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星野概念さん(精神科医など)と考える「なぜ、人は自炊に悩むのか?」

2021年末から、私は精神科医やミュージシャンとして活動する星野概念さんと一緒に「自分のために料理を作ろう(仮)」という書籍を制作しています。6人の“自炊に迷える人”に私が料理を教え、星野さんと私と行うトークセッションを通し、自炊ができない不思議を紐解いていくという、ドキュメンタリー形式の本です。

先日は星野さんをゲストにお迎えし、前半後半の全2回にわたるVoicyを収録しました。「自炊にまつわる悩みはなぜ生まれるのか」という疑問に対する星野さん自身の意見を伺っています。今回のnoteでは、私と星野さんの対話をダイジェスト版でお届けします。

心に抱える“きつさ”を無くすということ

山口:星野さんは「精神科医など」という肩書きでご活動されていますが、この「など」にはどういった意図が込められているんですか?
 
星野:執筆や音楽活動など、精神科医以外の活動も大事だから「など」を付けてます。1週間の中で最も時間を割いているのは、精神科医としての活動。でも「精神科医」だけだと僕自身を示しきれない気がしているんです。
 山口さんの「自炊料理家」という肩書きは、活動域の広さを感じさせますよね。
 
山口:「料理家」だけだと、どうしても先生的な立ち位置に見られてしまうんですよね。自分がなりたい姿と言葉のイメージに乖離が生じてしまうので「自炊料理家」と名乗っています。星野さんが「精神科医など」と名乗ることと、少なからず通じているかもしれませんね(笑)。
 
今回星野さんとは「自炊とケア」をテーマにお話ができればと思っています。実は、私が自炊料理家として活動をするのは、より多くの人々に「自炊を通して自分自身を大事にしてもらいたいから」なんです。
 
「自炊が苦手」という人に対し、私はカウンセリングのようなつもりで接することが多いです。そもそも自炊って「自炊をしよう」と決めた先に「何を作ろう」「材料は何を買おう」など、考えることがありすぎるんですよね。忙しすぎて、自炊するための時間を確保できない人もいるでしょうし。
 
そういった細かなストレスがいわゆる精神的な“きつさ”となって、台所から遠のく原因になっているのだと感じます。気軽に「料理をしよう」と思える流れを作るにはどうすべきか、ずっと考えています。
 
星野:「心に抱える“きつさ”を無くす」という点では、確かに近いかもしれません。診察する患者さんの症状の度合いは人それぞれ。ただ、いずれの患者さんも心に“きつさ”を抱えていることは一貫しています。
 
イライラ、モヤモヤする“きつさ”の根本的な原因に気づけないまま、どんどんストレスが蓄積されていくと、心の病気にかかってしまう。その根本的な“きつさ”の原因を汲み取ることが僕の仕事です。僕が関わったことをきっかけに、少しでも穏やかな気持ちになれれば……と願いながら患者さんに接しています。
 
でも、山口さんが「自炊料理家」を名乗り、情報を広く発信していることも、人々の意識を変えるためには重要なことだと思うんです。
 
受け手となる人の中には、情報にたまたま触れただけでも「やってみるか」と刺激を受ける人が少なくないはず。だって、一人で「自炊したいな」と考えていても、なかなか行動には移せませんからね。

自炊はエネルギーの循環である

山口:今、星野さんとは「自分のために料理を作る(仮)」という書籍を制作しています。6人の“自炊に迷える人”とトークセッションを行ったのですが、その中で星野さんが印象に残っていることはありますか?
 
星野:これはセッションの中身と直接関係がないことではあるのですが、山口さん自身が放つ「元気な周波数」のようなものは強く感じました。山口さんの言葉にはエネルギーがあるんですよね。「山口さんにこう言われたならできるかも」と思ってしまう。何か思い当たることはありますか?
 
山口:そうですね……私は料理を「最高のセルフケア」だと思っているんです。しかも瞑想して心を整えられるだけじゃなく、美味しいご飯も手に入る。そこに楽しさを感じているかもしれません。そうやって他人に割くエネルギーも補えているんだと思います。
 
星野:なるほど。料理って、目の前の作業に集中できますからね。いくら慣れていたとしても、手元には気を配らなければいけない。マインドフルネスと近い状態になって「心が今、ここにある」時間が日常的に作られるんです。
 
何もせずに考えごとだけをしていると、心が過去や未来に向かってしまいがち。自炊に限らずそういう時間が日常的にあるというのは、セルフケアとしてかなり有用だと思います。
 
山口:確かに自炊をする時は「今、ここにいる」という感覚がありますね。しかも、完成した料理は食べることで消えていく。料理をしていると常にエネルギーが巡っているのを感じます。
 
星野:そのエネルギーって、山口さんの中だけで巡っているだけではなく、関わる人同士の間で循環することもありませんか?
 
例えばトークセッションでは「どういうところでつまづいているか」をヒアリングしたじゃないですか。その上で、相手が一生懸命に悩みと向き合ってコツをつかんだ時、めちゃくちゃ嬉しくなる。相手に送ったエネルギーがこっちに返ってきた気分になるんです。
 
僕の診療を受ける患者さんも、当初は「何かにイライラしている」というぼんやりとした悩みを抱えている。それが徐々に解消されていくと、僕自身の活力になることがあります。日々のセルフケアでエネルギーを充填し、人と関わることでエネルギーを送り合うような感覚。山口さんもそういったエネルギーの循環の中で生活を送ってるのかな、と思いました。
 
山口:分かります。お話を聞いていて、私はそもそもエネルギーが滞ってしまうことが嫌なのかも、とも感じました。
同時に、そうやって自分や他者との間でエネルギーを循環させるためには「野菜が上手く切れない」「味付けが濃くなった」という点は大きな問題じゃないんだな、と。「きれいに作らなきゃ」というしがらみを取り除き、人々がもっと手軽にエネルギーの循環を起こせるようになれたら嬉しいです。
 
星野:料理に苦手意識のある人が抱える悩みとしてよく聞きますよね。実は、そういった失敗も、次回の成功体験につながる「前フリ」のようなものなんです。上手くいったり、逆に失敗したり。それもまた「いる(Doing)」ことの実感につながるというか。日々の繰り返しを通し、物語が生まれていくことも自炊の魅力だと思います。「業績を作る」「関係性を広げる」という「やる(Do)」を続けていると、人って疲れてしまいますからね。
 
そして自炊は食べるまでに一つの小さなドラマが発生します。「お皿に盛る」「食べる」というゴールも大事かもしれませんが、自炊している人からすれば「どれくらい無心になれるか」という過程も大事。人生と同じく、道中に豊かさを感じられる行為だと思います。
 
山口:仕事柄、料理が完成した後に写真を撮るのですが、よく一緒に仕事をするフォトグラファーと「料理って作っている途中のプロセスが一番美しいよね」って話をよくするんです。出来上がった料理の写真よりもエネルギーを感じることがあります。
 
最近はSNSで個人が気軽に情報発信ができるようになったからこそ「何者かにならなきゃ」と息巻いて「きれいな料理を作ること」に集中しすぎてしまう人も少なくはありません。プロが撮る料理の写真と自分のスマホで撮影した写真を見比べて「なんでこんなにきれいに作れないんだ」とがっかりすることもありますよね。
 
星野:「結果が伴わないと意味がない」という幻想を抱く時はありますね。まさに料理を「Do」だと捉えている人こそ、料理が上手くいかなかった時に落ち込んでしまうのだと思います。
 
山口:そうそう。でも、本当は生活する上で他人からの「いいね」なんて不要なんです。うまくいかなくても良いし、もし自分が満足できる完成度の料理が作れたらラッキー。
 
本来の料理家ならちゃんときれいなお皿に盛って、テーブルで食べるべき。でも私は、生活そのものの匿名性に愛おしさを感じることが多いんです。キッチンに立って残り物をつまむ時間が好き(笑)。無限に広がる豊かさを感じます。
 
星野:山口さんの言う「匿名性の豊かさ」を生活の中に感じることは、僕もたくさんあります。訪問診療で患者さんの自宅にお邪魔するとき、趣味のモノが置いてあったりと、その人のプライベートに触れることがあるんです。診察室では把握し切れない人の豊かさや、自分自身が気づけない面白さが、人々の生活の中には詰まっているんだなと感じます。

音楽と自炊は一緒?

星野:そういえば、山口さんが開催されている「自炊レッスン」って、具体的にはどういったことをされているんですか?
 
山口:一般的な料理教室のようなレシピありきのレクチャーではなく、料理の基礎を知るための場として開催しています。出汁を飲み比べてみたり、試しにみりんを舐めてみたり……意外とみりんを飲んだことがない人って多いんですよ。
 
星野:そうなんだ!僕、たまにみりんを熱燗で飲んだりしますよ。素材の味を確かめることは好きで、味噌を買い比べたりすることもあります。でも、いざ自炊をしようとすると、体はなかなか動かないんです(笑)。こういう時、どうすればいいんですか?
 
山口:たとえば生でも食べられる素材を買い、いろんな調味料で食べ比べるのも楽しいですよ。料理というよりも「遊び」や「実験」に近いかも。「なぜ味がここまで変わるのか」という差分を楽しむこともポイントだと思います。
 
星野:アボカドとお刺身、納豆と卵の黄身を混ぜ、違う醤油で食べ比べたりしたことはあります。
 
山口:それです!十分料理しているじゃないですか!
 
星野:そうだったんですね(笑)。でも、基礎中の基礎である調味料の味を知ったりすることは大事ですよね。実は音楽活動でも、僕自身は音感が良くないので、音階を覚えるのに時間がかかったんです。「一音上げる」「半音下げる」という感覚を掴めないまま作曲をしていたのですが、基礎を学んだ瞬間に曲作りがガラっと変わったのを思い出しました。
 
山口:音楽と料理は似ている、とはよく料理家同士でも話します。初めて会う人同士が同じキッチンで料理を作ることも、ジャズセッションみたいじゃないですか。でもそれができるのって、それぞれが仕組みを理解しているからなんです。仕組みや基礎を理解して、はじめて「フライパンと材料があればなんでもできる!」という状態になれる。
 
星野:それでいうと、僕もフリージャズ的に「適当に料理を作る」ことには憧れているんです。それができる人ってどういう感覚で料理をしているのでしょうか?

というのも、僕は味見をして「何かが足りないな」と思った時に、判断が難しくて。おそらく作曲していて低音が足りない時に「バスドラムの音を強くしよう」「ベースの音を変えよう」とチューニングする感覚に近いのかな、とは思うのですが……。
 
山口:体系的に把握している人もいますが、私は感覚的に調整しています。実は星野さんと同じく「味がぼやける」ことに悩む人は多いです。だいたいそういう時の原因は二つ。「塩味が足りない」か「旨味が足りないか」です。みそ汁の場合、味噌を入れたのに水っぽく感じるときは旨味不足なので、鰹節を手で細かく潰してパッと入れます。逆に旨味はあるのに薄い時、私は塩を足すこともありますね。
 
星野:みそ汁に塩、入れていいんですか?でも、言われてみれば味噌自体が少しでも入っていれば「みそ汁」と言えるからな……普段「そんなに物事に囚われないで」と言っているはずなのに、自分もめちゃくちゃ囚われていることに気づきました(笑)。
 
山口:生焼けでも焦げていても、別に犯罪にはなりませんからね(笑)。私も「塩味が薄いから味噌を足したいけど、もう一回冷蔵庫から取り出すのが面倒だな」と思う時は、塩で味を整えることがあります。
 
星野:勉強になりました。今、山口さんとお話をしていて「僕も囚われてしまうこと、あるよ」って気持ちで人と話ができると、より相手との距離が柔らかくなるんだと思いました。
 
やっぱり体験するって大事なんだな。「こういう感じですよね」って分かった気にならないようには意識しているのですが、体験できることを想像してしまうことは気をつけようと思いました。
 
山口:大事ですよね。私は逆に、料理を始めた頃から「レシピで覚える」タイプではなかったので、これから料理を学ぼうとする人の気持ちが手にとるように分かるわけではありません。でも、ずっと化粧が苦手で「人と会うならこういう化粧をしないと」という気持ちに囚われていました。得意なジャンルや専門分野に関しては「〜しないと」なんて思わないのに(笑)。
 
とはいえ全てを俯瞰的に見れる人なんていないはず。そういうものだと理解しながら、自炊レッスンでも人に寄り添えればと思います。

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Voicyの収録中「Voicyの更新をしばらくお休みしていたけれど、誘ってくれたことをきっかけに、またVoicyを更新できてよかった」と星野さんがおっしゃっていたことが嬉しかったです。発信を続けることも、人の行動を変える一助になっているのだと気づけた収録でした。

「きれいに盛り付けないと」という“きつさ”が、人々の中で自炊のハードルになっていることは事実。星野さんとの対話を通し、改めて自炊が苦手な人の足かせを外すようなきっかけ作りが出来たらな、と思いました。

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Voicyでは旅・暮らし・ごはんをテーマに、暮らしが楽しくなる食の考え方を発信しています。よかったら聞いてみてください!

編集協力:高木望さん
カバー写真:佐々木典士さん


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