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【短編小説】 日陰の恋 (1/4)

 この部屋は、窓辺であってもとにかく寒い。外にいるより寒いのではないかと思うほどだ。私の家が築三十年を越える、気密性の気の字もない古アパートであるうえ、目の前にそびえる三階建ての建売住宅が四六時中日差しを遮っているのだ。忌々しい、まるで鉛筆のように細長いペンシルハウス。その玄関を見張り、もう20分は経っただろうか…。遠くから、バイクの音が近づいてきた。
 
 新聞配達のバイクでやってきたその人は、手慣れた様子でペンシルハウスのポストに朝刊を突っ込むと、再びバイクに跨って消えた。私の目にその人が映っていたのは10秒にも満たない時間だったろう。でも、あの人の姿を少し見れただけで、きょう一日をなんとか乗り切れるような気持ちになれるのだ。

 その人を初めて見たのは半年ほど前のことだった。一夜漬けでテスト勉強をしていた時、なにげなく窓の外を眺めると、あの人が通りがかったのだ。それ以来、ずっと気になっている。別に見た目がカッコいいというわけではない。彼は私の存在に気づいてすらいないのに、私は窓辺から彼を見ることができる。そんな一方的な関係が心地いいのだ。ふすま越しに、お母さんの足音が聞こえる。
「春菜、起きてるの?」
「うん、起きてるよ」
また、憂鬱な一日が始まる。

 私がアパートを出ると、向かいのペンシルハウスからちょうど真樹が出てきた。
「あっ、おはよう」
精一杯の明るさであいさつしたつもりだが、真樹には何の効果もなかった。
「何ニヤついてんの?」
「別にそんなことないけど…」
「あーめんどくさ。私に深堀りしろってこと?」
「…え?」
「どうせ今日も新聞配達の人見れたーとか、そんなことでしょ。本気なの?話したことあんの?」
「いや、ないけど…」
「恋に恋しすぎでしょ。あっ、わたし先行くわ!」
前を歩く仲良しグループを見つけると、真樹は私を置いて駆け出して行った。

 真樹は2年前の高校入学を期に、両親と共に建売のペンシルハウスに引っ越してきた。当初は私にも愛想が良かったが、すぐにスクールカーストの最上位に居場所を得た真樹は、私に対し、あからさまに見下す態度を取り始めた。
 数週間前、私としたことが、なぜか機嫌のよかった真樹にのせられ、新聞配達の人が気になると話してしまったのだ。それが命取りになり、顔を合わせればいつもその話題。いったい、いつまで真樹のイジりは続くのだろうか。それを思うと、さらに憂鬱な気分に襲われた。

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