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書ける日々のありがたさを気づかせてくれて、ありがたかった話

ざっくりこんな話

  1. いつまでも書きつづけられると、当然のように思ってた。

  2. 脚本の学校に行きはじめて早々に、病気が見つかる。

  3. 書く意味がわからなくなって、書けない。

  4. 素直に“本当の夢”をめざすことにしたら書きたくなった。

1,デザートは最後のお楽しみ

ある日雑貨屋さんで一枚のポストカードに目が止まった。
「Eat dessert first.」
コース料理を出す店でお品書きにこう書いてあったらケーキやシャーベットから出てきそうだけど、そうじゃない。日本語訳は書かれていなかったけど、「人生は有限で、好きなこと、楽しいことからやってしまいなさい」と言っているんだと解釈。いいこと言うなあと購入。100均のフォトフレームに入れて部屋に飾った。

それから数年、毎日目にしていたせいか、風景の一部と化して、Eat dessert firstに生きようともしてなかった。
当時のわたしは純文学系の小説を書いていた。小説の通信添削で選ぶ素材や文体が純文学向きだと言われたからだ。物書きとして世に出るためにはまずは認められること。まずは適性があるところで実績をつくろう。それから純文学以外のジャンルに移っていけばいいと思っていた。
題して、物書きデビュー作戦!
ケーキを食べるために、嫌いなニンジンやキュウリをがんばって食べるようなもの。人生が有限ってことを忘れて、悠長に遠回りしようとしていた。むしろ「夢のために、わたしってば戦略的~☆」とすら思っていた。

人生そうそう思い通りになるわけもなく。
純文学らしきものを書いて、地元の小さな文学賞で受賞したこともあるけど、実はわたし、純文学が好きじゃない。
小説を書き始めたころ、名作を読んで勉強しようと田山花袋の『布団』から読み始めたのがマズかったかもしれない。文学の味わい方もなにも知らないで読んだからか、なにがおもしろいのかさっぱりわからず、主人公にイライラしっぱなし。純文学はおもしろくないと思い込んでしまった。だもんだから、通信添削の講師に純文学に向いていると言われたときはショックだった。それっておもしろくないってことですよね? と。がっつりコンプレックスになっていた。
物書きデビュー作戦のために、2年くらいコンプレックスを抱えたまま、純文学系の作品を書いて文学賞に応募しつづけた。でも芽が出なかった。地元の小さな文学賞で受賞したこともあるけど、全国規模の文学賞ではせいぜい一次通過。
好きでもない物語を我慢しながら書く。先が見えない。もー嫌だ! と方向転換を決意。同じ小説を書くにしても、エンタメ性のある物語のつくり方を教わって、おもしろいと言ってもらえる作品をかけるようになりたいと、脚本の書き方を教えるスクールに通い始めた。

2,あ、あとどのくらい生きられますかね?

ところがである。
脚本の基礎を学ぶコースを終えて、さあいよいよコンクールに向けてモリモリ書いていきましょうというときだった。病気が見つかった。
お医者さんも看護師さんも病名をはっきり言わない。健康診断で「ソレ」が疑われて、かんたんな検査から大掛かりな検査へと進んでいく1か月くらいの間、一切「ソレ」の名を口にしない。怖くなって「これってつまりソレですよね? 悪い状態ですか? あとどのくらい元気でいられるんですか?」といろいろ聞いてみるものの、かたくなにソレの名を言おうとはせず「検査が済むまではなんとも言えない」の一点張り。彼らはいじわるでそう言っているのではない。間違ったことを言うわけにはいかないから、確定するまでは口が裂けても言えないのだ。
わかるよ? わかるんだけどさぁ、である。わたしとしては経験上の「たぶんこうだろう」的なことでもいいから、なにか知りたい。できれば安心できる言葉がほしい。それがないから持ち前のマイナス思考が加速する。
ああ、きっともうダメなんだ。入院して、手術して、死んだ方がマシなくらいの治療が始まって、骨と皮だけになって死んでいくんだ。
ドラマとかでよくある、可哀想な患者の悲惨なシーンを思い浮かべて、絶望する。結果が出るまでの1か月間の記憶がない。

結論から言うと、検査の結果やはりソレ、いわゆるがんだった。かる~い感じで主治医いわく「できたてホヤホヤやね!」。ステージでいうと、0(ゼロ)。がんと言われたことよりも、ステージにゼロがあったことに驚いた。切除して1週間入院して、それで終了。抗がん剤や放射線治療も必要なく、通院は半年後。

3,もっと楽しいことあるよね?

そんなこんなで、ひとまず病気ですぐに死ぬとか寝たきりになるなんてことはなくなった。ならば脚本のコンクール用作品の執筆に取りかからねば! 講師に添削してもらわないと授業料がもったいない!
……と頭ではわかっているのだが、Wordを立ち上げられない。書けない。
書いた先になにがある? 作品を書いたところで評価されるの? 才能ないのは確定じゃん? マンガやアニメ観まくったり、友だちと飲み歩いたり、旅行したり、もっと楽しいことたくさんあるよね? Eat dessert first! 人生短いのに、なれるかどうかもわからない物書きめざすとか時間のムダでしょ!
今まで気づかないふりをしてきた現実的な考えがじゃんじゃん湧いてくる。
脚本の授業に出席はしても講師の言葉が耳に入らない。他の生徒さんたちは悩みながら書いているのだけど、そんな姿を、みんなよくやるよなと冷笑。書くことがバカバカしく感じるようになってしまった。もう嫌だ。物書き志望なんかもうやめよう。これからは楽しいことだけやろう。
そう思ってみたら、ほっとした。

そうこうしているうちに半年の授業が終わった。
事務局から更新するなら授業料振り込んでねとメールがくる。退会届け的なことはしなくていい。放っておけばそれで終了。
な、の、に。
メールが来たその五分後には更新する旨を返信して、翌日には授業料を振り込んでいた。このお金で近場のちょっといい旅館に行けるなあ。美味しいもの食べられるなあ。頭をよぎるけど、振り込む手が止まらない。

4,ほんとはね、

がんの疑いがあって検査している間、苦しい治療も延命治療も嫌だから、どこかの段階で終わりにしようと考えてた。もっと海外旅行したかったとか思ったけど、そのへんはあっさりあきらめがついた。
でもひとつだけ。自分が考えた物語がアニメになって、それを観る!という夢が叶わないのがさびしかった。どうにもあきらめきれない。なんのために生まれたんだろうなと思いそうで怖かった。
40過ぎてアニメがどうのとか、ましてやその原作者になりたいとか、いい歳して恥ずかしいことのような気がして誰にも言ったことがなかった。自分でも気づかないフリをしていた。
でも変わった。死ぬ間際に心残りを後悔するくらいなら、<好き>に忠実になろうと思った。死の恐怖を味わったからかな。それはもうころりと考えが変わった。なので大発表!
ほんとはわたしはアニメが好き! 自分の物語がアニメになってほしい!

脚本のスクールでのわたしの担当講師はドラマの他に漫画原作や小説など幅広く活躍している方。わたしがスクールをやめなかったのは、この環境を手放したくなかったから。民放のドラマを手掛けて、エンタメを知り尽くしていて、小説も書ける人に見てもらえるなんてなかなかない!
恥ずかしいとかはもうどうでもいい!相談してみよう!
ネタ帳の中からラノベ向きのプロットを講師に見てもらったところ、「脚本の教室ではあるけど、小説もアドバイスできるから書いてみて」とのこと。やったー!

講師の言葉のおかげでWordを立ち上げることができた。ラノベのプロットを書きはじめられた。そしたら脚本コンクールにも応募したくなった。書けなかった日々がウソみたい。

つくづく思う。今のところまだ元気なこと。親も元気で、安心して書ける環境があること。自分の時間が持てること。応援してくれる人がいること。良い講師に出会えたこと。
これも死の恐怖を味わったからかな。いろんなことが、実はいつでも突然失われる可能性があって、だからこそとてつもなくありがたいことなんだと気づけた。
病気による切除でできた傷跡に、今はもう悲しいとか喪失感とかはない。見るたびに、わたしを取り巻くありがたいことすべてに、ありがとうって言ってる。言えるようになったこともまた、ありがたい!

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