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14年前のはじまり。交通事故から国際結婚まで

27歳。


ずっと夢見てた海外生活に踏み切る。

いまならできる そう思った。


福祉大国と言われるデンマークに行こうと、すでに決めていた。その前に英会話を身につけたい、と三ヶ月のボランティアにサンフランシスコを選んだ。長年のリハビリ&療養明けだったこともあり、度胸試し。

サンフランシスコは二十歳で遭った交通事故の半年前、遠い親戚のおじさんを訪ねる、一人旅に来ていた。まさか、その年が明けてすぐ、二つ目の人生が始まるとはね。



成人式の喜びから2週間が過ぎた時。




その瞬間、


全てが消えた。




シャットダウン。










大阪一評判の良いと聞く緊急病院に搬送される。

突然の緊急病院からの電話に、至極動揺しただろう。雪降る一月三十一日の夜、両親は山口県から、慣れない大阪の街へ駆けつける。


それから、いつ目を覚ましたのかもわからない。だってその時には、これまでの20年全ての記憶が、停止。

そこにいたのは、お母さんとお父さんが、いてくれて嬉しい、二十歳の大きな赤ちゃん。



もうずっとそうだったかのように。病院で過ごし、母と立ち上がる練習をするところから、スタートした。

意識を戻した救命救急病院の記憶のことは、なにも覚えていない。


ここから長く、出口のない、重力のない、色のない世界に漂う。








「元気になったら、海外に行けるよ」赤子から生き直す娘を、元気付けるかのように、父が言ってくれた言葉。

中学生の頃から温めていたこの憧れを、赤ん坊のようになったわたしも、どこかで抱き続けてた。


つづく

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