「療養してます」と言うのに30分も悩んだ私は
唐突にやってくる、過去という魔物
「ひゃっ」とか「うおあ」とか、何かとにかくよくわからない声が出そうになった。用事を終えて帰る夕方のこと。
今日は少し涼しかったし、用事をこなすのにもそんなに疲れなかったしうんうんいい感じじゃん、と思っていた気分はどこかへ飛んでいってしまった。ついに、来たか……と私はメールボックスを開く。
そこには、卒業した大学の、卒業研究の指導教官からのメールがあった。「同窓会をやります」というメール。
同窓会。在学中に同期とともに出席したことがある、卒業して立派に社会人をしている先輩方がお土産を手にやってきて、先生や私達と歓談する会。
私は飲み会が嫌いではない。お酒が得意ではないけれど、人とごはんを食べながら話すのは好きだ。ただ、ひどく疲れてしまう。
それに加えて舞台設定が私にとってよくなかった。立派に社会人をしている先輩方がやってくる同窓会。卒業した私は、つまりその先輩にならねばならない。
現状は生活リズムを整えたりごはんを食べたりするのに必死で、勉強をし、その合間にPCに向かって仕事をするけれど、経済的自立には程遠い。どう頑張っても、「立派に社会人をしている」とは言えない。
こんな状態で同窓会に行くことは精神によくないことは明らかだった。だから、メールへの返信は迷うことなく、「欠席とさせていただきます」になる。
「言わねばならない」と「言ってどうする」のはざまで
さて、欠席の理由をどうするか。私はこれに30分も悩んだ。
「療養しています」と告げるか告げないか。
それに悩んだのである。
「療養しています」と告げれば元気になったときに、「元気になったので来ました~」とか何とかそんなことも言えるし、先生に会いたくないのではなく、会えないのだと伝えられる。いや、まあ、抑うつ状態だった頃を知られているから恥ずかしくて見せる顔がないというのもあるにはあるが。
「療養しています」と言わずに用事があることにしてしまえば、私は昨年の同窓会も断っているので、「こういうものに来る気のない人なんだな」と思われてしまう可能性もある。先生は予定を早めに知らせてくれるのでほとんどの場合調整が可能である。
私は悩んだ。
だって「療養しています」と言ったところでどうにかなるものでもないのだ。解決策を提示してくれそうなら、とっくに話をしている。でも、と思った。
私は大学時代の人間関係を捨てたくない。最後はガタガタだったけど、大学は楽しかった。抑うつ状態でなければもっと楽しかったのだと思う。
それに、後から人づてに先生に伝わるのも何だか嫌だ。連絡する機会(今回や昨年の出欠連絡)があったのに、そこには現状を案じる言葉が並んでいたのに、何も言わないのもちょっと情がない。そう考えられるようになったのも、こうなって初めて、「私を心配してくれる人がいる」と知ったからだ。昨年は現状への怒りと恥ずかしさしかなかった。
でもやはり本音は「お大事に」と言われて病人として扱われることで「この療養は必要なことなんだ」と自分を安心させたかったのかもしれない。
「療養しています」と文字にして、送信した。それまでに30分はかかっていた。
2番目に勇気ある選択をした
「療養しています」という言葉を添えたメールを送った。でも私は少しだけ正直ではなかった。
「体調を崩して」とお茶を濁すような書き方をした。抑うつ状態のこと、ASDのこと、私は何も書かなかった。
そこまで言う必要はないと思ったし、そこまで自分をさらけだすのは、まだ恥ずかしかった。言わなくていいことだって、きっとあるのだ。
きっと、全てを打ち明けてしまえた方が勇気ある選択だった。でもそれはできなかった。2番目に勇気ある選択だったと、そう思っている。
しばらくして「お大事に」と返信が来た。体調を崩していることを責められるのではないかと怖がっていた私は、安心した。
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