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【物語】おじいちゃんと口紅

平日のホームセンターは、それほど人が来ない。
もちろん、忙しい時間帯もあるし、時期によってまちまちだけれど、今日はとにかく暇だ。お客さんが少ないのもあってか、ぼくは2番レジに立って、化粧品コーナーから動かないおじいちゃんをずっと見ていた。

時どき、レジまわりの品出しやカゴの整理をしているのだけど、おじいちゃんは30分以上、化粧品コーナーで商品とにらめっこしている。

化粧品コーナーにおじいちゃんがいるのも珍しいし、そんなに長時間動かないお客さんも珍しい。おじいちゃん、化粧するのかな。ふと、想像する。いやいや、否定するつもりはまったくない。個人の自由だ。

それに、はじめて化粧をするのであれば、それなりの覚悟も必要かもしれない。人生の決断に、30分なんて少ないくらいだ。そんな大事な決断を、ぼくがアルバイトで働いている、このホームセンターでしようとしているのなら、光栄なことである。

一度、妄想がはじまると止まらなくなるのが、ぼくの悪い癖だ。けれど、してしまった妄想を取り消すことは容易ではなく、何か力になれないかと、レジのまわりに誰もいないことを確認して、ぼくはおじいちゃんのもとに向かった。

「何か、お探しですか」

ぼくは、おじいちゃんの後ろから優しく声をかける。おじいちゃんは、ゆっくりと首だけこちらに向けた。

「いや、口紅を、ちょっと」

なるほど、口紅か。はじめて化粧をするなら、まずは口紅。たしかに、子どものころ、姉ちゃんもそうだった。そして、すぐさまピンチに至る。ぼくに化粧品の知識など皆無だ。おすすめする力も、サポートする力もない。

だとしても、何か力になりたいのだ。ひとまず、おじいちゃんの唇を凝視する。どんな色が似合うだろうか。いや、待てよ。妄想の続きで、おじいちゃんの人生の決断だと思い込んでいるけれど、もしかしたら、ちがうかもしれない。まずは、確認。

「えっと、ご自分用ですか」
「いやいや、ばあさんに」

おじいちゃんは、笑いながら大きくてしわくちゃの手を左右に振った。優しい方でよかった。ともすれば、失礼なことを言ってしまっている可能性もある。でも、確認してよかった。

人生の決断でなかったのは、多少残念ではあるが、乗り掛かった舟だ。ぼくでも何かの役には立つはず。そう思って、おじいちゃんの話を聞いた。

おじいちゃんの奥さんは、1週間前に持病が悪化して入院されたそう。元気がなく、毎日ぼんやりと窓の外を見ているおばあちゃんに、なにかプレゼントしようと思って、口紅を見にきた、とおじいちゃんは話してくれた。

ぼくは胸がいっぱいになった。それに、ただのアルバイトのぼくに、そんな話をしてくれるなんて。役立たずでも、全力で力になるしかない。

「おばあちゃんは、どんな色が好きなんですか」
「ばあさんは、こんな色をつけていたんじゃけど……」

おじいちゃんが手に取ったのは、ミルクティみたいな優しい色だった。それも素敵な色だけれど、おじいちゃんは、さっきから長い時間迷っている。好きな色を知っているのなら、それをすぐ買うはずなのに。迷っている理由が、何かあるのだろうか。

「おじいちゃんがプレゼントしたいのは、どれですか」

ぼくは、おばあちゃんが好きな色と、おじいちゃんが似合うと思っている色がちがうんじゃないかと思っていてみた。おじいちゃんは、ゆっくりと別の口紅を手に取った。それは、綺麗な明るい赤だった。

「若いころは、こんな色が似合っててな」

昔を懐かしむように、おじいちゃんは赤い口紅を見つめていた。

「おじいちゃん、それにしよう!」
「いや、けどな。もう年だからって、使ってくれんかもしれんし」

「おじいちゃんは似合うと思ってるんでしょ?」
「そうじゃな。今でも、似合うと思うとる」
「じゃあ、赤だよ!」

おじいちゃんは「負けた」という表情で眉を下げた。ミルクティ色の口紅を棚にもどすと、赤い口紅を持って立ち上がった。ぼくは、業務用のマイクでプレゼント用の包装をお願いした。

会計を終えて、包装を待っているおじいちゃんは、これから大好きな人にプロポーズしにいく青年のように見えた。ぼくは、病室でプレゼントを渡すおじいちゃんと、受け取るおばあちゃんの姿を想像した。

「こんな赤い色、私、もう年ですし」
「お前には、これが似合う」

大丈夫、きっと喜んでくれる。おじいちゃんが悩みながら選んだんだから。誰よりもおばあちゃんのことを知っている、おじいちゃんが似合うと思ってるんだから。

「ありがとな」

帰り際、おじいちゃんは片手を上げて、ぼくに挨拶してくれた。

「ありがとうございました」

ぼくは、おじいちゃんの後ろ姿に、深く頭を下げた。赤い口紅を塗ったおばあちゃんと、これからも素敵な時間が過ごせますように。そんな思いも込めて。



▽▽▽ 朗読 ▽▽▽

stand.fmの朗読会で、
寿瀬さんに、朗読していただきました🌷

ぼくの詩は、43:15~ に朗読いただいています🌸

朗読は、こちらからお聴きいただけます。


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