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4月1日2日 あとがき

東京という街のイメージはどのようなものだっただろうか。

だだっ広い道路の両脇には大空に伸びるようにして生える高層ビル群、地元の服屋では見たこともないような服を身に纏って飄々と歩く人々、ひょうきんな形で所狭しと立ち並んだ美術館や博物館、夜になっても昼間のような七色に光るネオン街。

この世の全てがあるような、もしくはそれ以上のものがあるかもしれない、壮大な街。夢のような街。それが、すべての知識をテレビから得ていたような子供の頃の東京という街に対しての僕が抱くイメージだった。

そして中学3年生、そのイメージを持ったまま向かった修学旅行先で見た東京の街は、想像していたよりずっと現実的だった。

窓ガラスの割れた3階建てのアパートで洗濯物を干す人、洗ってあるのかも分からないような服を着て自転車を漕ぐおじさん、ゴミ箱に入りきらずに路上に溢れ出ているゴミを漁るカラス、上野公園の木陰にダンボールで住まいを作るホームレス、挙げればキリがないほどに、イメージとは程遠い光景がそこには広がっていた。

それを見た友達が光景をバカにする。純粋だからこその軽蔑的意識なのだと思う。しかし表には出さなかったものの、その意識は僕にも染み付いていた。

たかだかディズニーランドに行くために東京駅を経由して、京葉線ホームまで向かう歩く歩道に興奮しているような年齢にとって、目に映るもの全てが衝撃だった。

そうした経験をもとにして、宮城に帰ってからすぐ作られた「東京」という曲には「東京しどろもどろで歩く 街をただ見下ろすだけ」という歌詞がある。

イメージとは程遠い東京という街で、それでも細々と生きている人々のことをそのまま切り取ったような描写だった。それは世間を知り、少なからず様々な世界があることを勉強や経験で得てしまった今の僕には残酷すぎて書くことが難しい、まさしく純粋だからこその軽蔑的意識だった。


機会をいただいて、千葉で初の県外ライブをする予定だったローライラック一行は、外環道で玉突き事故に巻き込まれ、行き場を失った。

経験したことがないほどの強い衝撃の後、クラクションが鳴り続け、頭の中で事の全てを理解するまで長い時間がかかった。幸い命だけは助かったが、知らない土地に放り出され、はるばる運転してきた祖父の車も自走不可能。

大きく内側に凹んだトランクに積んでいた楽器は、状態の確認もできないままレッカー車に運ばれてしまい、ネットカフェに泊まる用の大きな荷物を抱えたまま途方に暮れてしまった。


全身を打っていたためにネットカフェに泊まるわけにもいかず、泊まるあてもない。警察署での事情聴取や保険会社との電話で擦り切れていく精神状態の中で、たくみさんのお母さんに探していただいた鶯谷のビジネスホテルに行くことにし、ラブホ街を闊歩する。

明日どうするかを考える余裕もない。もちろん帰りの手段のことも。

人の立場は人の立場に立たねば分からないと言うが、目の前のラブホに飾られた休憩何円、宿泊何円の文字が地獄に垂らされた蜘蛛の糸に見える感覚に陥ったことで、今の立場がわかった気がした。跨線橋から奥を見れば夜空に輝くスカイツリーが見え、コントラストに満ち満ちた街だということを痛感する。

ふと東京の歌詞を思い出した。観光客としてしか訪れたことがない街で、痛みを抱えながら大した金も持ち合わせずに歩く様は、あの時にバカにしていた汚い東京像そのものだった。



翌朝、警察に言われた通り整形外科に行き、新木場で楽器を回収した後、帰宅の手段に決まった新幹線の時間まで許される限りの東京観光をすることになった。ロッカーに荷物を預けて身軽になったとはいえギターやらを背負った状態だったので、少し前から話していた阿佐ヶ谷に行くことにした。

駅を出ると、選挙が近いのか選挙演説をやっていた。目の前のラーメン屋で一息つきながらそれを聞き流す。やっと胸を撫で下ろすことができた。みづはづも同じことを思っていたようで「久々じゃない?こんなにゆっくりするの」と言いながら、ホッとした表情でラーメンを啜っていた。たくみさんが演説の内容にいちいちツッコミを入れ、その度テーブルに笑顔が溢れた。

食べ終わり、駅から続く商店街をぶらつくことにした。おびただしい量の整骨院に困惑しつつ、道にはみ出している昔ながら八百屋や、水槽で魚やイカを泳がせている寿司屋、洒落た英国アンティークの雑貨屋など歩くだけで多幸感に包まれた。

さらに進むと、たい焼き屋の脇に100円で動かせそうな古いわたあめ機が置いてあった。みるからに目を輝かせていたたくみさんとみづはづが挑戦してみる。見事それっぽいものを作り上げ、「普通に綿飴だわ」とか言いながらみんなで食べた。

商店街の終わり際にはこれまた小洒落た立ち売り型の珈琲店があり、何とも良さげだったのでみんなで飲むことにした。ハンドドリップで淹れられるオリジナルブレンドには様々種類があり、先輩組は阿佐ヶ谷を、後輩組は七夕をそれぞれ注文した。

杉並区役所でハトと追っかけっこをして戯れながら飲み干した。今度は北口の方を目指し歩く。線路をくぐり、寺の脇の保育園の壁にある変なアートの真似をしたり、阿佐ヶ谷ロマンティクスのインスタに載っていたというレコード店を巡ったりした。


帰り際、また東京の歌詞を思い出した。あの時のままで今日の旅路を同じように巡ってみても、楽しめなかったと思う。わたあめ機はただの古くて汚れた機械でしかないし、コーヒーはそもそも苦くて飲めない。それは僕が歳をとるにつれて、勉強や経験で得ることができた幸せの感じ方である。ローライラックを通じて僕が目指しているものの到達点も、この辺りなのかもしれないと思ったりした。

丸の内に戻って、皇居外苑を散策した。高層ビルが僕達を囲む。今ではこの光景に窮屈さを覚えたりする。少しだけ外に広がったような東京の街で、大荷物を抱えて想定よりだいぶ遅くなってしまった新幹線に乗り込むことで、ローライラック一行はこの壮絶な2日間に見事終わりを告げたのである。



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