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これは私のことだろうな案件

いらない善意より、わかりやすい悪意の方がそれでもありがたい。

きっとこれって私のことだろうなと思うことがある。本人にはあえて言わない、または言っても無駄だと思われてるであろうことを、何かの拍子に見聞きしてしまうこと。自己肯定感が死ぬほど低い私はすぐに「これは自分のことだ」と認識する。合ってるかもだし合ってないかもだし。

でも私も同じことするからな。お互い様なんだろうと思う。お互いっていうのはその人とは限らずとも、社会全体で誰かにしたことが自分に返ってくる、そんな感じなのだろう。自業自得だ。

なんかもう疲れてしまった。

たまに本当に生きることに疲れる。自分の存在を自分で300%否定して、そのまま死にたくなる。死というか存在自体を消したいに近い。存在していた履歴も全て削除したい。やっぱり生きる価値がない。生きてても誰の役にも立たない、存在自体意味がない。そんなふうに結構明確に思う。

今朝のあさイチで子どもを持たない選択みたいなトピックで、読まれない前提で思わずメッセージを送ってしまった。人生初をこんなところで。なんかな、結婚して子供を持つという社会の常識とか普通に対抗して(気持ち的には無視して)生きてると、一瞬気を抜いたら一気に飲み込まれそうになる。潰されそうになる。今日は見えない他人の似たようなモヤモヤを読んで、生々しい感情に支配されたんだろうと思う。

私だけじゃないし、同じくらい苦しんでる人がいることが分かっても、過去に他人から向けられた言葉が戻ってきてしまい、ずっしりと重い朝だった。

最初の話に戻り、きっと私のことだろうなと思ったことについて、それをわざわざ私が感知できる範囲でされたという意味を自分なりに考える。多分そうだろうなって思う節があって、こちらも合ってるかもだし合ってないかも。そんなもんなのだ。都合よくも悪くも解釈していいのだ。自分を守るためにも傷つけるためにも。

嫌いな女性の同僚とも狭い範囲で関わることがなくなったので、少しずつマシな自分を取り戻したい。取り戻さないと私はまたこの悪いループにハマり、周囲の人を不快にし続ける。不快にしたくない人まで巻き込むのはやめたいから。

いつまで経っても困った大人である。子どもを持ったら大人になれるのかと思うけど、それもまた何かが違うと思う。難しいな。

いらない善意より、わかりやすい悪意の方が良いとやっぱり思ってしまう。