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保健師出身の放送作家として。

急激に保健師関連の発信が増えた、ここ1~2か月。「何があった?!」「よく分からんけどいきなり保健師ぶり出してうざい!」等と思われている方もいるかと思い、そうでなくても今一度、自分のいま考えていることを整理したい思いもあり、ここ1~2か月の出来事とそれによって考えたことを、この記事でまとめてみたいと思います。

きっかけは映画制作

そもそも、私が保健師としてのキャリアについて改めて考えるようになったのは、保健師業務に関わり深いテーマの映画制作に携わることになったのがキッカケでした。日頃からお世話になっている、ジャーナリストの堀潤さんが監督を務める映画で、「医療保護入院は必要か?(基本的人権の侵害ではないか?)」という議論を、実際にいま行われている裁判を軸に考える、ドキュメンタリー映画です。別の現場で医療保護入院の話をしていた時に、前職で実際にケース対応をしていたと話したところ、声をかけていただきました。

正直その時の私の気持ちとしては、すごく興味があるし、ぜひ参加したいと思う一方で、正職員としては2年しか現場を経験していないことや、行政としての精神保健の現場には7年のブランクがあることから、おそらく私に求められるのは、保健師としての経験に基づく視点や意見だろうけど、それに答えられるかどうか?私のあいまいな記憶や古い知識を伝えることが、テーマ検証のノイズになりえないか?という不安が同じぐらいありました。また、調査が進む過程で、自分が過去信じてやってきたことや、一緒に働いてきた先輩方のことを否定することになる可能性があると思い、怖く感じる気持ちもありました。

じゃあなぜ「やります!」と言ったのか。それはもはや覚えていないけど、おそらく好奇心が勝った(笑)その代わり、やるとなったらしっかり期待に応えたいし、「知りたい!けど怖い!」という考えがよぎるからこそ、“期待に応える=ただ協力する”ではなく、保健師としての知識や視点を少しでも取り戻した上で、自分としての意見を発信していく形で関わりたいと考えるようになりました。

専門職の友達との会話で記憶を掘り起こす

そこでまず始めたのが、正職員時代に一緒に働いていた仲間や、学生時代の同級生など、いまも現役で働いている、かつ今でも頻繁に連絡を取り合う友達に、雑談としてその話題を出してみる。話の中で記憶を掘り起こす。そしてあわよくば、取材の承諾を得る!ということでした。

私はプライベートで仕事の話をそんなにするタイプではないので、正職員時代も含めて、友だちとこのようなテーマについて話したことはありませんでした。でもこの機会に初めてそういう時間を持って、長年付き合ってきた友達の新しい一面を見たというか、すごく新鮮で、たまにはこういうのもいいなと、その時間自体を楽しむことができました。そして更に意外なことに、取材の承諾はさすがにハードルが高いのでは?と思っていたところを、友達たちは快く引き受けてくれて、取材対象によさそうな人を紹介までしてくれたこともありました。現役で活躍する友達たちにとっても、こんな風に自分の専門領域の“そもそも”という価値観について、じっくり考え話す機会はそれほどないようで、「楽しかった」と言ってもらえたのは嬉しかったです。

私は割と取材に対してネガティブというか、取材者としては、いろんな人の話を聞くのは大好きなのだけど、取材を受ける側のことを考えると、例えば、この世の中に全知全能の人なんていなくて、みんな、今自分の知りうる情報の中で考えて意見を言うのに、だから後になって、「うわ~あの時は知らなかったからこんなこと言ったけど…」みたいなことが誰にでも起こりうるのに、そういう背景があって配慮が行き届かなかった意見に対しても、世間はそんなに優しくないし。一度情報を発信してしまえば、どこで誰が見ているか分からない。過去の発信は消せない。そんなことを想像すると、それを生業としている人はいいとして、一般人として出てくれる人に対しては、余計に心配になってしまったりするんです。私自身が取材を受ける時もそうです。

だからこそ、今回の友達たちの反応はとても嬉しく、私は、日々真摯に現場で活動する人たち、自分がその姿勢を見てきた人たち、取材を受けてくれた人たちのことをしっかり伝えなければいけないと強く思って、また更に、この件に向き合う姿勢が変わって行きました。展開によっては、映画制作の過程で、医療福祉業務に関わる法律改正を訴える可能性もあったので、なおさら、現場の人たちが困ってしまうような展開にだけはさせないと、そんな思いがありました。

保健師的な発信をしたらコミュニティが広がった

取材を通して見えてきたことは、取材対象の方が話してくれたこと以外にもありました。それは、自分が保健師時代に抱いていた感情です。直接言葉にしなくても、ちょっとした言葉遣いや言い回しで、考え方が分かることもあり、そこにある程度、業界としての傾向があったり。そういうものを、久しぶりに福祉の業界の人たちと話す中で感じ取って、思い出したのです。中には、医療福祉の業界を離れてお笑いのフィールドを経た今だからこそ、気づけたと思うこともありました。今はそれが何だと言う所までは分からないけれど、いつか何かのヒントになるような気がして、書き留めておきたいと、note記事にまとめました。

Xにポストすると、それが想像以上に広く拡散されることになりました。私のフォロワー数にしては、かなりの数フォロワーが増えて、それもほとんどが保健師でした。保健師的な感覚を取り戻したい、取材を受けてくれる人を探したい私にとって、これはものすごいチャンスなのでは?!と思い、続けて、「興味を持ってくださった方、ぜひお話したいです!」と、空に向かってポストしたところ、何名かが声をかけてくださり、さらに1歩、保健師のコミュニティに入って行くことになりました。

“保健師” の多様さに衝撃

知り合った方からまた更に人を紹介してもらい、更に更に…ということをしていく中で私は、これまで想像もしなかったレベルの、多様な保健師の方々と出会いました。正直これまでは、保健師の働き方として、行政保健師・産業保健師・学校保健ぐらいのことしか想像ができていなかったのが、その中にもものすごくいろんな働き方があり、いろんな形で “保健師” の視点や価値を表現している人がいること。割とすごい発見でした。

多様だからこそ、“保健師” とは何なのか、考えさせられたところもありました。保健師と言えば、保健所で働いている人。保健所で扱うような、母子保健や精神保健の業務に今まさに精通している人。そのベースがあってこその保健師。というような意識があったけど、そんな限定的なものでは実はなくて、私がただ知らなくて、想像できなかっただけなのではないか、と。

そんな出会いを通して私は、自分のキャリアについても考えることになりました。これまでは、正職員の行政保健師としては2年しか働いていないことにかなり遠慮して、“元・保健師” ということを強調していました。でも、これだけ多様な、保健師を名乗り表現する人がいると分かったときに、医療福祉に関する情報収集を日々行い考えるようになったいま、その人たちと自分の何が違うのか?正直そこには、保健師として生きていきたいかどうか、名乗るかどうか、保健師としての意識があるか、ぐらいしか、明確な違いはないように思いました。

ちなみに私は、“行政の正職員としては2年”ということを繰り返していますが、作家としての下積み時代には訪問看護と病棟夜勤と乳幼児健診を、コロナ禍には何かしなければと、コロナの影響を受ける人々のメンタル面での相談員として、活動していました。作家を名乗ってはいても、やはり前職(看護師だと思われているケースは多いけれど)の影響で、医療系のお笑いのネタを作ったり、医療福祉系のイベントを手掛けたり、インタビューを担当したりということも、定期的にあります。

“行政の正職員として2年”とは。
せっかくたどって来たこれまでの経験を上手く繋ぎ合わせて、どちらの世界にも還元できるような、何か別の、もっとちょうどいい存在の仕方があるかもしれない。そしてせっかくなら、このジャンルに関しては、つねに自分なりの意見を言える状態でありたいと考えるようになりました。
(もはや映画はキッカケでしかなくなってきた)

始めたから感じるニーズ

私のモチベーションがこれだけ上がって行った理由の1つとして、「映画を作っている」「情報収集したい」と言い始めてから分かった、意外なニーズの高さがありました。

例えば、「保健師の存在をもっと広く知ってもらいたい」というニーズ。
これは、いまメディア業界で働く私にとっては、かなりアプローチしようのあることだと感じます。

例えば、「意見を言いたい」というニーズ。
映画の取材を受けてくれた友達たちもそうでしたが、話を聞かせて!というと実は、止まらないほど言いたいことがたくさんある人がたくさんいました。「普段はこんなこと話す機会がないのだけど…」「行政職員や会社員という背景があるから表立っては言えないのだけど…」そんなことを改めてゆっくり考えたり、安心できる環境で意見してみる場を提供するって、意外と価値あることなのかもしれないと思ったり。取材や情報収集という意味では、こちらもメリットが大きいし、これは!ということがあれば、当然メディア界隈には発信が得意な人が多いので、提案して形にすることもできそうです。

そして、「とにかく知ってもらいたい、外からの意見を聞きたい」というニーズ。
「映画を作っている」「情報収集したい」と言い始めてから、いろいろな人に声をかけてもらえるようになりました。知り合いの知り合いのような新しい人間関係もあれば、過去接点があったけど、しばらく連絡を取っていなかった人まで。「いきなり取材という訳でなくても、とにかく一度来て見て知ってもらいたい、これってどうなんだろう?」のような形で、メディアの人間ととして、または保健師として、またはただのフットワーク軽い人として。いろいろな場所に呼んでもらえるようになりました。元々旅行が好きなので、何であってもすごく楽しいし、行った先にはもれなく発見があります。伝えたいことが見つかったら、作家業のモチベーションにも繋がりそう。

…何かが出来そう過ぎる。それが何かはまだ、全然分からないのだけど。

保健師出身の放送作家として

そんな中、ある保健師の先輩から、1冊の本を勧めて頂きました。
『虐待予防は母子保健から 指導ではなく支援』
保健師として、彼女が大切にしていきたい考え方が書いてある、という本です。
夜な夜なオンラインでお話した最後に、「ぜひこれは読んでみて欲しい!」と言われたので、即日オンライン購入。読み進めました。

そもそも保健師とはどんな存在なのか。虐待予防において、保健師が果たすべき役割とは何なのか。母子保健とは何なのか。日本の虐待対応はどのような歴史をたどって来たのか。海外はどうなのか。いまの日本の虐待対応について、見直すべきことはないか。そもそも、虐待に至る母親をそこまで追い詰めているのは誰か。

“保健師とは?”を見直すような気持ちで読んでいたはずが、読み終わる頃には、メディアに携わる1人として、業界全体の発信の在り方を見直したいと考えるようになりました。

“虐待予防”の考え方を広めること。
母子保健の価値を知ってもらうこと。
脱母親神話的な見せ方を徹底すること。

メディアの動き方次第で、愛するわが子に手を上げるほど、母親が追い詰められるいまの社会を変えられるかもしれない。大好きなママとの関係が上手く築けず、健康状態を悪くしていく子どもたちを減らせるかもしれない。

実は私は、メディアの仕事を始めてから、世間一般の “保健師” の認知度の低さを思い知り、本当の前職は “保健師” なのだけど、“看護師” を名乗るようにしていました。言ってもややこしいだけなので。やっていることも役割も全然ちがうけれど、免許は持っているし、大学は看護学専攻だったし、作家業だけで食べていけなかった時代は、訪問看護や病棟の夜勤もしていたし、と思って。だけどそれって、なんてもったいないことをしていたのだろうと、今になって思うのです。

どんな形で何ができるか、まだ見えないことばかりだけど、まずは元保健師の放送作家として、自分なりの視点を持って名乗るところから、模索していきたい。そんな風に考える今日この頃です。

※ヘッダーの写真は、畑で見つけた春菊の花です!関係ないけど可愛くて好き!!!🌼笑

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