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なぜ日本人は自分の意見を言うのが下手なのか

3年以上ぶりとかなり久々の投稿となるものの、
現在フィリピンに住んでいて、改めて感じた日本人と海外の違いをまとめておこうと思う。

私はもともと文章を読むことが好きだったが、
カナダの大学で社会学を専攻しながら
日々論文やディスカッション、チームワークなどで自分の意見を伝える、表すことを通して、文章を書く、自分の思いを言語化するということをより訓練された気がする。

そうなると、やはり仲良い友達は同じように深く考えることが好きな友達や、自分の意見をしっかりと持っている友達、感情豊かな友達が多くなるわけだが、日本人はこの"言語化"、"意見を持つこと"が苦手な人が多いように思う。

現在のパートナーも生粋のthe日本人という人で、もちろん大好きなところもたくさんあるものの
コミュニケーションの面でうまくいかず現在かなり苦戦している。
(男性と女性のコミュニケーション間の問題が起きる理由についてはまた次の記事で詳しく書いてみたい)

そんな中、つい最近フィリピン人の友達に連れられ、フィリピンの教会に行くことがあり、そこで改めて気づいたことがあった。

過去に、ホームステイしたオーストラリアにて現地の教会に行ったことや、留学していたカナダでもクリスチャンの友達に連れられ何度か教会に行ったことはあるので、別にクリスチャンではない自分が教会に行くことは何の抵抗もなかった。

久しぶりの教会では、ライブコンサートさながらのみんなでの大合唱やノリノリの音楽などを満喫し、普通に楽しむことができた。

そして、もちろん教会での集会なので実際の聖書の内容を引用しながら、その解説をその当日の担当者が説いていく。

私が行った日は12月31日だったこともあり、
"今年はどんな1年でしたか"
"今年よかったことは?"などの振り返りもあった。

また、それ以外にも、クリスチャンぽい部分でももちろんあるが、
"あなたは来年、神に何を捧げますか"
"与えるとはどういう意味でしょうか"
"困難とは何のためにあるのでしょう"
などの問いかけが続く。

私は考えることが好きなので、クリスチャン的な質問であってもそうではなくても、こうした考えさられる機会があることがすごく嬉しい。
また、自分の意見を誰かと共有したいし、自分と違う相手はどんな意見を持っているんだろう、そしてそう思うのはなぜなんだろう、などという背景を深掘ることにも興味がある。

こうした意見交換をしたくても、正直日本で普通に生活していたら学生をしているとかあくまで会社の企画について考えるとかではない限り、ディスカッションをすることなんてあまりないだろう。ましてや自分のことに対して振り返る機会は普段から意識している人しかしないのではないか。
パートナーから意見が出てこない、こちらからの問いかけに答えがないたびにそう思っている。

ただ、カナダにしてもフィリピンにしても、英語圏あるあるかもしれないが、普段の生活(教会、学校での授業)の中で自分のことについて考える、言語化する、伝える機会が多いことが、自分の意見を持つ習慣になっていると思った。

カナダにいた時も、これはクリスチャンのイベントではなかったが別の夏合宿みたいなイベントで、聖書の勉強を通じて自分の意見を持つこと、自分と社会や他人との関係について考えることなどを1泊2日で行ったことがあった。これはあくまで留学生は国際交流のイベントとして参加している人も多かったので参加したものだが、合宿の最後には感想を言い合う場があり、丸く輪になって1人1人感想を言っていくものだった。

英語をみんなの前で話すことが恥ずかしいという子もいて、日本人は比較的感想を伝えづらい印象があった。
ただ、こうした場が小さい頃からあることで、自分について考える、他人に意見を伝える、自分の意見を持つことが海外ではより当たり前になって来るのだと思う。

また、カナダもフィリピンも同様だが、こうした場があるからにはかなり発言しやすい環境作りをすることにも気遣われている。どんなことを言ってもいいよ、人と違っていいんだよ、ということがwelcomeな雰囲気があることも、しっかり自己を持てる理由だと思う。

学生のようなディスカッションするような環境がない大人であっても、教会など、自分について考える、振り返る場が普段からあることでself reflectionが進む気がしている。
あなたはどう?と聞かれた時に、恥じることなく"私はこう思う"と言える日本人が果たしてどれくらいいるだろうか。
ただ個人的には謙遜されるよりも、あなたの意見が聞きたいな、と強く思う方なのでこれができない今のパートナーとのコミュニケーションには大きなストレスを抱えている(ただでさえ遠距離でコミュニケーションはテキストメインなのに…)

幼い頃からこうした、自分について考える、伝える、共有する、という場があるかないかも、
意見を持てるか、また伝えられるかにとても関わってくると思う。

ただ、これは幼い頃の環境という面だけではなく、男女によっても環境の違いが出てくるものだと思うので、次回の記事で考えてみようと思う。

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