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介護の仕事をしていた時の話

 こんにちは。かれこれうつ病になってから10年くらいのゆあです。

 今回は、介護のお仕事をしていた時のお話をさせていただきたいと思います。ADHDとうつ病を患っている人が、介護のお仕事をするのは大変な事でした。よかったら最後までお付き合いください。

 私は、商業科に通っていたのですが、介護科みたいな学科もある学校で。高校2年生の時に商業科にもホームヘルパーの2級の資格を取らないかという話が舞い込んできました。私は、今後はお年寄りが増えるから介護の資格を持っていたらお仕事に困らないと考えて資格を取得しました。

 実際に資格の勉強をしたときに学んだことを実践できたのは、祖父の介護をしていた時でした。祖父は要介護5になって亡くなるまで在宅で介護をしていました。私は自分の事で精いっぱいだったので、要所要所で家族にアドバイスをしながら介護に携わっていました。在宅介護って急な用事が多いので、いつ呼ばれるか解らない状況にはいましたけどね。祖父が食べてくれないご飯を私が食べさせたりすることができたり、祖父が車いすを怖がるのですが、私が車いすを動かすと怖がらなかったり。そういう事があったので、祖父の介護に携わって貰っていた事業者の人達に、介護の業界に来なよと言われているくらいには介護のセンスみたいなものは持っていたみたいです。祖父の介護の詳しいお話や、亡くなる前の話などはいつかお話したい、むしろ聞いていただきたいなと思います。

 じきに祖父は老衰で亡くなり、葬儀が終わって少し経って落ち着いた頃。私はやる事がなくなったので、そろそろお仕事をしたいなと思いました。そして、グループホームのバイトの面接を受けました。一応、自分がうつ病であるという事は告白していました。バイトの面接で、社内見学をさせてもらったのですが、おばあちゃん達ってかわいいなと思って。大変だとは思っていたので不安はあれども、働けたら楽しそうと思っていました

 採用後、お仕事が始まりました。私はその頃まだADHDだという事を認知していなかった頃なのですが、まず料理を毎日大量に作るという所でつまずきました。早く料理できないんです、やり方が解らなかったのもあるんですけど、早く手が動かせないんです。意識すると一定時間は早くできるのですが、気づいたら手が遅くなる。私は行動が遅い事に関していつもすみませんと謝っていました。認知のある入所者さんにあまりご飯をこぼさずに食べてもらうコツなどを教えて貰ったらキチンとできたりしたのですが。ごはん作りがどうしても遅かったのです。

 あとは、要介護3くらいの人が沢山いるグループホームだったので、家に帰ると帰ろうとする人、相手が認知症という病気だと認知できない入所者さん同士で喧嘩。この辺は法律に触れてしまうので、あまり詳細は書けないんですけど。そろそろ100歳じゃないかと思われる入所者さんに戦時中のお話や、結婚の時にあった親とのぶつかり合いの話を聞かさせてもらえたり。中には孫の様に慕ってくれた入所者さんも居ました。凄く疲れるのですが、みんな元々悪い人ではない人病気で変なことを行ってしまう人なんですよね。正直言葉で入所者さんを雑に扱う人もいたのですが、私は全くせず。私は天使なんだと自分に言い聞かせて、いう事を聞いてくれない入所者さんへ怒りを抑えていました。むしろ、怒ってはいけないので、それが仕事ですし

 しかしある時、男性の入所者さんがどうしても散歩に行きたかったらしく、施設から出ようとしました。ちなみにここのグループホームは、入所者さんが施設から出ようとする事を声掛けで対処しようとしていました。今思うとありえないと思うのですがそれはさておき。私は、声かけで何とかしようとしていたのですが、エレベーターまで入られてしまい、どうしてもの理由で腕をつかみました。元々暴力に気を付けてねと言われていた入所者さんだったのですが、反射的だったのか私はお腹を殴られてしまいました。そのあと入所者さんともみ合いになり、自分勝手な行動をして止めようとしたら暴力を振ってきた相手に冷静さを欠きそうになりました。しかし、自分の職務は、怒らない事だとなんとか頭によぎってくれて。その場は冷静に何とかなって入所者さんにもとの席へ戻ってもらえました。

 大きな出来事はこれくらいなのですが、ほかにも沢山いろいろなことがありました。あまり言うのは良くないし、10割悪い人だった人はいないので。出来事の紹介はこのくらいで。

 さて、お仕事をこなすのがADHDで遅い私。自分が使えない人材である事は、自分でもわかっていました。使えないですが、自分なりに頑張っていて、定年を超えて再雇用されている先輩の一人には、自分からやることをやる子だと少しだけ認められていました。しかし、私にキツく怒ってくる人や外を一周しないと戻れなくなる場所のカギをかわれたり、いじめも受けていました。

 ある日、シフトが配られた時、私は週3回勤務の約束で雇って貰っていたのですが、週2回にシフトが勝手に減らされていました。私は、いろんな感情が湧いて、この時から数日で胃と腸が壊れてしまいました。そして、ついに出勤できないくらいお腹が痛くなってしまい、もう辞めようと思いましたが、新人なので辞めたいと言ったらその後1か月はもう地獄であるというビジョンが見えてしまって。悪い事なのですが、その後職場への連絡を絶ちました。数日後本社から辞めるのか、辞めないのかと聞かれる紙と退職願が郵送されてきました。私は手紙で体調を崩してしまってこれ以上は勤務ができる状態ではない旨と謝罪と、退職願を書いて退職をしました

 介護の業界って、今の環境では気遣いができる人ではなくて、神経の図太い人が適職なのではと思います。スタッフも皆ストレスを抱えていて、人に当たったりしていて余裕が無いイメージになりました。

 そして、どの職場でもそうなのかもしれないし、偶然職場が良くなかっただけなのかもしれませんが、ADHDで物事を早くできない人にはグループホームのお仕事は向いていないと感じました。あとは、うつ病の人にはさらにストレスのかかる職場なので、できることならば他の職場で働いた方が良いと思います。うつ病にかかる人はまじめなので、後腐れも気になったりしてしまいますしね。今でも私を孫みたいに思ってくれた入所者さんには申し訳が無いなと思ってしまいます、もう本人は忘れていそうですけどね。

 今回は、ここまでです。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
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それでは、良かったらまたお会いしましょう。
ありがとうございました。


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