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ぬるい夜の下北沢で。

7月17日(土)

lost in time 夏のアコースティック配信(&有観客)ライブ

に、行ってきた。

東京都のガイドラインに沿って開催のため

会場には抽選で当たったほんの少しの人数しか入れなかった。

小学校の時のひとクラス分よりも少なかった気がする。

そんな中に運良く入れた私。

あまりに少なくて、私なんかが・・・と、少し申し訳ない気もした。

まあでも、私だって行きたかったもんね。

ただ、そんなに貴重なライブなら

その時間をいつも以上に大切に楽しもうと思ったし

その感情を忘れず書き留めておかなければとも思ったし

書き留めるには140文字なんかでは少ないなと思ったから、ここに書き留めることにする。

土佐日記みたいな始まり方だな。

いや、そうでもないか。



3人体制のアコースティックライブは配信では見たことがあったものの

実際に現地に行くのは初めて。

会場は下北沢のニュー風知空知。

よく耳にする名前で、珍しくはない会場だったんだろうけど、私には初めての場所。

いろんな要素が合わさって、1週間くらい前からずっと緊張してた気がする。

海北さんが制作に没頭しているからとSNSに全く顔を出さなくなって

そのご無沙汰な感じが

私の感情をより一層敏感にしていた気もする。

それはそれでビリビリして良いもんだと思ったりした。

昔はライブの次に姿を見られるのはライブなんて当たり前だったのに

今やSNSで毎日でも姿が見えたり様子を知ることができたりする。

それに完全に慣れてしまって

すぐに寂しくなってしまったりする。

人間ってわがままだなぁ。

なんて。


ライブの内容については

私はセットリストなんかを偉そうに語れるほどの知識もなければ経験もないから

そこをダラダラと語る気はない。

ただ、1曲目が大好きな羽化だったのは勝手に少しのご縁を感じた。それだけ。勝手おばさん。


比較的後ろの席に座ったのに

小さい会場で、更にソーシャルディスタンスだったもんで

3人の様子はしっかり見えた。

近すぎて見えない現象と同じように

見えすぎて現実味が無かった。

三井さんが軽々と華麗にギターを弾く姿や

大岡源一郎先生が足に鈴を付けたりあれやこれや大忙しな姿や

海北さんがお客さんの顔をしっかり見ながら歌う姿が

すごく鮮明に見えた。

鳥肌が立つくらい美しいコーラスや

素敵な音色の珍しい楽器や

細かい息づかいなんてものも

お医者さんに気にしなくてもいいと言われた不整脈が出てくるくらい

ズドンと感じられた。

全部がダイレクトすぎて

目の前のことが目の前ではないような

地に足がついていないような

ふわふわとした浮遊感がずっとあった。


今、目が合ったんだろうか。とか、そんなことを考えてみたりしても

答えは結局わからないままで

目が合ったところで

マスクをしてる私の表情で

全力で楽しんでいるよって伝えられている自信もない。

配信で観るだけでは自分の熱量を伝えきれないじゃないか。と、ずっと思っていたけど

なんだよぅ。結局、現地にいてもそれを伝えるのは難しいじゃないか。

なんて、どうしようもないことを考えてみたり。


私が今感じているように

世の中のたくさんの人が

たくさんのミュージシャンのことを

この人(達)の音楽が世界で一番だからみんな聴くべきだ!

って思ってるんだろうけど

その思いが全員分報われることなんて絶対に無くて

だから、いろんな「頑張る」って事象が起こるんだろうな。

なんて、そんな大袈裟なことを考えてみたり。


楽しそうに演奏してくれる姿を見て

楽しそうな表情は嬉しいし

好きな人には常に楽しい顔で居てほしいけど

楽しそうにしているのなんて私が見ているほんの少しの時間だけで

苦しかったり悲しかったしする表情は

私が見ていない所に押し込んで蓋や扉を閉めているんだろうな。

なんて、そんな暗めのことを考えたりもした。


緊張してた割には

いろんないらないことを考えてるなあ。


なんとも座り心地の良いソファに座っていたからなのか

大好きな辛口のジンジャーエールを飲んでいたからなのか

途中、みんなを振り返らせて見せてくれた夕焼けがとても綺麗だったからなのか

なんでかよくわからないけど

今までにないくらい、いろんなことを考えながらステージを観てた。

もちろん音楽をしっかり聴いて。


終盤、再延期になってしまったイベントに申し訳ないと言う姿を見て

その表情や声色にすごく心が苦しくなったけど

海北さんがほわほわとお話しして

大岡源一郎先生と三井さんがその横でわちゃわちゃふざけて

そんな様子を見ると

大丈夫だいじょうぶと言われているような安心感も得られた。


今のこの世界のアレによって

いろんなミュージシャンが行きたい土地に行けなくなったり

やりたかったことができなくなったりして

こちら側の私たちも

行きたいライブや行きたいイベントに自由に行けなくなって

そのお互いが

行けなくてごめんね

って言ってて

こんな形で生まれるごめんねはもう嫌だなあなんて

そんなことを思うのすらも苦しかったりする。

それでもきっとこれもいつか終わるんだろうから

この間に出てきた、この間にしか出てこないような感情なんかは

いつかどこかでどーんと使ってやらなきゃな。


浮遊感に包まれたままライブが終わって

ぬるい夜の下北沢を少しだけ歩いているときも

なんだかふわふわ少し浮いてるんじゃないかとか思ったりした。

イヤホンを耳に入れてみたけど

さっきまで聴いていた生の音が押し出されるのが怖くて

何も再生できないまま電車に乗って

何も再生できないまま乗り換えをして

何も再生できないまま最寄り駅に着いて

何も再生できないまま歩いて帰った。


丸一日経った今でも

気持ちがどこかふわふわしていて

考えないといけないこともあるのに

この文章にも表れているように、上手くまとまらない。


ずーっと昨日を思い返して

ありがとう

だけが、ずーっと出てきてる。


こんな形で生まれてくるありがとうは

いくらあってもいいんだよなあ。




ライブのMCで言っていた、廃校になった小学校で撮影したMVがこちら↓


ライブのMCで言っていた、海北さんが唇を蚊に刺されて、腫れの引き待ちをしたMV(大岡源一郎先生は照明さんとして駆り出されたMV)がこちら↓


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