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過去のヨワヨワ自分を思い出したら、今の私は意外と強化されてる

台風に負けずに、近所の喫茶店に向かった。

ウォータープルーフ仕様の赤いスニーカーの靴紐を結びながら、ふと就活のときに処方せんを手に精神薬を処方して欲しい、とクリニックで折れなかったことを思い出した。

はじめての企業面接で、私はは◯がわ社に行っていた。お仏壇のかの企業だ。メーカー系でもなくIT系でもなく、思い返せばあの頃から見えない世界や精神的なものに惹かれていたのかもしれない。

が、最後の最後で、うろ覚えだが家族関係の質問が出たときに、なぜか私は涙が止まらなくなって答えに詰まってしまった。堪えながらやっと「両親に恩返しをしたい」と絞り出し、結果御縁はなかった。(今思うと双方のために良かった)

あの頃は気づいてなかったが、心の奥で「親に優しくなくてひどい娘だ、ひどい人間だ」という考えが渦巻いていたので、それが刺激されてしまったのだと思う。

けれど、当時の私は焦った。就活は乗り越えないといけない。さすがに、面接で似た質問が出るたびに泣いていたのでは内定なんてもらえるわけがない。

記憶は定かでないが、当時学校か外部にいたメンタルカウンセラー的な立場の人に並行して話を聞いてもらっていて、相談をしたら精神薬の紹介状のようなものをくれた。

聞くと、緊張が緩まる効果があって、海外では大人が講演の前に飲むこともある薬らしい。それはいい!絶対必要だ!喜び勇んで家の近所のクリニックに行ってその封筒を出したのだが、受付の人には怪訝な顔をされた。

言いにくそうにその人が言うには、私が訴えている状況と、その薬の作用がどうも噛み合わないらしい。

でも私は折れなかった。とにかくそれがないと企業面接が通らない。

「本当に必要なんです。本当に」

あんなに言葉に力をこめて発したことは、他にないかもしれない。結果薬をいただいて、私は企業面接を繰り返した。

途中で方針転換したのでこのとき正社員就職はしなかったが、最後に1社最終面談まで行った。薬の効果は、思い返すとあったようななかったような…という感じだけれど、あのときの私にはお守り以上のものだった。

と振り返ると「前の私そんなだったか…。今の私けっこう変わったなー」という思いになる。

親との関係もかなりフラットになったし、私これでいいよ!と感じるし、精神薬なくても緊張せず人と話せるよね〜と。

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