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私が八方美人をやめた理由-きっかけは小学校の先生の最悪の一言

人に好かれるって案外簡単だと思いませんか?

小学生〜高校生を振り返ると、私は友達がありえんくらい多かった。先輩後輩と仲良い人も多かったけど私は同級生、同学年で顔が広いタイプだったように思う。だって他の学年の人と話すの話題ないし、気遣うからつまんないんだもん笑(大学入って先輩の魅力には気づいたのでまた今度書く。)

いわゆる人望みたいなのはあったのだと思う。みんなとバカして笑いあってるの大好きだったし、勉強もスポーツもそれなりにできたから先生からも好かれてた。もちろん毎年リレー選手!いわゆる学内ヒエラルキーの上位みたいな。どの学校にも必ずあるやつ。(特に東京)

そんなこともあって当然リーダーやってた。

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みなさんはどんな人がリーダーだと思いますか?これリーダーシップ論とかの複雑な話もあるんですけど、今回はそんな話ではなく。

私のリーダーとしてのあり方って小学校・中学校・高校でそれぞれ違ってたと感じている。んで、今日は小学校の時に気づいた自分の性格とか存在、身につけた人との距離感、接し方を記録していきます。(前振りながめ)

生真面目優等生だった自分

ほんとに根っからの真面目ちゃんだった私。掃除してない男子に「ちょっと男子〜〜!!掃除して〜〜!」っていう女子でした。きもいねぇごめんなさいねぇ。。

まあでもなんか明るかったおかげでみんなから好かれてた。誰にでも優しく明るく接してたし、悪口とかもあまり言わなかった。人の気持ちとか、次この人どう行動するのかなとか、昔から察しまくってた。


例えば、(あ〜〇〇ちゃん爆発寸前だなぁ。あいつ怒らせちゃってバカだなぁ)とか思って友達を見ていた節はあった笑 最終的に私が止めに入るとかあるあるだった。
小2でやった劇もおばあちゃん役みんなやりたがらない雰囲気満載で、私が立候補した。"誰もいないならやるよ芸人"を1人でやってたわけ。優等生!

なんで私がこうなったのかっていうは完全に母の影響かなと。
私は感情型の母と理論型の父に育てられた。母はAB型だし人の話とか聞かないしとにかく自由な人。とくに怒るともう、そりゃあ、手が付けられない。嵐が過ぎるのを待つのみ。モノも飛んでくるし頭ひっぱたかれてた。

だから私と父は常に母を怒らせないように、母が何をしたいのかを察しながら生活していた。洞察力とか人の気持ちを考えるとかは身をもって重要性を体感してきた。

当時は他の友達のお母さんが「こら、やめなさい〜」とか緩く怒ってるのを見てめちゃくちゃ驚いた。なにこの優しい世界。。みたいな。(ちなみに今では母のことは大好きだし友達みたいな存在。まじまぶだち。名前で呼んでるしね)

話を戻すと、『察してちゃんかまってちゃん』の真逆をいっていたというわけ。しっかり者っていう烙印は当然の如く押されていた。

恋愛から発展する担任の介入事件

こんな私だけど、小学生の時めちゃくちゃモテてた。多分。記憶が確かなら笑

基本男の子と仲よかった。外遊びが得意だったからかな。放課後とか毎日男女3人ずつとかで遊んでた、懐かしい。いつも私がみんなを誘って、引き連れて、公園で遊んでた。時にはキューピッド的役割も果たしてて、友達同士が付き合うとかなり嬉しかった笑

当時、小学校でツートップでモテてた男の子2人がいた。A君とB君。「どっち派?」とかって盛り上がるやつよ!少女漫画かよってね!!これが楽しいのよ!!笑

なにがあったか知らないけど、2人とも私のことが好きだったと笑

特にB君と仲よくて、2人でマンションの屋上とかで遊んだり家行ったりして遊んでた。周りの女子から正直羨ましがられてた。私はなにが?って感じですっとぼけてたけどなんとなく優越感があったのはたしかだった。ちょっとずつB君が好きになっていた。

当然っちゃ当然で、私もB君が好きっていう噂が流れる。
そしたら両思いじゃん!って噂も流れる。
そしたらA君はもう〇〇(私)のこと諦めたらしいっていう噂も流れる。(オモロwww)

ここからがなんか沼になってくる。
毎日一緒に登校している友達が「わたしB君のこと好きなんだよね」って言ってくる。

私:「おおう・・・。そうなんだ」
友達:「でもB君は〇〇(私)のこと好きみたいだからしょうがないよなぁ笑 どうしよう」
私:「いや・・なんか、どうだろ、わたし、そんな好きとかじゃないよ?うん、応援するわ!!」

でました〜〜〜^ ^

さらに沼は続く。

担任が出動。(何事)

B君と呼び出される。

先生:「なんか最近2人の噂聞くんだけどさ」
B君:「なんですかw」
先生:「2人は付き合ってるの?」
私:(なんでそんな話知ってんねん、、。誰や、、女子怖。。)
B君:「いや、付き合ってないっすよ〜」
私:(B君つよっ!!さすが!まんざらでもなさそう!)
先生:「〇〇(私)は?」
私:「付き合ってるとかじゃないです!」
先生:「・・・〇〇(私)ってさ、八方美人なところあるよね。先生はそういうところがすごく心配。」

泥沼。

しかし幸運にも当時のおばかな私、八方美人の意味を的確に分かってなかった。(これは、、褒められたのか!?優秀が故に心配されてる!?)と捉えて、

私:「そうですね〜〜〜たしかに!でも大丈夫ですよ〜!」

とポジティブに返す。おばか、、。
のちにディスられてたことに気づき、ああ〜なるほどねと。

「八方美人」 とは
「だれに対しても、如才なく振る舞うこと。また、そのような人。どこから見ても欠点のない美人の意から。▽「八方」はあらゆる方向。この言葉は、悪い意味で用いられることが多い。」(goo辞書より引用)

結局B君は卒業間近に私に告白してくれたが、もうそんなことどうでもよくて断った。今では飲み友。酒袋。

八方美人であることを指摘されることの意義

担任から衝撃的なことを言われたのが5年生か6年生のとき。

そこからの小学校生活は、けっこうズバズバとものを言うようになった。できないヤツはほっとく、一回自力でやらせる。なんでも手伝ってたしっかり者で面倒見の良い私はもういなくなった。

女子はなんもしなくても向こうから近寄ってこなくなる子もいた。犯人はそいつだと思っている。けっこう線引きができた。こちらから何をするでもなく勝手に。これは女子あるあるなのだと、その後の学生生活でも感じるところだ。

そして、担任の最悪の一言だが、私は言ってくれたことに感謝している。
私は"周りを俯瞰してみれてるぶってた"だけだったのだと気付かされたからだ。

自分の都合のいいように相手をいい気持ちにさせて、私をよく見せようとしてただけだった。それができてるってことは私は周り見れてるってことだと勘違いしてた。

批判してくれる存在って重要やな、と。チクった女子も、担任も、A君B君にも心から感謝したい。それに気づかせてくれたことはのちの中学、高校の変わっていくリーダー観の土台になる。暇だったら書こうと思う。

でも私は八方美人も生き方の1つだと思う。
社会に出ている人をみたり、アルバイトをしているとそう思う。
その八方美人って最終的に誰が得するんか?誰が被害を被るんか?を考えて使っていきたい。

ありがとう、八方美人!!!!

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