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どきゅめんと 聞き屋台

無料 聞き屋台
愚痴・自慢・雑談・何でも
ひと言だけでもど~ぞ

段ボールで作った看板と、小さな折りたたみ椅子が3つ。ここは、関東のとある駅前。夜になると時々出没する「聞き屋台」です。

「なにそれ、怪しい…」

まあ、そうおっしゃらずに。

家路を急ぐ人々の冷ややかな視線を浴びながらも、ぽつり、ぽつりとやってくるお客さんの話に耳を傾ける。

お互い、どこの誰かも分からない。そんな、日常からこぼれ落ちたような場所だからこそ、話せることがあるのかもしれません。なーんて。

路上で繰り広げられる本音のおしゃべり。お客さまのお許しを得て、その一端をご紹介しましょう。

さあ、今宵も聞き屋台のはじまり、はじまり〜。

聞き屋台のはじまり

路上の洗礼

吾輩は聞き屋台である。名前はまだない。出没するのは週に1、2回、曜日は気まぐれだが、場所は、とある駅ビルの真ん前と決めている。明かりはあるし、トイレもあるし。もちろん人通りの多さが一番の理由だが、足を止める人はほとんどいない。

聞き屋台は、ひたすらにヒマと羞恥心との戦いである。

「聞き屋台だってw」「お前、何か聞いてもらえよw」と素通りしていく酔っ払いやカップルたちとは目を合わせないようにして、1時間、2時間、ボーッと立っていると、おそるおそる人が近づいてくるというシンプルなシステムになっている。

「あのぉ…これって何してるんですか?」
「なんでやってるんですか?」
「無料なの?なんで?ヒマなの?」
「宗教の勧誘?」
「無料なのが逆に怪しいんですけど」
「どうせナンパ目的でしょ?」

大抵のお客さんは、私を質問攻めにする。

吾輩は40を過ぎたおっさんであり、昼間はフリーランスの広告屋である。決して宗教やナンパが目的ではないが、始めた理由や目的については追々語ることにしよう。

この聞き屋台は、2022年11月に始まった。

立冬も過ぎた寒空の21時過ぎ。最初にやってきたのは、Tさんという広島出身の女性だった。同郷の旦那さんと関東に出てきて15年。都心の会社勤めで、よくこの辺りで一人飲みをしているという。Tさんは、得体の知れない新人聞き屋に、ホッカイロと温かいお~いお茶を差し入れてくれた。

なにしろ最初のお客さんである。私は、「へぇ~」「なるほどぉ~」「それで?」と調子よく相槌を打ちながら、自分なりにあれこれと聞いているつもりだった。しかし、Tさんに聞き屋台のことを質問されるうちに、いつの間にかTさんが聞き役に、私が相談する側になっていた。

(あれ?この人、聞く力、つよ…)

いきなり路上の洗礼を浴びる展開。世が戦国なら、あっさりと返り討ちに遭うやつだ。

それでもTさんは、それ以来、一人飲みの帰りに時々立ち寄ってくれるようになった。定期的に店の様子を見に来るエリアマネージャーのような存在で、私はひそかにTさんを「アドバイザリー姐さん」と呼んでいる。

受験生の憂鬱

出没2回目の夜。

「ちょっと聞いてもらってもいいですか?」と話しかけてきたのは、バイト帰りという高校3年の女子高生。なにやら大学受験のことで悩んでいるという。道ゆく人々が怪訝な顔をして通り過ぎていく。私は、「ああ、覗くなら覗け、私たち親子は、美しいのだ」という太宰の小説の一節を思い浮かべる。

「私、今すでに推薦で合格している大学があるんです。でも本当はもう1校、推薦でどうしても受けたい第一志望があって…」

第一志望は、誰もが知る難関美大。推薦での合格枠はわずか数人の狭き門らしい。

「将来は新しい何かを生み出すような仕事がしたい、でもそれが何なのか、今は自分でもよく分からないんです。それを探るためにも、第一志望の大学で学びたいんです」

しかしその前に、先に合格した大学の入学金の納付期限が迫っているという。できればその大学の入学金を支払い、保険をかけつつ第一志望にチャレンジするのが理想的だろう。

「でも、うち、親が離婚してて」

入試という壁の前に、お金の壁があるようだった。彼女は自分で大学の学費を払うために居酒屋とコンビニでバイトを2つ掛け持ちしていた。しかし、さすがに保険をかけるための入学金を払う余裕はなさそうだった。

担任の教師に相談したら「もう受かったんだからそっちに行けばいいじゃない」と面倒臭そうに言われ、クラスメイトは一般入試に向けて必死で、誰にも理解されず、やり場のない苛立ちを抱えているようだった。

「学校も面白くないし、早く卒業したい」

投げやりな口調でつぶやく彼女に、私は「どうにかして第一志望をあきらめないでほしい」と言うことしかできなかった。

「聞いてくれて、ありがとうございました」

ペコリと頭を下げて帰っていく背中を、ただただ見送る。

嗚呼、聞き屋台とは。

それは、どこまでも無力で無責任な存在なのである。

大繁盛の一夜

直球OLと手品女子

出没4回目の夜。それまでずっとヒマだった聞き屋台が、突然フィーバーした。

まずは、開店から1時間ほど経った頃、若いOL2人組が近づいてきた。

「気になって、さっきからずっと見てました」

聞けば、駅ビルのベンチから聞き屋台を観察し、私が駅ビルのトイレから戻ってくるところまで見ていたらしい。2人は職場の先輩・後輩で、大っ嫌いな女上司との飲み会帰りだと言う。

「聞き屋ってヒマなんですか?」
「人来るんですか?」

言葉を選ばずに、次々と直球を投げ込んでくる。ツイッターでも検索したらしく、「これですか?」と言いながら、スマホで聞き屋台のプロフィール画面を見せてくる。

「あ、そうです、開設したばかりでフォロワー少ないので、ぜひフォローしてください」と答えると、「えー、こんな怪しい人をフォローしてるの、地元の友達にバレたら恥ずかしいから無理」と容赦のないお返事。

(そ、そうだよね…)

心の内角を鋭くえぐってくる豪速球に、ぐうの音も出ない。それでも、どこか聞き屋台という存在を面白がっている雰囲気もあり、つい私も嬉しくなって、次の球を待つ。

2人はしばらく私をストレート攻めにした後、「ふーん、人生豊かですね」と言い残して、春の嵐のように去って行った。

なんだろう、この新しい種類の敗北感は…
でも、楽しかったから良しとしよう。

ほどなくして、背広姿のおじさんが立ち止まる。

「あんた何歳?おれ64歳、今日誕生日なの。今から一人飲みしてくるから、帰りに寄れたら、また立ち寄るわ!」

「はい、お待ちしております!」と私。おそらく戻っては来ないだろう。

さらに続いて、お洒落な柄のマスクをしたミドルな女性がご来店。図書館の司書っぽい雰囲気だが、聞けば理系の元研究職だと言う。

「なんとお呼びすればいいですか?」と聞くと、「じゃあ、“トミさん”で」とのこと。

しばらくトミさんの職場でのモヤモヤ話を聞いていると、そこに、ほろ酔いの女子2人組がやってきた。20代前半だろうか。トミさんが「一緒にどうぞ」と勧めてくれたので、3人で相席することに。

すると、片方のちょっとボーイッシュな女子がおもむろに「いま、好きな人がいるんすよ」と体育会系っぽい口調で話し始めた。「でも、よく分からないんすよ、相手の気持ちが」と言う。

「相手はどんな人なの?」と聞いても、「いやぁ、それはちょっと…」と言葉を濁す。しばらくそんな空中戦が続き、一向に話が進まない。

そして、気まずさをごまかすように、突然「手品しまーす!」と言って、子供の頃に流行った親指を切断する手品を披露して、2人は去っていった。

一体、何だったんだろう。トミさんと顔を見合わせる私。

予期せぬ展開

そこに、「ちょっといいですか?」と、今度は20代半ばくらいの女性がやってきた。「なんかムカムカしてて」と、ほろ酔い気味で言う。

「ど、どうしたんですか?」再びトミさんと一緒に聞くことに。今夜はいそがしくなりそうだ。

「わたし、不倫してるんです」
相手は会社の上司で、彼女は契約社員だという。

「3ヶ月くらい前に、つい関係を持ってしまって、そこから心まで持っていかれちゃって…。でもその人、私の他にもう一人愛人がいて、奥さんも合わせると私は3番目なんです。3股してるくせに私を束縛してくるから、だんだんムカついてきて。でも、マメなんですよ、彼。仕事もできるし、面倒見も良くて。いわゆる人たらしっていうんですかね」

なんとも無茶苦茶な話である。理不尽に理不尽を重ねたビッグマックみたいな男だが、その男をフォローするような言葉を挟んでくるところを見ると、彼女自身は恋心と自制心の間で揺れているのかもしれなかった。

聞けば、彼女は今27歳。誰が聞いても「そんな恋愛やめとけ」と言うだろう。私も心の中で「やめとけ」と思った。でも、そんな分かりきったことを言われるために、彼女はわざわざ怪しい聞き屋台に来たのだろうか。誰にも言えず、誰からも肯定されない恋愛の、かすかな救いを求めてここに来たのではないか。私は、何と言葉を掛ければいいのか分からなくなってしまった。

「私、3月で会社を辞めて1年間ワーホリで海外に行く予定なんです。だから上司との関係もそれまでのつもりです」

その言葉を聞いて、私は迷った挙句、「期限を決めているなら、今は恋愛を楽しむのもアリなのかもしれないね。でも、泥沼にハマらないように気をつけて」と、中途半端に不倫を後押しするような、当たり障りのない答えを返したのだった。

そんな話をしていたら、先ほど突然手品をして去って行った2人組が戻ってきた。近くでカラオケをしてきたらしく、ボーイッシュな手品女子の方は、さらに酔いが回っている。

トミさん、不倫女子、出戻り2人組、私、という5人の輪ができた。しばらく5人で話していると、手品女子がまた「じぶん、好きな人がいるんすよぉ~」と言い出した。さっきもこの話聞いたなぁと思っていると、

「じぶん、女の子が好きなんすよぉ」と言い、

一緒に来たもう1人の女の子に向かって

「じぶん、コイツのことが好きなんすよぉおお!」
と叫んだ。

突然の告白だった。

「えっ!?」と一同驚き、言われた女の子も「え、うそ?マジ?どういうこと?」と困惑気味。でも、その表情はどこか嬉しそうにも見えた。

「やべーー、言っちゃったよぉ!」と言いながら、手品女子は「じゃ、バイト行ってきまーす!」と言って逃げるようにして走り去っていった。

呆気に取られている私たちを見て、告白された方の子が「私たち近くのバーでバイトしてて、今日もこれからバイトなんです。もうだいぶ酔っ払ってますけど」と笑いながら、手品女子を追いかけて夜の街に消えていった。

(なんて美しい光景なんだろう…)

走っていく2人の後ろ姿を眺めながら、私は静かな高揚感に包まれていた。

恍惚とした夢心地に浸っていると、そこに先ほどの誕生日おじさんが一人飲みを終えて戻ってきた。いかん、すっかり忘れていた。正直、もう少し余韻に浸っていたかったが、急に現実に引き戻された。

「えーと、えーと、お帰りなさい!あ!お誕生日おめでとうございます!」

必死に取り繕ったものの、あまり言葉が出てこない。おじさんは何かしらの空気を察したのか、少しだけ話をして「ありがとね!」と言ってそそくさと帰っていった。おじさん、その節は中途半端な対応をしてしまい、すみませんでした。

気づけば23時過ぎ。トミさんと不倫女子がまだ残って話していた。

「私ってビッチなんですかね…」

不倫女子がボソッとつぶやく。

言葉に詰まる私。

「じつは、もうすぐここに、その上司が来ます」

「え?」

「いま会社の人たちと飲み会をしていて、それが終わったら私の家に泊まりにくることになっているんです」

「え?」

「あと10分くらいで着くみたいです」

「え~っ!」

このタイミングで、膀胱のリミットを迎えたトミさんが小走りで帰って行った。

そして、入れ替わるようにして噂のビッグマック男がやって来た。ビッグマックだけど小柄。飲み会帰りで顔が赤い。マスクをしていて顔はよく分からないが、ポロシャツの襟を立てていて、ベテランのプロゴルファーみたいな風貌だった。

「何やってるの?」とビッグマック。

「いま聞き屋さんに聞いてもらってたところ」

「へぇ~聞き屋さん。そういうの大事だよね~。何を聞いてもらってたの?」

「奥さんがいて、愛人もいるのに、なんで私を束縛しようとするのか、とか」

ビックマックの目にかすかな動揺が浮かぶ。

「ハハハ、だってさぁ、男だもん、かわいい女の子を自分のものにしたいじゃん。ねえ、お兄さんも分かるよね?」と私に同意を求めてくる。

「はぁ、まぁ」と私。

すかさず彼女が「なんで3人も女がいて、1人も失いたくないって思うのかが分からないんだけど」とビッグマックに食らいつく。

「そんなこと言われてもねぇ…しょうがないよねぇ…男だもん、ハハハ、ねぇ?」

その顔はもはやビッグマックではなく、弱ったハンバーグラーのようだった。

私が、「お金持ちの人ほど、お金を失いたくないって思うのと同じなんじゃないですか?」と言うと、彼女は「なるほど」と小さく頷き、なんだかんだ2人で肩を寄せて帰っていった。

時刻は23時40分。こうして、売上0円ながら大繁盛の一夜が幕を閉じた。

路上の耳景色

極寒の夜のアミーゴ

12月に入ると一気に寒さが増し、スマホの温度計が0℃を示す夜もあった。道ゆく人はコートの前をぎゅっと閉じて足早に過ぎていく。繁盛が続くほど路上は甘くないらしい。

いよいよ初めての来客ゼロが頭をよぎる。そんなピンチを救ってくれたのは、通りすがりの外国人だった。

「コレ、ナンデスカ?」

「あー、えーと、イッツァ、フリー、リスニングショップ…」

「あ、ワタシ日本語ダイジョブデス。聞き屋台ッテイウ漢字モ読メル」

おっと失礼、危うく英検4級の実力を晒すところだった。聞けば、近くの中学校で英語講師をしているというペルー人。幼い頃に家族でアメリカに移住し、日本には一人で出稼ぎに来たらしい。しかしコロナ禍で帰国もままならず、異国の地で友達もできないという。

「カノジョはイマス。日本人のコ。長くツキアッテルヨ。デモヤッパリ男のトモダチ、ホシイデス」

日本に来て3年。教員の仕事は給料が安く、達成感も感じられないという。帰国したら英語教員は続けられないので、パソコンのスキルが身に付く仕事に転職しようかと迷っているらしい。

「コウイウノ、スゴくイイと思ウ。トテモ、ヤサシイネ」

そう言って、寂しげに笑って帰っていった。

聞き屋台がこのペルー人の友達みたいな場所になれたら。そう願ったが、その後、彼が来店することはなかった。ただし一度だけ、きれいな彼女の白い肩を抱いて聞き屋台の前を通りかかったことがある。彼は、こちらに向かって小さく会釈して通り過ぎていった。

アディオス、アミーゴ。何かあったらまた来てくれよな。

諦めない男と、諦める女

幸せそうな家族が食事をした帰りだろうか。小学生くらいの男の子が、後ろから歩いてくる母親に向かって、駅前に響き渡る声で叫んだ。

「ねえー!聞き屋がいるよーー!!」

(いいから!こっち来なさいっ)と無言で手招きする母親。

少年よ、悪気がないのは分かるが、駅前での公開処刑はやめてくれな。

そんな家族には目もくれず、とんがった革靴とスリーピースでキメた男が、小走りで前を歩く女性を追いかけていった。声を掛けられた女性は一瞥もくれず、男を振り切って歩いていく。

そういえばあの男、さっきからウロウロしているな、と思ったら、不意に私と目が合って、こっちに向かって歩いてきた。

「いや~、ダメでした」

聞けば、こんど近くにオープンするキャバクラの店長で、お店で働く女の子を駅前でスカウトしているらしい。

「いい人は集まりましたか?」

「いや、まだまだっすね。僕ら、声かけるキャストの子厳選してるんで」

そこまで胸を張って言うなら、私もそのお店に行ってみたい。しかし彼は、私には一切お店の宣伝をすることなく、「お互い頑張りましょう!」と言って、また別の女の子を追いかけていった。

そうかと思えば、別の日の閉店間際、折りたたみの椅子を片付けているところに「まだやってますか?」と声をかけてきたギャル風の女性。

聞けば、(上記とは別の)キャバクラのスカウトに声をかけられて、その男に恋をしてしまったと言う。

「それでわたし、今日、体験入店してきたの。終わってから、その人と話をすることになったから、勇気を出して、今度ごはん行きませんか?って誘ったの!そしたら反応がビミョーでさ、あーあ、フラれたなってわかったの…」

「そうかぁ~、でもさ…(うーむ、なんて声をかけたらいいんだろう…)」

「わたし失恋しちゃったの!だから、諦めろって言って!」

「うん、わかった…、もう諦めな!次いってみよう!」

「うん、ありがと!」

彼女は晴れやかに頷いて帰っていった。

我慢できないプロボクサー

2022年の年末、政府のコロナ対策の偉い役人が「年末年始の行動制限を求めない」という回りくどい言い方の声明を出し、年の瀬の街には飲み会帰りの人が一気に増えた。

そこにやってきたのは、大人数が苦手で飲み会を抜け出してきたという元プロボクサー。関西出身で、中学の時にあしたのジョーを読んでボクシングにのめり込み、大学もボクシング推薦で入ったという。神戸のジムでプロデビューした後、関東のジムに移籍したが、そこでの人間関係がうまくいかずジムを辞めてしまったらしい。

リングから遠ざかって1年。

「格闘技って中毒性がヤバいんすよ。やるか、やられるか。試合開始のゴングが鳴る瞬間の緊迫感、倒した時のあの快感。あのヤバさを味わいたくて、またリングに上がりたくなるんすよ。今もアマチュア相手のジムには行ってるけど、まったくの別物で全然物足りないんですよね」

言葉の端々にリングへの未練がにじんでいる。彼はしきりに「テストステロン」という単語を口にした。いわゆる男性ホルモンのことで、性欲も含めてギラギラとした欲望や闘争心の源になるものだという。テストステロンが溜まると一種の全能感を感じて、ウザいバイト先の上司もぶっ飛ばしたくなるが、それが抜けるとネガティブ思考になって、飲み会すら逃げ出してしまうのだという。

「ボクサーって、試合前は禁欲してテストステロンを溜め込むんですよ。で、それを試合で一気に爆発させる。でも僕の場合、どれだけ頑張っても3日くらいしか我慢できなくて」

最大の敵は、性欲だったということか。

「もう一度プロのリングに戻った方がいいんじゃないですか?」

「やっぱりそうですよね!」

そう言って彼は、行き場を失ったテストステロンを爆発させるべく駅前のパチンコ屋に入っていった。

再会

とある夜。

行き交う雑踏を眺めながら、私は脳内で「ヒマではあるが退屈ではない!これは一種の社会実験なのだ」という負け惜しみを呪文のように唱えていた。

するとそこに、見覚えのある女の子が近づいてきた。

「おぼえてますか?」

「・・・、お!」

受験の悩みを話してくれたあの女子高生だった。

「わたし、第一志望の一次試験受かりました!」

「ぬおぉマジか!」

凍てついた心が一気に温まる。どうやら入学金の件は、別居している父親に相談して、なんとか借りられたようだ。

「2次試験は面接なんです。でも何を話せばいいか、自分の考えが上手くまとまらなくて」

彼女は背伸びをして、ちょっと難しいことを言おうとしているようだった。

「そっか。僕は、推薦入試のことはよく分からないけど、無理して難しいことを言おうとしても面接官の教授にはバレるんじゃないかなぁ。それよりは、自分が分からないと思っていることや疑問に思っていることを一生懸命話して、それを学びたいって伝えればいいんじゃないかなぁ」
漠然とそんな話をした。

「ありがとうございます!結果が出たらまた来ますね!」

しかし、それからしばらく経っても彼女は姿を見せなかった。

トイレタイムを示す札

なぜやっているのか

それにしても、私はなぜこんなことをやっているのだろうか。お客さんにも必ずと言っていいほど聞かれるが、うまく答えられたことは一度もない。

正直、何か明確な目的があったわけではない。当初はこのような記事を書くつもりもなかった。しかし、明確な目的はなかったものの、心の中に鬱屈とした感情が溜まっていたことは確かだった。

そのひとつは、自分自身に対して抱いた強い閉塞感。ある時、友人との口論をきっかけに、自分が知らぬ間に道徳の教科書のような正論やキレイゴトにとらわれていたことに気づき、自分自身が急につまらない人間に思えて、愕然とした。

もちろん正論そのものには罪はないし、私も、誰かを追い詰めるために、正論を振りかざしていた訳でもない。

私は、自分の無知や自信のなさを隠すために「正論」に寄りかかっていたのだと思う。誰からも否定されにくい正論は、薄っぺらい自尊心を守るのに都合のよい自己防衛の盾だった。コロナの世になって家に篭る時間が増え、いつの間にかネットやSNSの中だけで分かった気になっている自分がいた。

そのことに気付いた時、上っ面ばかりのキレイゴト野郎になっていた自分が心底恥ずかしくなり、すごく気持ち悪い人間に思えた。とにかく一度、脳内に張り付いた常識をぶち壊さなければという、強烈な危機感があった。

そしてもう一つの理由は、どこかに自分の居場所を作りたいと思ったことだ。40過ぎて居場所づくりなんてイタいおっさんかもしれないが、フリーランスで仕事をしている私は、社会の中での居場所のなさを感じていた。いつでもリモートで仕事ができる環境よりも、出社する場所がある会社員の方がうらやましかった。

すでに出来上がっているコミュニティに入っていくのも何だか面倒で(それは自分の自信のなさや、つまらないプライドが邪魔をしているからなのだが)、色々と試してはみたものの、どれもあまり上手くいかなかった。

もはや自分が心地よいと思える場所は、自分で作るしかなかった。それは街角に佇む屋台のように、小さいながらも色んな人が集まってくる場所のイメージで、私は密かにその店主に憧れていた。

常識で塗り固められてしまった日常の隙間に、教科書の隅に落書きをするような、そんな余白を作りたいと思った。

ちょうどそんな時に、テレビで「聞き屋」という活動を取り上げている番組を見た。長野の聞き屋さん、名古屋の聞き屋さん、岐阜の聞き屋さん。長野の聞き屋さんは、聞き屋活動のことを「旅をしているみたいです」と言っていた。

私は直感的に「これだ」と思った。私も路上に出て、見ず知らずの人の話を聞きながら、正論ヅラした己の面の皮を引き剥がしたいと思った。

自己破壊と自己肯定をめざす旅。それが、私にとっての聞き屋台の動機だった。私はすぐにスーパーの段ボール置き場に行き、看板に使えそうな段ボールをもらいに行った。

そして今、70回ほど聞き屋台をやって気付いたのは、誰よりも話を聞いて欲しがっていたのは、この私だった、ということだ。聞き書きの名手として知られる作家の塩野米松さんは、「インタビューをする時間の半分くらいは自分がしゃべっている」と言っていたが、おそらく私も、誰かの話を聞きながら、自分の話も聞いてもらえるような「話し相手」を渇望していたのだと思う。

聞き屋台のリピーター

Tさんの一言

そんなこんなで、聞き屋台を続けるうちに、わずかではあるが、2回、3回とリピートしてくれるお客さんも出始めた。

なにぶん未経験で聞き屋台を始めたので(当たり前だけど)、何もかもが迷いの連続なのだが、そんな私の相談を聞いてくれるのが、冒頭に登場した「アドバイザリー姐さん」ことTさんだった。

「儲かってまっか?」と言いながら、ほろ酔いのTさんがやってくる。私は、Tさんが年末に広島に帰省した時に、80を過ぎた父親と、紅白で引退する加山雄三を一緒に歌ったという話が好きだった。

そして結局はいつも、私の方が話を聞いてもらう側になっている。聞き屋台のツイッターを始めようとした時も、聞き屋台のZINEを作ろうと思った時も、Tさんは静かに頷いてくれた。何ごとにも自信がない私は、いつしかTさんにあれもこれも相談するようになっていた。そんなある日、Tさんがボソッと私に言った言葉がある。

「もっと自信持ちなよ」

いまだに自信はないけれど、その一言は、いつも不安な私をそっと支えてくれている。

不器用なやさしさ

直球の質問を投げ込んでくる事務職OLの先輩・後輩2人組も、何度か冷やかしに来てくれた。決してツイッターはフォローはしてくれないが、聞き屋台が出没しているかどうかを検索して確認し、少し離れたカラオケ屋の窓から私の姿を目視してから、「寂しそうに立ってたから来てやった」と言ってやってくる。

「こういう人って、すぐ本とか出すよね」と、相変わらず直球を投げ込んでくる。

「お客さんの話をネタにするつもりはないから」と力強く否定する私。

だがしかし、当初は書くつもりなど一切なかったのに、結局いまこの文章を書いている不思議。いつの時代も、OLの人間観察力はやたらと鋭い。

先輩OLの方はいつしか一人で来るようになり、私は彼女をそのまま「先輩」と呼ぶようになった。

先輩は、来るたびに「今日、何人来た?」「どんな人が来た?」「何か面白い話して」と言い、自分の話をするのではなく、私の話を聞きに来るスタイルを確立したようだった。

私は、彼女が好きだというディズニー映画やアイドルを知らなかった。「SixTONES」というジャニーズのグループを知らず、「ストーンズ?へぇ~、ローリングストーンズ好きなの?」と聞き返して「ほんと聞き屋は何も知らねーな!」と呆れられることもしばしばだった。

先輩は、毎日一人で酒を飲んでいるのだという。先輩にとって、ディズニーやアイドルは、退屈で汚らわしい俗世を忘れさせてくれる夢の世界なのだそうだ。聞けば聞くほど、先輩には先輩なりのテリトリーがあって、それは傷つきやすい自分を守るための砦のように思えた。

そんな先輩がある時、自分の母親を連れてやってきた。母親と言っても、おそらく私と同い年くらいだろうか。母娘で東京リベンジャーズの脱出ゲームに行ってきた帰りらしい。

「ほら、いるでしょ?」と先輩。
「ほんとだ~」と母。

「あ、娘さんにはいつもお世話になっております」と挨拶すると、

「え、なんでやってるの?ヒマなの?」と、娘と同じストレートな質問を返してきた。言葉を選ばない先輩の質問スタイルは、この母親の血だと確信した。

その時、いつも強気な先輩が、母親に向かって蚊の鳴くような声でつぶやいた。

「聞き屋に失礼なこと言うな~」

私は、その一言を聞き逃さなかった。

きっと先輩は優しくて、不器用で、繊細すぎる人なのだ。そんな先輩の顔も、もうしばらく見ていない。あの窓から聞き屋台を見てくれているだろうかと、私は時々、ぼんやりとカラオケ屋の窓を見上げてみたりする。

待ちわびた知らせ

そういえば、受験で悩んでいたあの女子高生、どうしたかなぁ。合格発表だと言っていた日からしばらく経つけど、ダメだったのかなぁ、変なアドバイスしちゃったかなぁ。

なんて思っていたら、ある日、その子がタタタっと駆け寄ってきて、

「わたし、受かりました!!いまバイト中でお使いを頼まれているので、また後で来ます!」と言って駅ビルに入っていった。

うおおおぉう!!合格おめでとう!!

バイト終わりにやってきた彼女は、「いま、人生で初めて未来にワクワクしています!」と目をキラキラさせながら、友達と三浦半島を旅した話や、地域のコミュニティづくりに挑戦している話を聞かせてくれた。

本当はこういう顔で話す子なんだ。

バイト帰りの女子高生が、名前も知らないおっさんに将来を熱く語っている。それは二次元でもメタバースの世界でもなく、大寒のある夜、人々が足早に過ぎていく路上に、たしかに存在する世界線なのだ。

先輩は今日も来ない

Kちゃんのこと

ひとりぼっちの戦い

そして、最も頻繁に聞き屋台に通ってきたのは、Kちゃんという、あの不倫女子だった。

真冬の路上で、マスクの中で鼻水を垂らしながら、私たちは毎回2時間、3時間と話し込んだ。不倫の話だけでなく、彼女の生い立ちや家族のこと、大好きなアーティストのこと、これから先のことなど、人生の丸ごとを聞かせてもらったように思う。

Kちゃんは、九州から一人で東京に出てきて4年。幼い頃に両親が離婚し、父親はすぐに再婚。それ以来、父にはなかなか会うことができず、ずっと父親の愛情というものに飢えていたという。父親年代の男性に惹かれてしまうのは、その反動かもしれないと言っていた。

ある日、父の再婚相手から突然メールが来て、お父さんがすでに荼毘に付されたことを知らされたと言う。父親の存在を求め続けた心にぽっかりと穴が空いたまま、それはもう永遠に埋まらないという現実を突きつけられた。どうしても父親に会いたくて青森の恐山にも行ったという。

その後、母親も再婚し、「もう、お正月に九州に帰っても、帰れる家がないんですよね」と寂しげに笑っていた。年の瀬の夜、寒さに震えながらも、不燃物のような感情の廃棄場所を求めてKちゃんは何度も聞き屋台にやって来た。

彼女は一人で戦っているようだった。その相手は、ときに理不尽なビッグマックであり、ときに彼の2号の女だった。

どこかの会社の管理職であるビッグマックには、都内に会社名義で借りているマンションの部屋があった。ビッグマックは、2号にはKちゃんの存在を隠したまま、Kちゃんをその部屋に招き入れていた。そこには2号の化粧品や衣類が置かれていたという。

3号の座に甘んじる状況が数ヶ月続く中、ある日Kちゃんはクーデターを仕掛けた。

「こないだ私、その部屋に時限爆弾を仕込んで来たんです。畳んであった2号のパジャマの間に、私の下着とピアスをそっと挟んでおきました。どうせ彼は、どっちの下着かなんて分からないだろうし」

不謹慎を承知で告白するが、私はちょっとワクワクした。

それは、女同士の縄張り争いにおける強烈なマーキング行為なのか。はたまた2人に対する宣戦布告なのか。それとも、それは、ずぶずぶと抜け出せない負の連鎖を爆破したいという、自傷行為にも似たKちゃんの心の叫びだったのだろうか。

どこまでも下世話な野次馬でしかない私は、そんなKちゃんの本心を知らず、「時限爆弾が爆発したら、また話を聞かせてね」などと呑気なことを言っていたのだった。

もうひとつの悩み

ところで、Kちゃんには、もう一つ別の悩みがあった。

彼女は、契約社員としての契約が切れるタイミングで1年間の海外留学(ワーホリ)に行こうとしていた。が、会社側から正社員にならないか?という打診を受け、気持ちが揺らいでいた。もしかしたら、ビッグマックが会社の人事に何らかの働きかけをしたのかもしれない。

私はてっきり渡航の手続きは済んでいるのかと思っていたが、聞けば、飛行機のチケットも現地での滞在先もまだ何も手配していないという。

しかし、たしかにそれは、とても悩ましい問題だと思った。社名こそ聞かなかったが、おそらく大きな会社の正社員になれるのだ。

Kちゃんは、家庭の事情もあって大学に進学せず、高校卒業後は、とある九州の空港で働いていたという。とてもブラックな労働環境で身も心もボロボロになり、その後上京してスナックでも働いたという彼女が、ようやく掴みかけている安定だった。

いくら無責任な聞き屋台でも、さすがにそれを蹴って「海外に行った方がいいよ」とは簡単には言えなかった。フリーランスの私には、安定した職場のありがたみは身に染みてわかっているつもりだ。しかし正社員になれば、おそらくビッグマックとの関係も続いていく…

Kちゃんの旅立ち

そんなタイミングで、Kちゃんが仕掛けた時限爆弾が炸裂した。

パジャマの中から知らない女の下着が出てきて怒り狂う2号と、ただひたすらに平謝りするビッグマック。落語なら滑稽噺にでもなりそうな光景だが、実際は地獄のような修羅場だったに違いない。

ビッグマックは、2号の目の前でKちゃんとのLINEをすべて削除させられた上で、2号の前では自分も被害者ヅラをしてKちゃんを責めたという。しかしそれと同時に、会社の携帯から KちゃんにLINEを送り、「今、怒り狂う2号からお前を守っているから」というメッセージを送ってきたという。

(コイツは腐ってる…)

さすがに私も腹が立った。この男の身勝手のせいで、一体何人が不幸になるんだろう。ちょっとワクワクしていた自分、そして、責任を回避するために自分の意見は述べないという予防線を張っていた自分が情けなく思えた。

私は、意を決して、Kちゃんに対してずっと思っていたことを言うことにした。

「もう不倫は終わりにした方がいいよ。1年間海外に行って、人生の深呼吸をした方がいい。とにかく、飛行機のチケットだけでも先に取りなよ」

カッコつける気は毛頭ないが、ぜんぶ聞き屋台のせいにしてもいいから、とにかく一度リセットしてほしいと思った。彼女はまだ27歳だ。私自身28の時に会社を辞めて、未経験から今の仕事を始めたこともあり、帰国後でも正社員になるチャンスはいくらでもあると思った。決して大げさではなく、彼女は人生の岐路に立っていると思った。

そうしてKちゃんは機上の人となり、異国の地へと旅立って行った。

旅立つ直前、彼女は私に言った。

「私がいちばん最初に不倫の話をしたとき、聞き屋さん、今は恋愛を楽しめばいいんじゃない?みたいなこと言いましたよね。私、それは違うと思ってました。そういう言葉は求めてなかったです」

それは、何気なく出た一言ではなく、いつか言おうと思っていたというような、彼女の意思を感じる言葉だった。

それを聞いて、私の脳内で何かが弾ける音がした。それは、いい人ヅラをした私の保身を見抜き、打ち砕く音。私が聞き屋台で聞きたかったのは、この音だったのかもしれない。

Kちゃんはこの街が好きだと言っていた。九州から出てきて、都内を転々として、流れ着いた街。

私は彼女に、この街の地名がついた神社のお守りを渡した。帰る場所がないと言っていたKちゃんが、いつかまた聞き屋台に来てくれるといいなぁなんて思いながら、路上で2度目の夏が始まろうとしているこの街で、相変わらずボーッと立っている。

(完)


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