「しあわせ」を決めるもの
たまに、
「世の中にはご飯が食べられない子供たちがこんなにもいて」
「屋根がないところで生活している人たちがたくさんいて」
「寒くても暖かいコートを着ることもできない人たちが大勢いて」
「でも、屋根があるところで眠れて、食べるものにも着るものにも困っていないなら、あなたは幸せですよ」
と、言われたり、記事で目にすることがあるけれど、
違うんじゃないかなぁ・・・と思う。
確かに、恵まれていることはたくさんあるかもしれない。
会社に勤めていた時は「仕事がなくて困ってる人もいるんだよ?それに比べたら仕事があるだけで幸せじゃん」と言われて、
そうだよね、そうだその通りだ、だからしんどくても仕事を辞めちゃいけない、
と思ったりもしたけど、
幸せかどうか、
大丈夫かどうか、
は、本人が決めていいし、本人にしかわからないと思う。
そういう、「もっと大変な人たちがいることを考えれば、あなたは幸せじゃないか」という考え方は、
他と比べて自分が幸せかどうか、を決めているようなもので、
「他」という比較対象がなければ確認できない幸せ、とか満足、とかは、
本当のそれじゃない気がする。
もちろん、世の中にはいろんな人や環境があって、
その中での自分、を見つめて自分の「足る」を知ることは大切だと思うけれど、
そこに比較対象はいらないと思う。
友人に「恵まれてると思いなさいよ」と言われて、なんかモヤモヤするけど、
そうだね〜としか返せなかったけれど、
なるほど、だからモヤってたんだな、と初めて認識した。
なんて。わたしも若い頃に、言ってたなぁ・・・。
その時、わたしの言葉を受け取った人たち、ごめんなさい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?