男の子に間違われても、女の子でいなければならなかった

私に性別を問われたらおそらく10人中10人「女」と答えるであろう。
それは紛れもなく正解であるし、間違いだとは思わない。

私自身も自分のことは女だと思って生きてきた。毎日水を飲むことが当たり前のように、私が女であるという事実もまた当たり前だった。

その筈だった。

性別なんてものは記号だと、私は思う。
生きていく上で生物学上雌雄が分かれているだけの話だ、他の哺乳類だって同じ。それは人間が動物である以上は変わらないんだと分かってる。

性別というものに対しての意識が変わったのは中学生くらいだったように思う。
ヴィジュアル系バンドというものに触れて私の世界が変わった。それまでは少女漫画や月9のドラマが大好きでテレビや漫画に描かれる普通の美男美女しか知らなかった。

派手な髪と美しく化粧し、着飾った中性的な姿で、見た目とは裏腹に激しく響く重い音と声に心を奪われた。

家族や友人にはあまり理解されなかったが、止めもされなかったのでそのままズブズブとのめり込んだ。ジェンダーレスという存在を知ったのもこの頃だ。

いつからだろうか、女として生きることに生きづらさを感じるようになってしまったのは。

女性は大体性犯罪にあったことがあるという話を否定するわけではないが、私は正直成人して暫くするまでそういった経験はなかったのでおそらく原因はそこではない。

どちらかといえば、周囲の圧力だったようにも思う。

女として生きていることが幸せである人からの無意識の「女性であれ」という圧力が容赦なく私を蝕んでいくのを感じた。

スカートを履くことや、メイクをすることや可愛い格好をしたり、フェミニンだったりセクシーだったり、私はいつだってそれを楽しんできた。
ただそれは、私が楽しいから私のためにすることであって、「私が女だから」しているわけじゃない。

私は男女問わず美しい人に魅力を感じるし、美しくあろうとする人が好きだ。

しかしそこに惹かれるのは次第に自分の中にある圧力もあるのだ。

小学生の頃はよく男の子に間違われていた。それが嫌で髪を伸ばしたりスカートを履いたりしたが父親と弟にそっくりの顔にそれはちぐはぐな気がした。

戦隊ヒーローと仮面ライダーも好きなのに、おジャ魔女どれみしか見せてもらえなかったし、私も見たいと言えなかった。
(もちろんおジャ魔女はおジャ魔女で大好きだったが)

女の子でいなければいけない圧力、女の子でいたいという希望、それは両方とも自分の中に確かにあったものだった。

だからヴィジュアル系バンドは、私の中にないものをくれたのだ。
男でも女でも「美しい」は平等であった。
「可愛い」も「カッコいい」も「美しい」も男女ともにあるべき姿なのだと教えられた気がした。

年齢を重ねれば重ねるほど、「女性であれ」という圧力は強くなっていく。
その焦燥感に打ち勝てるほど私はまだ強くないのかもしれないが、今の私は当時の私に女の子が戦隊ヒーローや仮面ライダーが好きでもいいんだよ、ということができるはずだ。

続く

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