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6月22日 日記

今朝、東京から帰ってきた。

今年に入ってから、既に4回も行っている。スーツを着て上野駅に降り立つことですら、今月に入って2回目だった。

長いエスカレーターを3回ほど登った先の光景も、何一つ新鮮に映らなかった。
時節柄、駅前には都知事選の立候補者であろう人が喉を震わせていた。近くの選挙掲示板は、既にtwitterで見た雑然としているポスターで埋め尽くされていて、今自分が東京、日本の中心地にいるんだということを強く認識させてきた。

それでも、それがテンションの上下に関わることはなかった。

17時に終わる予定だった面接は若干巻いて終わり、笑顔のままビルを出た。感想もへったくれもない、上部の話に終始したやり取りの応酬。

傘を刺して不忍池の淵を早足で歩き、上野駅に戻った。ロッカーに預けていたトートバックを取り出し、すぐにスーツから着替えた。とにかく早く、体に乗っかっている重荷を下ろしたかった。

正しくは、スーツを脱ぎ捨てたかった。

今、自分がスーツを着ている理由がわからない。僕の中で、スーツを着ていることへの賛否が分かれている。

友達から「あ、就活するんだ」と言われる度、何かを殺している気がしていた。言い訳として東京に移り住んだ時に居場所を築くためと、何回言ったか思い出せない。
だから、何回殺してきたかもわからない。

未だに自分の中で筋の通った理由を見出していないだけなんだと思う。音楽を続けるために上京する理由や、音楽を続けるために就職する理由、音楽を続ける理由。

そのまま新橋に向かい夕飯を食べた後、意味もなくゆりかもめに乗ることにした。

進行方向の前面展望席には先客がいたため、反対側に座って流れていく海沿いの夜景を眺める。
子供の頃に抱いていた憧れの東京イメージは、まさしくこれだった。摩天楼のような高層ビルや、それを縫うように走る首都高速。それが歳を重ねるごとにイメージは内陸側に移り、中学の修学旅行で上野に固定された後、この歳になって新宿や下北沢になった。

東京の用途が、より現実味を増した結果だった。家族と新幹線で向かう憧れの大都会は、アルバイト1回分の夜行バスで簡単に行けるようになった。

東京。選挙掲示板のように雑然とした街。人が多くて、建物が狭くて、公衆トイレが汚い街。

有明駅を過ぎたあたりで、ゆりかもめは首都高速湾岸線を跨いだ。
豊洲まで乗り通した後、時間の許す限り湾岸線沿いを歩いてみることにした。履き慣れない革靴だったため、この時点で足に痛みが走っていたが、少し歩くくらい耐えれると思った。

やけに歩道が広いマンション街を抜け湾岸道路に出ると、近くの物流拠点に出入りするであろう、多くのトラックがコンテナを背負って高架の下を走り抜けていた。

改めてここが日本の中心なんだと自覚する。高架の支柱には1本ごとに立派なスプレーアートが施され、その間から生える雑草からはトラックの騒音に負けんばかりと虫の鳴き声が響いていた。

憧れだった東京の解像度がどんどん上がっていく。
google mapだけでは知り得なかった摩天楼の裏側、高架下の鈴虫。

もっぱらそれは、憧れに対して模範解答だった。もっと早くにするべきの答え合わせだった。僕が好きなはずだった東京が、そこには確かにあった。存在していた。歩を進めるうちに、足の痛みなんて忘れていた。

結局3時間ほど歩いていた。国際展示場まで戻り、コミケでお馴染みの逆三角形の下で一休みする頃には、心に着ていたスーツまで脱ぎ切っていた。

東京で音楽を続ける理由、たいした理由ではないかもしれないが、憧れの2文字で片付けてもいいのではないかと思えた。

今日と明日、向こうでは昼から閃光ライオットの三次審査がある。配信では見覚えある顔が画面に映っていた。去年行こうとして行けなかった憧れの場所。100%応援できるほど綺麗な感情にはまだなれないが、それでも、進んで欲しい。進み切って欲しい。憧れの場所に行くチャンスなんて、人生そうそうないのだから。


Ps.
リリースしたEPを聴いてくれた方、感想を教えてくれた方、本当にありがとうございます。そのうちまたセルフライナーノーツ的なものを書きたいと思っています。よろしければそちらの方も。

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