。
人に愛されるという感覚がまるで分からなかった。わたしには両親以外に「自分が特別な存在」であると実感できるような関わりを持った人がいたことがなかったから。
中学生・高校生時代は友達がいたけど「親友」はいなかった。
友達のことはみんなそれなりに大好きだったけど、自分にとっても友達にとっても、お互いに複数の中の1人として関わっていた。
ありがたいことに、両親だけはどんな自分でも愛してくれているという実感があった。
だから尚更、「不特定の女」の中の1人として自分が消費されることは「男」とか「女」とか関係なく「1人の人間」として愛してくれた両親への後ろめたさにも繋がっていたと思う。
そんなわたしの「蛙化現象」の終止符を打ったのは、とある男性との交際だった。
その人とは、約2年付き合って別れたのだが、なぜこんな「付き合うと気持ちが悪くなる」ようなわたしが2年も交際をできたのかというと、単純だと言われるかもしれないが、当時の恋人がストレートに「言葉」でわたしに愛をくれたからだった。
何事に関してもそうだとは思うが、「言葉」はすごく大切である。
どんなにまとまりのないぐちゃぐちゃの気持ちでも「言葉」に出して相手に伝えるということは大切だ、一生懸命で真摯な言葉であればあるほど言われた相手の心には刺さる。
ストレートな言葉をくれたから、わたしはその人と交際を決めたし、長く交際を続けられた。
わたしは、個人的にだけど今の恋人に対して過去の恋人を心に残しておいたり、褒めたりするのは不誠実だと思っている。
自分の恋人がそうだったらすごく悲しいから。
だから、この「蛙化現象」を克服するきっかけとなった恋人に向き合っていた自分は肯定するけど、当時の恋人に関しては「愛情」なんかこれっぽっちもないということをきちんと表明しておく。
恋愛は「上書き保存」していきたい。
「最低だな」って思う人もいると思う。でも、別にいい。わたしの恋愛観はこうっていうだけだから。
とにかく、タイトルにつけた「わたしが女じゃなかったら、あなたは私を好きにならないんでしょう」っていうのは、別に今でも思うことではあるが、だからと言って「恋愛したくない」「恋人を信用できない」、「消費なんてされてたまるか」とは、今は思わない。
「消費しようとしてくる人」と「わたしを見てくれる人」の区別はもうつくから。
今、もし過去のわたしのように、わたしと同じ原因で「蛙化現象」について悩んでいる人がいるなら、まだあなたをあなたとして愛してくれる人とか、充分に気持ちを言葉に出してくれる人に出会っていないだけだと思う。
ゆっくりゆっくり進んでいけば、いつかは克服もできるはずだから、今はあなたが幸せになる色々なことを楽しんでいればいいと思う。


もし、めちゃくちゃ悩んで仕方なくなったら、わたしのツイッターでもインスタでも、メッセージ送って。そしたら、きちんとここで大切にお返事するね。


ユチャマイルド



※途中から表記が「男性」→「男」、「女性」→「女」になっており、申し訳ございません。今のところ、あえてこのようにしてあります。

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