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2022年10月 東北縦断3①【三陸を知る 前編】

「三陸を知り、青森の異常温泉に沈没し続ける必要が有る」

北東北3県を中心に10/22~10/28にかけて6泊7日で投宿し続けた。
序盤は未踏の三陸海岸沿いを北上しながら先の震災に思いを馳せ、青森県到達後はひたすら自分の信じる温泉にダイブし続けた、ちょっとした2本立ての旅である。
これはその初日の記録だが、いきなりの長編になってしまった。御容赦下さい。

10/22 出発~岩手県大槌町

AM5:30の郡山南ICからスタート。ノンストップで仙台港ICまで到達し、「塩釜海産物仲卸市場」を訪れ、朝餉とした

南口から入館。AM7:30と早めの時間ながら、活気に満ち溢れていた

パンフレット

狙っていたのはこれ。市場内の商店で好きな具材を自ら仕入れ、マイ海鮮丼を作る

中央通路沿いの「本郷商店」はお手頃サイズのトレーで並んでおり、まさにマイ海鮮丼向き。迷わずこちらで仕入れることにした

選んだ具材。好物のイクラ・えんがわに加え、カンパチ・生たこをチョイス。早朝なので少し軽め

6号売場にてごはんとマグロつみれ汁のセットを購入し、盛り付けて実食。言うまでもなく美味だったのだが、特にエンガワの脂と舌触りが素晴らしかった。オプションのマグロつみれ汁もちょっと濃いめの味わいが胃に染みた

松島を抜け、石巻市中心部の信号待ちでたまたま見かけた仮面ライダー1号。仮面ライダー原作者の石ノ森章太郎は宮城県(登米市)出身で、石巻市には記念館がある。自分は諸事情でウルトラマン派だったので仮面ライダーはあまり詳しくない

三陸エリアの道の駅スタンプラリーも実施。トップバッターは女川町「道の駅 おながわ」。道の駅や女川駅も含め、この一帯は様々な店舗や交流施設が揃う「シーパルピア女川」という商店街になっている。洒落たレンガ道は高台への避難路を兼ねる。

女川駅。温泉も併設されているらしいが今回はパス

駐車場に車を停め外に出ると、飼い犬を連れた地元の婆さんに「福島から来たんだねえ、ご苦労さんだねえ~」と話しかけられ、穏やかな心境に至る。写真は内容と全く関係ない幹生と岳史

休日の女川港。釣りを楽しむ者たちで賑わっていた

女川港の海岸広場に保存されている東日本大震災遺構「旧女川交番

津波で建物の基礎が地面から引き抜かれ、横倒しになったまま保存されている

被災後の女川の歩みが記されたパネルが、旧女川交番を取り囲むように設置されている。是非一度訪問されたい。
ある1枚のパネルに記された「これからも海とともに生きることを選んだ」の一文に妙に胸が熱くなり、完全に人様には見せられないような顔面になっていた

硯(すずり)の生産が盛んな石巻市雄勝地区の「道の駅 硯上の里おがつ」。駐車場には今年3月の地震の影響で生じたひび割れがそのままの状態になっていた

雄勝硯の伝統産業会館も見学。墨をすりすりするだけのものではありません。中央の時計なんか、実に落ち着いていて洒落た代物じゃありませんか。

スーパーで買った刺身もこの石皿に乗せれば、宛ら小料理屋で出てくるような一品の様相を呈すると思われた

南三陸町「道の駅 さんさん南三陸」は、もともと仮設商店街だったものが道の駅として登録された。

常設の店舗に加え出店も多く、駐車場は満車。賑わいを見せていた

夕餉に備え、食事は軽め。上の写真の出店で購入したたこ唐揚げとかに汁を喰らう

さんさんタコバーガーも気になったが今回はパス。誤って裏返しの状態の幟を撮ってしまったので、違う単語に空見しないよう警戒されたい

気仙沼市 東日本大震災遺構・伝承館」を訪問。当時の記憶を伝える「震災伝承館」と、震災遺構(気仙沼向洋高校旧校舎)から成る

当時の校舎の教室名が記載されたパンフレット

入館後に震災時及び直後の映像を13分視聴させられる。
当時学生だった自分も福島で被災した1人だが、何とか暖を取りつつ地震酔いに悩まされる中で、TVを通して気仙沼の惨状を目にしたあの日を久々に追体験したようだった。

旧CAD室
旧保健室
旧会議室

遺構エリアは保存の為に施された工事箇所以外、被災した当時の姿が残されている。

南校舎3階まで津波で運ばれてきた車。備品だったと思われる机や椅子もそのまま

在校生が見ていた学び舎からの風景を少しだけみた気がした

錆びたレターケース。この高さまで津波が達した証拠だが、当時この校舎で生き延びた人たちの心境は察するに余りある

教職員や工事関係者たちが避難し難を逃れたという屋上

旧校庭は現在パークゴルフ場になっている

屋根が流失した運動場。説明パネルと比較するとより津波の威力が見て取れる

校舎4階部分には津波で流されてきた冷凍工場が直撃した跡が残る

北校舎通路には震災前の在校生の写真パネルが掲示されている。写真に残すというのは本当に大事だなと心底思った

この通路を抜けると講話室があり、被災者やその家族にスポットを当てた映像がエンドレスで上映されている。15分1ループの映像をすべて視聴し、再び人様には見せられないような顔面の状態になって退館。来てよかった

岩手県突入。津波で殆どが流されてしまった高田松原の唯一残った松。「奇跡の一本松」として皆さんご存じかと思われる

陸前高田市「道の駅 高田松原」内には、偉大なる完全試合達成者、佐々木朗希のグッズコーナーが設えられていた

大船渡市「道の駅 さんりく」のスタンプコーナーは公衆電話ボックス並みの狭さ

「道の駅 釜石仙人峠」まで足を伸ばし、釜石中心部を通って大槌町へと向かった。この日の宿、「小川旅館

本来和室を予約していたのだが、数日前に宿から連絡が有って洋室に変更になった。
部活関係と思われる高校生の団体12名+引率の顧問1名が自分と同時にチェックインしてきて納得。浴場は高校生に譲り、自分は部屋備え付けのシャワールームで済ませた

飄々としているがとても穏やかで人当たりの良い旦那さんに受付をしてもらう

フロントには壁に張り詰められた色紙のほか、大量のぬいぐるみ等が積みあがっていた

この旅館を応援している方々の気持ちが、形として表れているのだと思われる

震災前の大槌町中心部

元の旅館が先の震災による津波で流失、その翌年に現在の場所に仮再建したという経緯がある。
旅程を組んでいた際、三陸北上の拠点としてこの近辺で宿を探していたのだが、宿の公式サイトの挨拶を見てその瞬間、ここにしようと決めたのだった。現女将が先代(母)に宛てた手紙、胸を打たれるものがある

夕餉。驚いちゃった。話には聞いていたが、どこぞの一流旅館かと思うレベルの量と質。オール三陸素材の絆御膳、栄養士の資格を持つという女将の腕が遺憾なく発揮されている

上記写真で見切れている普通サイズのお盆はこんな感じ

まさかの追加で運ばれてきたイカ刺し

はちきれそうになった頃にこれまた追加で運ばれてきたデザートの杏仁豆腐。最高以外の言葉が出てこない。
初日から濃い時間を過ごし、満たされた状態で21時には気を失った

続く

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