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まだ見ぬ郷愁 ヴェネツィア

ヴェネツィア、ヴェニス。
小さなころ、両親の貧乏新婚旅行の話をところどころ昔話のように聞くとき、一番よく耳にする街だった。数十年前、いまより海外旅行がずっと高かったころ、イタリア、スペイン、ポルトガルを電車で乗り継ぎながら回ったようで、「当時お金がなかったからどの写真を見ても同じ服を着ている」という嘆き節がはさまりつつ、ヴェネツィアの運河や街並みの美しさを必ず話していた。マドリッド、バルセロナ、ほかにもポルトガルを回ったようだけれども、両親に鮮烈な印象をのこしたのがヴェネツィアだったようだ。
今も家にあるガラスの小瓶を母はとても大事にしていて、「当時はこんな安物しか買えなかったのよ、それでもヴェネツィアの思い出が欲しかったの」と愛おしげに話す。
必ずいつかまた行きたいね、と両親は話しているけれど、そのまま数十年間どちらもヴェネツィアの地を踏まないままだ。

「竹馬をはいた家や、水でできた道があるとか、羽の生えたライオンがいるとかさ。だけど、みんなほんとだった。この世にはふしぎがあふれているって母さんはいつもおれたちにいっていたよ」
コーネリア・フンケ著、細井直子訳 『どろぼうの神様』 WAVE出版、2002年。

すこし大きくなって、空色の表紙が美しい表紙に惹きつけられてこの本を手に取った私は、またたくまにヴェネツィアに夢中になった。
水の満ちた運河、入り組んだ道、ヴェネツィア周辺の島々、美しい教会。羽の生えたライオン、ひそやかに息づく骨董たち。
幻想と夢と現実が一体になったような街は、魔法や妖精の棲むファンタジーの世界から現実の世界にそっと足を踏み出そうとしていた頃の私がのめり込むのに十分だった。
いつか大人になったら、この街に行こう。この街を絶対に見なければいけない。そう思ったのは、ヴェネツィアが初めてだったように思う。

「突然私たちは笑い声と音楽の中にいた。明るく照らされた大きなレストランが現れ、ゴンドラはその前を通過していた。どのテーブルも人で埋まり、ウェイターが走りまわっている。早春のこの時期、しかも運河の縁だから決して暖かいはずはないが、食事客はみなとても楽しそうに見えた。静寂と暗闇に慣れた目に、にぎやかなレストランは違和感があり、一瞬こちらが静止して、目の前を通るきらびやかな遊覧船を波止場から眺めているような錯覚にとらわれた。」
カズオ・イシグロ著、土屋政雄訳 『夜想曲集』より「老歌手」 早川書房、2009年。

どの街もそうに違いないのだけれど、とくにヴェネツィアは明るさとほの暗さを併せ持ったところのようだ。読むとはなしに読み始めたイシグロの「夜想曲集」は、夢を見て、そしてさまよう人と街のほの暗さが奇妙にあわさり、虚構を抱き込む古い町の美しさを想わされずにいられない。

「たとえば読書する子供には、必ず自分が住んでいる「ここ」以外の場所があるわけです。ファンタジーというのはそういう原理でできていますからね。そして、現実の世界でも「ここ」でないどこかに憧れるという気持ちが生まれる。」
須賀敦子 『須賀敦子全集 別巻[対談・鼎談篇]』より「わが内なるヨーロッパ 対談者池澤夏樹」

実は、ヴェネツィアに行くことは簡単にできたはずだった。短期滞在していたイタリア中部の町からヴェネツィアまでは電車で4時間くらい。その気になれば日帰りすらできる距離だった。そのときはまたイタリアに来る理由が欲しくて、私はヴェネツィアに行こうとしなかった。

その数年後、ヨーロッパに短期留学中に、ヴェネツィアを訪れることもそう難しいことではなかった。実際、友人を誘えば、みな喜んで一緒に来てくれただろう。宿泊費だけでなくすべての物価が高いヴェネツィアに、親のすねかじりの学生の分際で遊びに行くのにすこし抵抗がある、と当時は真剣に思っていた。しかし、今なら、ホームシックに弱り切った心身で、膨大な物語を抱え込むヴェネツィアに行く勇気がなかったのだ、と認めることができる。

時間と体力を限界まで使っていた仕事がふと行き詰ってしまったのは昨年の冬のことだった。漫然と、呆然と、燃え尽きた灰のように働き続けながら、私は「今ここでないどこか」を無意識に探していたのだろう。
今なら、自分の力で、ヴェネツィアに行ける。そう思ってからは早く、ヴェネツィア行きのツアーを予約し、学生時代勉強したきりさび付いていたイタリア語のテキストを引っ張り出し、憧れ続けたまだ見ぬ街に夢を膨らませた。

出発の3日ほど前、ヴェネト州の一部に封鎖宣言が発令。やむなく、ヴェネツィア行きは中止になった。

ヴェネツィアが期待外れだったら。そう考えたことは一度や二度ではない。
夢見た場所が水没でなくなってしまった、というのもまた幻想の街らしいではないか。そう思ったこともある。

「ヴェネツィアを訪れる観光客は、サンタ・ルチアの終着駅に着いたとたんに、この芝居に組み込まれてしまう。自分たちは見物しているつもりでも、実は彼らはヴェネツィアに見られてしまうのかもしれない。かつて私はヴェネツィアの本当の顔をもとめたのは、誤りだった。仮面こそ、この町にふさわしい、本当の顔なのだ。」
須賀敦子 『ミラノ 霧の風景』より「舞台の上のヴェネツィア」 白水社、1990年。

ヴェネツィアはいつでも物語の舞台であり、物語の主人公だ。
美しく、活力に満ち溢れ、それでいて脆い。
いつかヴェネツィアの紡ぐ物語の一片になれるだろうか。
手を伸ばせば届くはずなのに、いつでも行ける、と思ったことこそが夢だったか。そうであるなら、まだこの夢を見させてほしい。


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