『クリスティーン(上下)』を読みました。
クリスティーン(上下)
著者:スティーブン・キング
翻訳:深町眞理子
内容紹介
ぼくの幼馴染み、アーニーはあばた顔のさえないやつだった。
悪じゃないからって優等生でもない。
クラスにはどんな学校でもふたりはあわれな犠牲者ってのはいるだろ?
その男の方だったんだ。
だがアーニーは変わった。
そう赤と白に塗り分けられた58年型プリマス・フューリー、名はクリスティーン。
アーニーはクリスティーンと出会ってから、いつの間にか顔の凹凸のなくなったし、リーという彼女もできた。
これは愛の三角関係、アーニーとリーとクリスティーンの物語だ。
■■ネタバレもあると思いますか?■■
『クリスティーン』知ってますか?
そう、ジョン・カーペンター監督の映画ですよね。
当然、そっちで知っていた私です。
子供ん頃に観た、記憶に残る作品の一つです。
文庫の初版が昭和62年なので、ええぇっと、1987年に(文庫は)発売された作品ですか。
古いせいか、人気があるのか、廃版だし、で、古本でもちょっぴり高かったのがイタい。
そして上下巻合わせて1000ページを超えるボリュームはキング作品なら当たり前。
作品紹介を一人称で書いたのは理由があって、この小説自体、一人称で始まるからだ。
説明不要だろうけど、一人称というのは主観、私(もしくはぼく)の視点から書かれた小説のことで。
そうなってくると、主観主である主人公が観ていない部分は書けなくなってしまう。
経験していない、見てもいないことを、さも経験して見ていることのように語るのは、嘘でしかない。
その点を上手くやったので思い出すのは、京極夏彦の『鉄鼠の檻』での、
「これは後から聞いたはなしだが」
だろう。
クリスティーンでは途中、三人称で書かれている部分がある。
一人称と三人称が織交ざることに関しての善し悪しは個人の判断にまかせるけれど、この書き方で書き上げ、成立させているということに関して、さすがキングと思うんですよ。
映画『呪怨』をハリウッドリメイクするときに、呪怨というものはなんなのか、という説明をしなければ向こうで受けない。
日本だと、そこまで踏み込んだ説明がなくても誰も文句は言わない。
などという話を聞いたことがある。そのせいなのか、クリスティーンが暴走する理由が映画とちがって明確に記されていた。
映画でもそれっぽいシーンはあるにはある。それでも明確には表現されていない。
これがいいのか、わるいのか。
これは、映画から観るか、小説から見るか問題な気もする。
しかし、アーニーの非道い腰痛の原因は、ゾクっとしましたよ。
あと見てくださいよ、この表紙の素晴らしさ。
上巻が手に入れた時のクリスティーンで、下巻は復活したクリスティーン。
これはホント素晴らしい。
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