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既婚ゲイの動揺

正直に申し上げると僕は、このnoteのアカウントを衝動的に作ってしまった。数日前の夜、たまたまYouTubeで「りょう君」を見つけてしまった。僕がりょう君と出会ったのは、確か教養の終わり学部2年のことであったと思う。いわゆる「出会い系の掲示板」で知り合った。僕より3つ年上で、背丈と体重は殆ど一緒、ただ違うのは「かっこよさ」と「知性」であった。彼はもともと工学部にいたけれども、フランス文学だの表象文化論などを勉強したいと思い立って、大学院で文転した。確か修士1年であった気がする。

初デートは忘れもしない、とある公園と神社をひたすら散歩するというもので、お互いのありきたりな話(Gayの世界における「今日は暑いですね」的なやりとり)をした後、哲学だの思想だの、彼が志す分野について、彼が熱っぽく話してくれて、それに僕がリアクションをする、意見する、うっとりするということを、ずっとずっと繰り返していた。殆ど歩いていたと思う。時々ベンチに座って、ぼーっと目の前を見て、その風景を共有した時間もあった。辺りは薄暗かったし、ちょっとだけ少し隣に行けば、その薄暗さが僕を助けてくれて、あの綺麗な手にそっと触れることができそうな、微妙な距離感がもどかしかったことも覚えている。夏の日の夕方、そこかしこでひぐらしが鳴いている。美しい彼の横顔、美しい彼の声——、うっとりとしながらも、こんな事を言ってくれた。

ゆういち君は、とても知性があって素敵だよね。とても好き。
君にはtheoretischというよりも、むしろromantischなものが貫いていると思うよ。君を動かしてやまないものはromantischなものであって、いつの間にか、theoretischな部分は後から付いてきている。

美しい声、その声によるドイツ語の響き、そして何よりその内容に舞い上がってしまったことを、昨日のことであるように、思い出して「しまった」。

その後、リエゾンというか関係を繋ぎ止める糸はぷつりと切れてしまった。彼を忘れるのには、かなりの時間がかかった。僕なりの涙ぐましい努力(例えば僕は、彼の連絡先をどうしても消すことができなかったから、携帯を物理的に破壊することまでしたのです笑)と精神的な自傷行為を重ねることで、一旦はなんとか忘れることができた。例えば「たいち君」との関係に悩み、他の色々な方との関係(一夜限りの関係も含む)を重ねていくうちに、彼の存在はすーっとどこかに消えてしまった。

彼には例の文転の他に、もう一つ夢というか野望があった。とある分野の音楽家になりたい、と。その詳しい分野は書けないのだけれど、風の便りで、その後彼は、その世界で徐々に知名度をあげて、現在はそれなりに活躍していることを知った。彼が演奏する様子を収録した動画がYouTubeにあることを知人が教えてくれた。それを知ったのは結婚前のことだった。本当に夢(仏文修士+音楽家)を叶えたのだな、と尊敬と羨望と感心が渾然一体となったように感情にどっぷりと浸かりながら(まるで長風呂に浸かるように)、その動画を見ていた。

真剣に演奏をする彼、知性と美しさは相変わらずだった。もちろんGayっぽさがにじみ出るあの仕草も、あの時のままだった。僕はなんとなく大学院に進み、なんとなく修士を終え、学校名にものを言わせて適当に就職し、適当に働いている。そんな僕との対比は、痛いような痒いような、ヒリヒリとしたそんな感じだった。もう彼は別の世界の人間になってしまったのだな、としみじみ思った。そのあと僕は、久しぶりに再会した彼を追いかけようとして、彼に関する様々な動画を検索するはなかった。あぁ頑張っているのだな、程度での感情を残して別の動画を観はじめた。

そこから数年たった先日、偶然にもまた再会してしまった。それは、演奏する彼ではなく、なんとリアルタイムのフリー・トークを収録した動画だった。画面の向こう側で、彼は自宅でリラックスをして、チャットからの質問に答えたり、昔の話をしていた。「わたくしは、昔からよく日記を書いていまして、その時々の感情や思いをそのノートにぶつけていて、誰にも見せたことがないのですが——」なんて語る彼に「いや僕は見せてもらって、その上読んで聞かせてもらったこともあるぜ〜」なんて内心ニヤニヤしながら聞いていたのだけれども、一方で、隠しきれないこの時の僕の動揺たるや、心臓の鼓動がバクバクと聞こえるようで、封印していたはずの感情が爆発してしまいそうな感じを覚えた。いやむしろ、封印していたことに驚いた。

あの声、あの雰囲気、あの知性溢れる優雅な雰囲気——、僕が追いつこうとしても、きっと永遠に追いつけない存在、永遠の憧れ——、そんな彼が軽やかに話している。なんとも生々しい再会だった。そして僕は不覚にも泣いた。別々の道を辿ったのに、それは周知のことで、分かりきったことなのに、なぜ。なぜだろうか。

まさと先輩も、りょう君も、たいち君も、つよし君も、その後どうしているのだろうか。僕はときどき、軽やかにそんなことを考えたことがあった。特に帰りの電車でぼーっと外を眺めている時に、考えがちであったのだけれども、車窓の風景がさっと飛んでいくように、その感情もポッと飛んで消えていった。思えばそれぞれの別れの時、僕はこの記事の画像のように「これから、別々の——」というフレーズが頭の中で何度もリフレインした。別れそれ自体はもちろん悲しいのだけれど、これからそれぞれが、別々の進路を、生活を、それも僕とは関係のない生活を送っていくのだなと考えると、むしろこちらの方が悲しかった。

高校時代からの友人のたいち君はよく、僕にクラシック音楽について教えてくれた。僕はどちらかというと、ジャズとか現代音楽(ケージとかフェルドマンとかシュライエルマッハとか)を何となく好んで聴いていたけれども、新しい世界を教えてくれた。ある音楽家に曰く「過ぎ去ったものの思い出ほど、ブラームスが大切にしたものは無かった」という言葉があることを、たいち君が教えてくれたことがあった。クラシック音楽にはあまり詳しくない(いや殆ど詳しくない)僕が、唯一覚えている言葉であり、彼とのsweetなシーンのひとつだ。同時に彼は、その時の雰囲気でブラームスのロマンス(作品118-5)を教えてくれた。この音楽を聴きながら、たいち君よりもまず僕は「りょう君への感情のコントロール」を必死に探っているし、十年以上も前のりょう君との思い出に、動揺しながら浸っている。

過去の書き物をどう記事にしようか悩む以前に、この動揺と音楽に完全に足を取られてしまった。特に3:17あたりからが、胸が抉られる。さて、この動揺をどうしようか。既婚ゲイは今日も、妻に、社会に隠れながら、この動揺に焦っている。


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