ヴィパッサナー瞑想体験談2

毎晩の講話がめちゃくちゃ面白かった。
ブッダについて、ぜんぜん知らなかったけど、すごすぎる人だ。

物理学者が、たくさんの計算や思考によって、この世界はすべて素粒子でできている、と言ってるけど、ブッダは自分の心と身体を観察することで、その境地まで至った人。

頭での表面的な知識ではない。
体で体得した、真の智慧だ。

そんなブッダが解いてくれた、本当の幸せにたどり着くための瞑想法だった。
ぜんぜん知らずに参加してた。

わたしたちは、この世界を、自分の感覚を通して認識している。
感覚だけがたよりなんだよね。
そして、どんな感覚も
「アニッチャー=変化する」
「生まれては消える」
という性質を持つ。

どんなに不快な感覚も、どんなに心地よい感覚も、この性質を持ち、同じものである、という。

これを、頭ではなく、身体で知る、悟るために、この瞑想をする。

わたしたち人間は普段、感覚を感じると、無意識の部分で「これは心地よい」「これは不快だ」と判断し、「渇望」または「嫌悪」という心の反応をする。

渇望は、「もっとほしい、もっとほしい」という、依存、執着。それが手に入らないことで苦しみ、惨めになる。
嫌悪は、「これは嫌だ」という、否定、逃避。
どちらも、苦悩である、とブッダはいう。

このどちらの反応も、「サンカーラ=種」として植えられ増殖し、また、渇望や嫌悪するような苦しみの現象となって現れる。

ヴィパッサナーでやるのは、この「渇望」と「嫌悪」という無意識での心の反応をやめ、ただ「観察する」「あるがままに見る」ようにする瞑想法である。

でも、普段の生活の中で、渇望や嫌悪の反応をしないようにしよう、と頭で意識していても、無意識の反応で起こってしまうため、反応しないようにできない。依存症や怒りの感情などをコントロールできないことと同じことだ。

そこで、10日間という時間、瞑想し続けることで、無意識という心の深い部分まで到達し、浄化する、心の手術をヴィパッサナー瞑想で行う。
心の奥深くへのアプローチ手段として、体の感覚を扱う。

つーづーく!

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