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旦那さんと見る桜はとても切ない。

本当に夜の散歩程度で旦那さんと桜を見に行った。

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旦那さんとの記念日が3月だから
桜を見るといつも付き合いたての頃を思い出す。

旦那さんの彼女になる前、ただの好きな人だった時に見た桜、彼女になってから見た桜、妻になってから見た桜…。

私は気付けばもうここ数年、旦那さん以外の人と桜を見ていない。桜を見る時は必ず隣に彼がいるし、彼が撮る桜の写真には必ず私が映っている。

でもだから、毎年ね、旦那さんと桜を見ると「来年も一緒に見れたらいいなぁ」って、すごく切なくなるんだよね。
この先も桜を見る時には旦那さんが居てくれたらうれしいけど、未来のことは誰にもわからないからさ、いつか旦那さんと別れるようなことがあったら旦那さんと見る桜はその年が最後だし、いつか他の人と桜を見ることがあったら、それはそれですごく切ないなぁ、儚いなぁ、って思って。

悲しい意味以外でも、今は予定はないけど、いつか子作りをすることになって、子どもが無事にできたとして、桜を見るのが3人になったとしても。それも二人で見る桜って、あと何回何だろう…と考えるとね、すごーく切ない。家族が増えたら増えたで、旦那さんと二人で見る桜って、そういう機会は減るだろうからさ。
旦那さんと見る桜は基本的に一年に一回しかチャンスがないし、何回花見をしたとしても、旦那さんと2人で見る桜の最終回がいつかわからないからなんとも言えない儚い気持ちになってしまう。

だからね、夫婦になってから旦那さんと桜を見る度に何だか切なくてたまらなくなる。

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いつも私はが桜をまじまじ見ているところを知らない間に写真を撮ってくれていて、自分でそんな写真を見ても何だかね、めちゃくちゃね、切なくなるよ。

私にってそのくらい桜の思い出が旦那さんで溢れていて、桜を見れば独身時代のみんなで楽しくお花見をしたそういう記憶もふわっと温かく思い出すけど、何だかそれ以上に「桜=旦那さん」の思い出が強すぎて、春の風のやさしさも、川に反射する桜もなんだかこの気持ちを演出している全てに見えてしまう程、切なかった。

というか、毎年、切なさが増している!!
切なさが愛情深さと比例してる!!

でもね、今年も一緒に桜を見れて、よかったなぁ。2人とも健康で生きていてうれしいなぁ。来年も夫婦ともに健康で、毎年のごとく一緒に手を繋いで桜を観に来れたらいいなぁ。来年もそうであって欲しいなぁ、とも強く思うの。

そんな願いも、恒例になっていて、年数を重ねる程に切なく感じる春の夜だった。
今日見た桜も、きっと覚えてる。

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