「冬の森」第1話
第1話 メタセコイヤの木
少し前から目は覚めていたけれど長い夜の切れ端にくるまれている感触をしばらく楽しんでいた。のろのろと起き上がる。
オーガンジーのレースとカーテンの端をめくりあげると窓ガラスから伝わる空気は冬の始まりを伝えていた。
ここ何年、夏がだらだらと長い。部屋はエアコンで冷え過ぎていて冬よりずっと寒い。それとは全然違う懐かしい様な冷たさに、いつの間にか十一月も終わりに近づいてることに気づいた。
窓の向こうは大きな緑地に接している。
メタセコイヤの美しい赤茶色の二等辺三角形が朝の光の中でキラキラしていた。窓を大きく開けて冷えた空気を吸い込むと言いようのない幸福感に包まれた。今すぐ外に出てみよう。
コットンガーゼのふわりとしたワンピースをひるがえして肩まで伸びた髪を結んだ。
誰もいない広い緑地帯を走り抜ける。吐く息が少し白い。
大きなメタセコイヤの木の下にたどり着くとそっと抱き付いてみる。
木はほんのり湿気を帯びていたけれど構わず頬を押し当てた。
枝と葉っぱの隙間から見える小さな空は澄んだ水色が欠片となって落ちて来そうだった。
足元に散らばったメタセコイヤの木の実はらせん状に空洞をつくっていて小さいハニーディッパーみたい。とてもかわいい。
無心になって拾っていると右を横切る何かが動いた。瞬間無意識に振り向くと昔のブラウン管テレビが黒い波形を描く様に空間が歪むのだけを感じ取った。
「だめだめ。今度こそはそっと。」
しゅんとぶら下がったブランコに腰をかけていると再び右側を何かが動く。視線だけをそっと移動させた。
親指くらいの小さい人。黄緑色の帽子。何をしているかまではわからない。何も気づかないふりをして見つめているとすっと消えた。
いつもより余韻がある消え方だった。
部屋に戻り古い絵筆の刷毛で木の実を丁寧に掃除しながら小さい人のことを思い出していた。
ここ三年程で何回遭遇しているかしら。
この出来事を誰かに話すともう会えなくなる気がして誰にも話していない。彼らに親しみを感じる方を優先したくて不思議に思うことも存在の意味を考えることも放棄していた。
フィラメントがちらちらする無数の小さい白熱電球と木の実をガラスのボトルに入れてみる。
木の実の隙間からこぼれる光がさっき見上げた空を思い起こさせる。
茶色の木の実に交じって珍しく見つけた黄緑色の、まだ種子を抱えたままのそれは小さい人の帽子にも見えた。
静けさの中でインターフォンが鳴った。胸の奥がキクンとした。
マンションの出入り口ではない部屋の玄関の音色だったので誰かはすぐにわかった。インターフォンの画像を確かめることもせず急いで玄関のドアを開ける。
「里奈さん、ただいま。お腹すいた。」
賀久は遠慮なくわたしの肩に顎を乗せてそう言った。
冷たい機内の匂いがした。それに交じって追いかける様に賀久の匂いがした。
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