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[短編小説]オレンジと象#cakesコンテスト2020

 部屋の天井にだいたい1メートル角の光が投影されていた。色はほとんどが青白く少し緑の箇所もあった。なぜその光に気づいたのかは分からない。きっと眠りが極端に浅かったのだろうと思った。ベランダを叩き、建物全体を覆っている流動体の気配がした。雨だ。

 だんだんと目が覚めてきてぼんやりとだが意識がはっきりしてきた。空気は乾燥していてたが、付けていたはずの暖房の音は聞こえてこなかった。その代わり隣からは息をする小さな音が聞こえてきた。

 ベッド下のデッドスペースに洋服をしまってある収納棚を並べてある。並べた収納棚は4つでちょうど良くシングルベッドの長手の幅に収まっている。いつも枕に近い方の収納棚を1つベッドからわざと少し出してその上にスマホ3台とイヤホン1つを置き、寝ている間に延長コードのコンセント口4つ全てに充電器を差し込んで充電するようにしていた。今夜はスマホを1台充電できなかった。

 ゴソゴソと体を動かし、手を伸ばしてスマホを1台ずつ手に取って通知を確認した。俺のスマホから投射された光ではない、彼女のスマホの通知だろうと思った。体を元に戻すと隣で寝ていた彼女はゴソゴソと音を立てて目を閉じたまま、あんまり寝れなかった、喉乾いた。と言った。
「ごめん、起こしちゃったよね、水持ってくるよ。」

 毛布から抜け出し、閉めていた引き戸を開けるとひんやりと朝特有の冷たさが体を包んだ。暖房は付いていたのだろう。引き戸を開けるとすぐ左手に冷蔵庫がある。その隣のシステムキッチン上部右側の食器棚からグラスを取り出し、冷蔵庫の上に置いた。冷蔵庫からペットボトルを取り出して水を注ぎ、俺はその場で冷たいグラスに口を付けた。飲んだ分を再び注いで彼女のところへ持っていくと、彼女は体を起こしてゆっくりと水を喉に通した。ありがとう、うん冷たいね。と言った。

「ねぇ、ラインの通知来てない?さっき天井が光ったんだよね。」
収納棚の上に置いてある彼女のスマホを充電器から取り外して渡すと、彼女は側面のボタンを押して確認してくれた。
「通知きてないよ。5時8分かー、はや、なんか今日全然寝付けなかったなー。」
「違うのか、じゃあ何だろう、他になんかひかりそうな物あったっけな。」
部屋にあるひかりそうな物を探そうと思った時、再び天井に光が投影された。

 投影されたその光は先程と比べて色彩が薄いように感じた。目が明るさに慣れてきたのだろう。光はテレビ台の上に置いてあった彼女のポケットWi-Fiのディスプレイ画面から発せられていた。文字が表示されていた。
”充電が不足しています。充電をしてください。”

ポケットWi-Fiの機器を手に取り、なんだこれか。と呟くと、
「ごめん、充電せずに置きっ放しだった。それ充電なくなってくると勝手にひかってアナウンスしてくるの。逆さにして置いとけばよかったー。」

 彼女は目を擦り、体を起こしたまま答えた。縮毛をあてている髪の毛先が外にはねている。前々から次の休日に行きたいと言って楽しみにしていた文京区にある岩盤浴、今日のお昼前にはお気に入りのピンク色のアイロンを駆使していつも通りのまっすぐな髪の毛に戻すのだろう。だけどそういうレアな姿はスマホで撮っておきたいという気分にさせられる。

暖房ついてるけど寒い?
「寒くはないけど、充電が不足しています。充電をしてくださいー。」
寝起きにも関わらず調子良く答えた。両手を広げて質量があるものを体幹で受け止める準備をし、カラコンを入れる前の黒目がこちらをロックオンしている。闇に潜む猫が興味ありげに人間を見る眼差しみたいに。

「なんだよ、いつからそんなポケットWi-Fiみたいなアナウンスするようになったんだ。」
その冗談に笑って答え、彼女の胸の中心めがけ勢いつけて押し倒すと、ぐへっとどこから出たか分からない声が漏れた。ベッドのポケットコイルが勢いを吸収してくれたが、それでもベッドが上下に弾んだ。ハグをし、軽いキスをする。彼女の体は温かく、唇は少し冷たかった。

 毛布の中に入り込んだ。体温で温まっていた毛布が心地良く、安堵してすぐにでも眠ってしまいたかった。何か食べたい?と目をつぶったまま一応聞くと、ヨーグルトが食べたい、と答えた。ヨーグルトくらいなら用意できるなと思い、またすぐに毛布から出た。フレンチトーストなんて言われたら、作る手順が頭に浮かんできて億劫になって眠りについただろう。ヨーグルトくらいなら準備しよう。引き戸を開けると冷気が再び体を包む。冷蔵庫の中のヨーグルトを手に取った時、こちら側から彼女の姿は壁で見ることができないが、また1つ注文が聞こえた。
「チャイ飲もうよー。チャイっ。」

ちゃい?
あ、チャイか。
「チャイラテのチャイだよね。」
壁の向こうから、そうだよー、と返事が引き戸の隙間から漏れてきた。

 2週間ほど前に最寄り駅近くのカルディでチャイの粉末を仕事帰りに初めて買った。もともとシナモンの香りとスパイスの効いたチャイラテが俺は好きで、冬になるとカフェに行っては飽きずにこればかりを頼んでいた。彼女にチャイを買ったことを言った覚えはなかったが、早朝にチャイを飲むのは悪い気がしなかった。そのまま意見を受け入れ、システムキッチン上部左側の食品棚から未開封のチャイの粉末袋を取り出した。

 チャイの粉末袋はデザイン性が高い商品だった。焦げ茶色のChaiという文字、白色の象のイラスト、背景の基本色はオレンジだった。店内でチャイの粉末袋を見かけた時、ダンボールに大量に詰め込まれていた。きっと人気商品なのだろうと思った。

 部屋に戻らずそのままキッチンでお湯を沸かし、白いマグカップにチャイ1杯分を作った。玄関の扉に埋め込まれている縦長のガラスから光が差し込み、ゆげが立ち上るのが見える。冷たい空気がインスタントのチャイを冷やしにかかっている。

 部屋に戻り彼女に声をかけると小さな返事があった。寝ているわけではなかった。ベッドの高さにちょうどいいナイトテーブルはなかったのでそのまま床に置いた。テレビ台の上に逆さに置き直したポケットWi-Fiの文字表示は相変わらず変わっていなかったが、ポケットWi-Fiによると今の時間は5時28分だった。雨音はもう聞こえなかった。

チャイできた?
体を起こしたので床のマグカップを手渡した。
俺は床に座り、彼女は慎重に口をつけた。
「チャイ美味しいよな、カルディで買ったんだ。象がイラストで載っててさ、パッケージがなかなかオシャレなんだよ。」
「チャイ、インドっぽいよね。象もー。」
はい飲みな、と渡してきたので俺もマグカップに口をつけた。熱い液体が喉を通り、辛味だけが喉の奥に残る。その辛味を流してしまおうと、また口をつける。体が温まり、辛味に慣れてチャイの後味に舌が楽しめるようになっていく。
「チャイって久しぶりに飲んだ気がするなー。いつも紅茶ばっかし。」
紅茶もインドっぽいなと言うと、彼女はインドのアフタヌーンティーに行ってみたいと言った。
「インドにアフタヌーンティーなんかあるの?」
「知らないよー。インドなんか行ったことないもん。」
「俺だって行ったことはないよ。でも、俺が尊敬するデザイナーのケンスケさんはインドに行ったんだって。それでインドに刺激を受けて新しい洋服を作っちゃったんだってさ。」
彼女は毛布の中に入った。顔だけがこちらを向いている。そろそろまた寝るつもりなのだ。この話でも聞いたら。
ケンスケさんってどんな人ー?

 ケンスケさんは熊本市の上通町にあるアパレルショップで出会った。中学校の友達の影響で洋服が好きになり、千葉で大学生活を送るようになった頃には自分一人でも古着屋やアパレルショップに訪れるようになり、様々な洋服を物色するのが趣味になっていた。

 大学でなんの講義を受けていた時かもう覚えていないが、”成田空港 飛行機 国内線”でスマホで検索してヒットした成田空港から熊本空港への出発便のチケットは大学生でも容易に手に入れることのできる価格だった。九州には一度も行ったことがなかったため、その飛行機のチケットを取って旅行に出かけた。

熊本空港から熊本市まではバスを使った。熊本市の通町筋付近のバス停に昼には降りることができたが、バスを出て歩くとすぐに汗が噴き出してきた。

 時期は夏で千葉よりも暑かった覚えがある。冷房の効いた店に入るのは当然だったが、暖簾をくぐる店はもちろん洋服が売っている店だった。1件目、2件目、と飽きずに何件もはしごし続け、夕暮れ前に何の気なく入った店の中にケンスケさんはいた。

 出会ったその店は「ジハード」という名前の店だった。1階建てで、店前のマネキンには黒色のTシャツに見慣れないシルエットの7部丈のジーンズが着せられ、首に"OPEN"と白字で書かれた木のプレートがかけられてあった。外から見えるショーウィンドウには、人形や置き物が数多く飾ってあった。異形な表情をしたものが多く、歯茎のでた猿、キョンシー、ハルク、充血した目玉、骸骨、チャッキー、首吊り自殺した羊、と様々だった。
玄関扉の目の前に”Jihad"と書かれた靴ふきマットが外に出ており、扉枠にはめられたガラスから透けて見える店内は薄暗く、エスニック系の洋服が飾られていた。

 店に入ってすぐ黒縁メガネをかけた店員さんが奥の方に見えたが、すぐ左に3人がけの木製ベンチにロン毛の男が寝転んでいたことに気づいた。ベンチの目の前の600ミリほどの細机には金麦が6缶ピラミッド型に積まれてあった。店内を見渡すと、エスニック系の洋服は壁やハンガーラックに吊るされ、ショーケースにはリングや首輪といった小物アイテムが置かれてあった。

 物色を始めようとTシャツの掛かったハンガーに手を取った時、そのロン毛の男が起き上がり声をかけてきた。
「その服かっこいいっちゃねー。」

 そのロン毛の男とはそれから二時間ほど話した。話した内容はあまり覚えていないが、分かったことは彼は人間的にとても魅力的でケンスケという名のファッションデザイナーということだけだった。デザイナーという職業に会うのは初めてだった。どんな洋服を作っているかはその時に聞かなかったが、熊本から千葉に帰った後のある日、月間ファッション雑誌のスナップにケンスケさんが載っていたのを見つけた。

名前:ケンスケ
年齢28歳
職業:デザイナー
熊本と高円寺で自ら手がける洋服を販売

 そのスナップを見た後は、土日になると高円寺へ通った。ファッションのお店が乱立している為、目的のものを見つけるのは難しかったが、店の人に聞き込みを続けてようやくケンスケさんがデザインした洋服を見つけ出した。

「その洋服を高円寺で手に取った時は感動したなー。たまたま熊本で会った人が高円寺で洋服出しててさ。そこの店員に言ったんだよ。この洋服を作った人に俺は会ったんだって。そしたらさ、今君が取ってる洋服はケンスケさんがインドに行ってインスパイアされて作ったんだよ、知ってる?って言われてさ、興奮したなー。だってさ、熊本もインドも高円寺も何かが繋がって物って出来上がってるんだぜ。何かがさ。」

 ケンスケさん好きなんだねー、彼女はそう言ってゆっくりと横向きから仰向きになった。そろそろ寝るか、床に置いたマグカップに手を当てても熱くはなかった。時間を確認しようと立ち上がり手に取ったWi-Fiの充電はもう尽きていた。時間をスマホで確認せずに毛布の中に入るとその暖かさに驚いた。体がすっかり冷え切っていた。彼女は冷たいねーと言って、手を握ってくれた。

早く寝ような。昼には岩盤浴行くんだろ?と聞くと、そうだったー、と嬉しそうに笑った。
「そういえば俺がチャイなんで買ったって知ってたの?」
「インスタのストーリーだよー。」
あ、インスタのストーリーか。そういえば投稿してたの忘れてたな。SNSをチェックしていれば、どこで何を買ったのかも分かったり、想像もできる。ただ、何かが繋がっている感覚はない。情報が記憶から切り離され過去にそのような情報が独立して存在している、というような気がした。

 頭の中でごちゃごちゃと考え事をしていたら隣から静かなリズムで息をする音が聞こえてきた。しばらくその息の音を聞いていると、俺にも緩やかに睡魔がやってきて深い眠りにおちた。

 その日、夢を見た。岩盤浴に男女が2人。岩盤浴の漆黒の石を境に砂漠が永遠と四方に広がり、2人は舞踏を鑑賞して笑い合っている。岩盤浴の周りをぐるりと囲んだ砂の上で象と踊り子はオレンジのインド綿でできた服を身に纏い、宮殿が浮かび上がった蜃気楼を背にいつまでもリズミカルに舞い踊っていた。



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