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スマホカメラと比較して、所謂カメラのメリットは、撮っていて楽しい的な記事を幾つか目にして、私は創作におけるハレとケについて考えていました

スマホカメラと比較して、所謂カメラのメリットは、撮っていて楽しい的な記事を幾つか目にして、私は創作におけるハレとケについて考えていました。

先日、散歩に出掛けて、写真を63枚撮りました。iPhoneカメラ。私は毎日、写真を撮ることはなく、作曲も最低1ヶ月に1曲ペースをキープしています(気分が乗れば2曲程度)。
ほぼ毎日行っているのは模型制作で、これは歴が関係しているのではないだろうか、と。

私の場合、音楽制作を始めて、数年間は1週間に1曲以上のペースで電子音楽を仕上げていました。5年程度、このペースで作曲を続けて、今は1ヶ月に1曲程度で十分だな、と思うのは、私にとって、同じようなアンビエントミュージックを作っているからで、量より質になったし、作ること自体に楽しみというか、テンションが上がらなくなったからだと思います。
先日の散歩撮影にて、「早く帰りたい」「寒い」「めんどくさい」と後ろ向きなことをぼやきながら、私の中に居るであろう、もう1人の私が、「ここ良いんじゃない?」とか「ここ撮りたいな」と言ってくるので、主人格の私は、めんどくさいなぁ、と思いつつ、iPhoneをポケットから取り出して、写真を撮るのでした。何か「ヒカルの棋」みたいです。
さらに、見えている被写体の声も聞こえてきて、撮って欲しそうにしているな、とか、そういうのも無視出来ないので、仕方がなく撮っているのもあります。

普段の私は、ゲームで遊んでいます。Switchのオーバーウォッチ2。マッチング時間が、長い時は20分以上あるので、最近はABEMAでアニメやドラマをながら見しつつ、待ち時間に読書をしています。「他者の苦痛への眼差し」「キャパの十字架」「虐殺器官」を読み終えて、今は「シェルブリット」。

こういう生活を送っていて、そろそろ創作しようかな、と思ったら、創作に入ります。この時には、作曲ならば曲は頭の中でだいたい出来ているし、写真だったら「声」が聞こえるので、あまり創作で工夫したり、苦労することがありません。
頭で考えない。手を動かすだけ。そうすれば出来ている感覚で、そこまで楽しいとは感じませんし、自己満足もあまり感じません。
模型制作を毎日続けているのは、日課にしようと決めたのと、間を空けると模型制作がイヤになるのではないか、と思うからで、模型制作は、正直、めんどくさい作業が多く、さらに、間を空けると、どこまで制作をしたのか、次は何をしようとしていたのか、頭の悪い私は忘れていて、やはり面倒になってしまいそうです。
しかし、模型制作は、満足感があります。これは、私の歴が浅いからかも知れません。木の模型を作っていて、余った木片が沢山あるので、その内、フルスクラッチで木の模型を作りたいな、と考えています。粘土細工やフルスクラッチで模型制作をしてみて、私の中で何かが変わるのか、つまり、説明書を自分の頭の中で創作することによって、「私の模型作品」を生み出し、模型における私のアート魂に火が付くのかどうか。

散歩をしていて、写真を撮りつつ、小石を拾いました。石は良いですね。それに、ジオラマに使えそうです。
石を物色しながら、地面に落ちている枯葉の模様や色加減に魅入られました。素晴らしい。模型塗装の参考になります。

私は鬱気質だと思いますが、鬱気質をケとすれば、ハレへの助走になるのではないでしょうか。「芸術は爆発」で、ケを導火線として捉えてみれば、導火線の長さ、太さが、ケである普段の生活の処し方に関連しているかも知れません。

公園で菜の花が咲いていたので、撮影しましたが、撮影する前から、今の私では上手く撮れないだろう、と直感していました。何故ならば、今の私では、菜の花を撮る心の準備が整っておらず、それは、私の体感季節がまだ春ではないからです。寒かったり暖かかったりする季節の過渡期の中、私はまだ春ではありません。
それでも撮ってみる。春だなぁ、と感じ入って、コーヒーを飲んでみる。

「創作=私が生きる」ことならば、創作が楽しいわけでも、辛いわけでもなく、当たり前の行為です。
当たり前なので、間を置いて、覚束ない私になるまで待ってみる。冬から春にかけての過渡的な光線が目映く瞬間、春から冬へ還っていく鋭い光線が私の網膜に入り込み、私は2つの季節に分裂しながら、統合される時を待っています。

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