Mrs. Green Appleは悪くない
初めまして、yUと申します。今回はどこか個人的見解の表現の場が欲しいと思いここに至った次第であります。
まず、私はMrs. Green Appleさんのファンではありません。友人が好きだと言っていたり音楽番組でたまに耳にする程度で、今回炎上騒ぎになるまで新曲が出たということも認識していませんでした。ではなぜ彼ら(および関係者)を擁護するかというと単純に、「現代的思想の被害者」だと思ったからです。
1. MV
問題のMVは、メンバーが偉人たちに扮して類人猿(個人的にはチューバッカのような生物)のパーティーに混ざるというような内容です。そして彼らが扮した偉人の中にコロンブスがたまたまいたことから、受け手が類人猿をアメリカの先住民族と結び付け、この表現が差別的じゃないかという批判を今回集めたのだと理解しています。
見てみましたが、終始曲調も明るく、個人的にはまったくそういう印象は受けませんでした。一か所だけ引っかかったとすれば、チューバッカに人力車を引かせてゼーゼー言わせる必要が正直あったのかとは思いましたね。やはり粗を探すスタンスで鑑賞しないと差別的には見えないんじゃないでしょうか。
先住民族というよりはむしろ偉人たち以外の我々一般人を類人猿・ケイブマンに例え、我々に彼らが新たな文化・思想・生き方を与えてくれた、というようなメッセージなのではないかと読み取りました。芸術的センスの欠片もない私の感性なので信用には値しませんが。
2. 炎上そして謝罪
若い爽やかそうなバンドなので、一定層アンチはいるんだろうなと。そしてその人たちが点けた火種をリベラルたちに煽がれてここまでの騒動になったのだと思います。当人たちや音楽会社も騒動に耐えかねて謝罪文を出しMVも非公開にしたようです。謝罪した時点で、彼らも「負け」てしまったのだなと正直残念に思いました。
3. 芸術・作品とは
ここで提示したいのは、音楽や映像を含め芸術・作品とはいったい何なのか。私は尊重されるべき人間の一権利、「表現の自由」だと考えています。そしてそこに存在する芸術的価値・メッセージ性というものは、ある特定のコミュニティやグループへの配慮をいちいち気にしているようではたちまち霧散してしまうほど儚いものだと。コンプライアンスだクレームだといってつまらなくなっていく昨今のテレビのように、音楽も同じ道を辿ることになる気がしてなりません。現代の人間はどうしてこうもナイーブでセンシティブでありながら、他人の権利を踏みにじることは厭わないのでしょう。
4. リベラル的思想
ここで少し思想の話をしたいと思います。私はあくまで反リベラルという立場をとりますが、これはもともとリベラル派で保守的思想を嫌っていた私が、ここ数年で勢いをつけて暴走を始めたリベラルに嫌気が差した結果です。反差別主義、自由主義等聞こえはいいですが実際はただの現実逃避をしたがるだけの連中です。
リベラル的思想が蔓延しているアメリカを例に出すと、「黒人への差別は許されないが白人に対する差別は許容される」「女性への差別は許されないが男性への差別は許容される」「どんなに太っていても痩せなくていい、ダイエットは体に悪いから」「性転換した男性は完全に女性なので女子スポーツに参加してもいい」他多数…
馬鹿げていると思うかもしれませんが実際にアメリカで起こっていることです。
自分が「弱者」だと思ったらそこから努力をして抜け出そうとするのではなく、それを正当化できる「言い訳を作り上げる」、もしくは「別のグループの所為にしたり攻撃したりする」。リベラルのやり口です。この思想に日本が片足を突っ込んでいる現状に対して、私は警鐘を鳴らしたいのです。
ちなみに反リベラルとは言いますが、私は理由が何であれ差別は決して許しません。そしてリベラルが行なう「都合の良い反差別主義」も決して許しません。
5. 話を戻して…
レコード会社が出した謝罪文の一部です。大多数の批判が「勉強不足だ」などと反差別という盾の後ろからほざいていますが、日本で普通に生活している人たちがコロンブスとその歴史や文化的背景について詳しく学ぶことはほぼないと思います。なぜなら日本で起こったことではないから。
日本で暮らす日本人に他国の歴史・文化への尊重を強要することは、それこそ日本という単一民族国家で培われた文化・認識を尊重していないというリベラルお得意のダブルスタンダードになるのではないでしょうか。炎上を扇動している人たちがみなアメリカ先住民について詳しいのかという点も甚だ疑問です。
それともなんでしょう、問題なのがアメリカだからでしょうか?アメリカ先住民族をサルで例えるのは許されないが、あのちゃんの「ちゅ、多様性。」で中国人(多分)をネズミに例えるのは芸術的表現だからと許されるのでしょうか?都合が良すぎるように感じるのですが。
6. まとめ
今回はMrs. Green Appleさんの騒動があったので、失礼ながら彼らの話題に乗っかってこういった見解を書かせていただきました。
Mrs. Green Appleさんの曲はしっかり聴いたことはないですが人気であることを見る限り良い音楽を作るのでしょう。影響力があるからこそこういった騒動になろうとも、自分の作品に自信を持ってほしかった、ヴォーカルマイノリティーに屈してほしくなかった、というのが正直な感想です。
人間みな「表現の自由」という権利を平等に与えられています。こういう文章であったり、音楽であったり、絵であったり、その手段は様々です。仮にあなたが何かしらの考えを発信したいと思ったとき、100%の受け手に受け入れられ、かつ中身のある作品を作ることができるでしょうか。私はそうは思いません。しかしだからといって発信しない理由になるとも考えません。
引っ込み思案な日本人であるからこそ、自分を貫く精神が、そして答えのない分野に正解不正解という概念を持ちこみ他を抑圧せんとする人々に抵抗する意思が、今の日本には必要だと考えます。
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