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パーツが折れてもエンゲージ

昨日、配信をしながらエンゲージSR1の頭を組んでいた。リスナーさんが、私キッカケでモデラーになった方なので、最近の模型活動を聞いてみたら、プラモデルのパーツが折れたところで制作を中断しているらしい。
パーツが折れると、心も折れる。そして、エンゲージSR1を組んでいると、ポキポキ折れる。
ちょうど、リスナーさんのパーツが折れた話をコメントで読んで、お話をしているところで、エンゲージの額部分が折れてしまった!

お顔。折れる。目立つ。

仕方がないので、接着剤で付け直す。仕上げの時に、塗装で修正して、少しでも割れ目が目立たないようにしよう。
こんなことで悄気てはいけない。リカバーすればいい。プラモデル作りを通じて、私はリカバーすればいい、ということが分かった。
もし気に入らないならば、同じキットを買ってきて、また作ればいいじゃない。とにかく作り上げること。気に入らなくても、ガッカリしても、作り上げてみる。これもまた修行なり。

今朝も模活をして、WAVEのエンゲージSR1、手の組み立てだけになった。9割組み立て完成かな。もうね、パーツがカッコいい。腕や足だけでカッコいい。

パーツが折れてもエンゲージ。

写真の話をする。
たまたま美的感覚についての記事を読んで、例えば、エンゲージSR1は美しい。永野護デザイン。

美というのは、容赦なく訪れる雪崩のようだ。

だから、昔から私は、「美しい」をあれこれ言いたくない。エンゲージは美しい、何故ならば、永野護デザインだから。以上。

ゴティックメードの雑誌も買ったのだ

美とは感嘆である。ファイブスター物語を読んで感嘆。モーターヘッドの模型の雑誌を眺めて感嘆。自分でモーターヘッドのプラモデルを組み立てて感嘆。感嘆まみれの人生。

美的感覚が分からない人とは、生きていて感嘆をしない人である。

日の出の写真

早朝、公園へ散歩に出掛ける。まだ薄暗く、やがて、日の出を迎える。陽の暖かさ。太陽。
ありがたし。

太陽があるから、この世界は生まれた。太陽があるから、この世界がある。

天照大御神。

日の出を迎えて、当たり前だと思っている人に、感嘆などないだろう。日は東から昇って、西へ沈んでいく。この繰り返し。この繰り返しが人生。
生きているのが当たり前、在るのが当たり前、と。

さて、写真には写真言語がある。映像言語と言ってもいい。
光、色、線、構図、形、アングル、表情、などなど、全ては写真言語であり、言い換えれば、パーツである。
写真とは、「認識」という意味で、パーツの組み合わせによって成立している。
これを「理性」と言うらしいのだが、人間は、悟性を理性へと統合的にまとめることで、認識している。

世界は既に在る。

これを、例えば、フィギュアだとしてみよう。すでに完成品。写真をフィギュアだと考えているのならば、写真について考えることは少ないだろう。理性だけで写真を撮っているのだから。
写真をプラモデルとして考えてみれば、写真とはパーツの組み合わせによって出来ているから、パーツの1つ1つとして、考えることが出来る。さらに、パーツの表面処理まである。つや消しなのか、光沢なのか。ヤスリ掛けをして、クリアー塗料を塗布して、コンパウンドで細かく磨く、とか。

絵を描く。絵とは、パーツの組み合わせである。
作曲も、音の組み合わせである。プラモデル制作もパーツの組み合わせ。
私からすると、創作とはパーツの集合体で出来ている。

写真をパーツにまで分解してみる。写っている要素を逆算してから分解して、頭の中で組み合わせ直してみる。
これは、理性から悟性へと変換して、もう一度、理性へと至ることを意味しているだろう。私にとって、悟性とは写真言語であり、「感覚」なのである。

美的感覚は、悟性からやって来る。日の出の暖かさ。
これを「美しい」と感じ入ることが、理性へと至る認識の過程なのではないだろうか。

当然、認識には速度があるのだが、ここでは煩雑になるので、割愛しておく。

写真を理解するのに写真だけやっていればいい、というわけではあるまい。
プラモデルを作る、作曲をする、哲学書を読む、色々なことが、写真に繋がる。

ところで、ドヤって俺の写真は上手い、俺ほど写真について考えている人間はいない、と言っているYouTuberフォトグラファーの動画を見て、動画内のポートレートを見たのだけど、私からすると、どうってことがなかった。
何故ならば、この撮影者は、写しているモデルの女性について、人間的なことを考えていないからで、私は写真を見ていて、人間的な興味を抱けなかった。
浮世離れしたポートレートフォト(例えばファッションフォトなど)ではなく、スナップショット。日本国内の港で撮られているようだけど、海の匂いも写真から感じさせなかった。つまり、モデルだけではなく、風景=場所=世界についても考えていないし、見てもいないのが分かった。
写真の技術的には、決して下手ではないのだけど、こんな写真ならば、港付近に住んでいる素人カメラマンが、自分の子どもを連れて、港へ散歩したついでに撮った日常的な家族写真の方が、よほど良い写真になる。
そして、ドヤって「俺の写真は上手い」と言っても、画家であるマネの人物画と比べるまでもない。

普段、ここまで書かないけど、動画内でドヤっていたから、書いてみました。

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