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大好きな人たちと同じお墓に入りたい

指の骨のひとかけらとかでいいから、私と同じ骨壺に入れて埋葬してくれないかな。死んでから「ひとりになってしまって寂しい」と思うような何かが残っているとは思えないけれど、それにしたって寂しすぎるからぜひ一緒に入れてほしい。

本当は両親が死ぬこととか考えたくないけれど、よっぽどのことがない限りおそらく私よりも先に死んでしまうと思うので、心臓に近い部分の骨の一つくらい私に直接渡して欲しい。なんかアクセサリー香水瓶みたいな小さいペンダントトップに入れて持ち歩きたい。

あとお盆にお焚き上げ?みたいなことをする要領で私が好きなコンテンツの終わりを見届けられずに死んだ際は、毎年一回でいいから空に向かって届けてほしいと思う。


夜に遅くまで起きているとろくなことを考えられない。
今日は特にだめで吸い込まれそうなくらい真っ黒な夜の空に負けてしまったように感じる。

なんで人って死んでしまうんだろう。永遠の命は求めてないけれど、今がずっと続けばいいのに、という漠然とした願いはある。この思考が行き着く先は決まって停滞だ。変化が怖い私は、見知った今に永遠にい続けたいと思っている。

私は人の死にあまり立ち会ったことがない。一番身近だったのは母方の祖父の死だった。それまでにも何回か、お葬式や三回忌のような集まりに顔を出したことはあるけれど、なにせ小さい時の記憶すぎて実感がない。小さい私は”幼いから”という理由で部屋のすみの方でただ座ってぼんやりしていることを許されていたのだろう。

祖父は私にとって必ずしも大好きだった、と言える存在ではなかったように思う。とっつきやすさがあったわけではなく、むしろ少し怖い人だとすら思っていた。それでも私のことを可愛がってくれていることはわかっていたし、会うたびに(昔は長期休みの度に祖父母に会いに行っていた)よくきたね、ゆっくりしていけよ、と声をかけてくれることが嬉しかった。
飼っていた犬を抱えて座っている姿が一番印象に残っている。ダイニングのテレビに一番近い席。そこが祖父の居場所だった。

クリエイティブなことが好きな人だった。私が直接見たことはほとんどないけれど年賀状を手書きしたり、イラストハンコを掘ったり、絵を描いたり、盆栽の手入れをしたり。たまに書斎にこもって株価の変動を手書きで記録していた。そういう時は話しかけるなと祖母に教えられた記憶がある。

こういう人だったから、私が直接祖父と日常会話らしい会話をする機会はほとんどなかったように思う。趣味の話や好きなものの話などはしたことがない。そういうものだと思っていた。

祖父が病気でもう長くない、と教えられてから病院に行った。お世辞にも顔色がいいとはいえない土気色の肌にすっかり痩せてしまった姿がやけに印象に残っている。歩けない祖父のために車椅子を押しながら院内を歩いた。話す元気もないだろうに小さな声で「よくきたな、最近はどうだ」と話してくれたような気がする。心のどこかで、もう元気になることはないだろうと分かっていても、元気になってねと願うのをやめられなかった。
帰宅してからたくさん泣いた。何が悲しいのか、どうして泣いているのかわからなかった。今の私ならあの時の涙には”死の気配に当てられたから”と理由をつける気がする。

祖父の訃報を聞いた。電話越しに母親が祖母と話しているのを、ぼんやりと眺めていた。ああ、もう会えないんだと思った。
電話を切った母親から「おじいちゃん、亡くなったって」と言われて「そっか」と一言呟いてから、涙腺が決壊したように泣いた。特別な思い出も出かけた記憶もなくても、祖父母の家に行ったら会える、と思っていた人がいなくなったというショックはかなり大きいものだった。

当たり前に存在していた人が当たり前ではなくなる瞬間はきっと何度経験しても慣れることはないのだろうとこのとき実感した。

お葬式のために祖父母の家に向かい、久しぶりにあった祖母はもともと小さな体をさらに小さくさせていた。何が悲しいのかわからないくらい悲しかった。敷かれた布団に横たわる祖父の遺体は当たり前のように血色がなく冷たかった。

お葬式のときはもっと悲しくて、式の最中ずっと泣き続けていた。まだ幼いいとこにどうして泣いてるの、と聞かれて苦しかった。

そうして初めて、身近な人の死について考えた。式場の空気もあったと思うけれど、考えただけで泣いていた。母親が、父親が、弟が。ある日突然息をひきとってしまったら。怖くてとても一人では生きていけないと思った。

自分の死に対しては比較的フラットに受け止められるのに、人の死となるとこんなにも恐ろしいものなのか。それとも私が置いていかれることに対して、必要以上の恐怖を持っているのか。答えはわからず、知る必要も無いように感じる。

始めに「大好きな人と同じお墓に入りたい」と書いたけど、私は大好きな人が死んだ後も生きていけるのだろうか。生きることを諦めずにいられるだろうか。それとも思ったよりも生きていけるものなのだろうか。

まだ先かもしれないけれど、いつか必ずくる未来が怖くてたまらない夜だった。

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