日記2023年11月③
今日も日記から始めていく。子供が寒いのと言うので昨日から暖房をつけた。11月に入った頃から幼稚園をお休みしたいと言って泣いたり怒って親を叩いたり夜驚症が続いたりした。こういうとき子供は親への要求に一切の手加減をしない。全面的な愛を求める。それに応えることは原理的に不可能なほどの愛の要求であって、親はそれに振り回されて困ることしかできず、しかしそうやって応えきれないことを持ち堪えることが親の仕事だと言えるし、満たされきらないギャップが残ることこそが子供のこの先の人生の原動力になる。ラカンの欲求と要求と欲望のグラフを参照のこと。
佐々木正美先生の著書を読むと、こういうときはもう全力で甘やかしていいのだと思えるようになる。最近はご飯を食べなくても風呂に入らなくてもおもちゃをねだられても夜に出かけたいと言われても、なるべく応えるようにしている。そうするとむしろ、子供も遠慮したり我慢しているのだという部分が見えやすくなる。風呂も3日目には入るし、おもちゃも高いものには無理を言わない。幼稚園を休みたいというのも、我々も仕事ややることがあるのでなかなか難しいのだが、できる日には午後の2時に早めに迎えに行くことにした。論文を書かなければいけないので正直今は時間がカツカツなのだが、しかし子供との時間を犠牲にしてまでやりこむものでもないよなとそうなったあとに気づいた。というわけで昨日は早めにお迎えをして家に帰った。とても機嫌がよくて、たくさんキスをされた。
夕方、お母さんを迎えにいくというので二人で車で迎えに出た。妻は迎えに行かなくても帰って来られるから、別に迎えにいく必要はなくて、この不要な外出のおかげで昨日は大変な目にあった。
住宅街のはずれの片側一車線の道路で信号待ちをしていたら、背後からミシミシと音がして車が揺れた。振り返ると後ろの車がゴリゴリと追突していた。歩道の小学生が20人くらいわらわらと集まってきて、交通事故だとワーワー言って、窓越しに大丈夫ですか?!大丈夫ですか?!と大きな声で聞いてくる。後ろの車はゆっくりバックして路地を右折してあっちのほうに行ってしまって、おーいと思っていると小学生がこれはこっちは完全に悪くないですねと話しかけてきた。警察に電話しましょうかと言うからそれは私がやるから大丈夫だよと小学生の相手をしながら110番をかけ、小学生の声で聞き取りにくい中大きな声でオペレーターに事故の旨を伝えた。小学生が飽きて三々五々帰って行った頃に向こうからおじいさんが杖をついて右脚を引き摺りながらやってきた。そのまま横断歩道もない道路を横断してこっちに来るので危なくてしょうがなかったが、「ごめんなさいねえ」「脚が悪くて」「病院に向かっていたんですよ」と丁寧にお話しされてこっちも毒気が抜けたというか、こっちがしっかりせねばという気持ちもあった。80歳くらいだった。警察には連絡しましたんで待っててもらえますかと言ったらわかりましたと言って自分の車に戻っていった。また道路を横断するので危なくてしょうがない。
警察の到着はそれなりに時間がかかって心細かった。警察の人は当然だが事故の処理に慣れているので助かる。ぱっぱと必要なことをやりつつこちらのことも気遣ってくれて、今後の流れも説明してくれる。怪我がなくてよかったですねと言われて、そういえばそうだなとそのときに気がついた。おじいさんは免許の返納を勧められていたが、耳が遠くてあんまり聞いていなかった。私も仕事柄高齢者に車の運転をやめるように言うことがあるが、それはどうしても人生を畳んでいく、ちょっとずつ死ぬ準備をしなさいと言っていることになり、なかなか難しいことであるが、老人は老人で聞いていなかったりもするのでさくっと言ってもいいのかもしれない。しかしいずれにせよ私たち医者はそういうことを言える立場にあって、それは怖いことでもある。おじいさんは警察の人の前でも道路を横断しようとしたのでみんなが止めたが、なんせ耳が遠いので全然止まらず、警察のおじさんは「全然言うこと聞かねえ」とぼやいていた。でもおじいさんは帰る間際にも丁寧にお辞儀して「申し訳なかったです」「保険会社にも連絡しますね」と言っていてちゃんとしていた。まああの脚と難聴で運転はやめた方が良さそうだったが。
私の母方の祖父母は私が生まれたときには祖父が90歳近く、祖母が80歳近くだったので、おじいちゃんおばあちゃんというとそれくらいの高齢者を想像し、それくらいの年の人の前だと私自身ちょっと子供に戻ってしまうところがある。多くの人は成人してからそういう年齢の祖父母に出会うからだろうか、医者をやっていると90近い老人はもうこれ以上長生きしなくてもいいだろうみたいな「大人な」ことを言う人がたくさん周りにいるわけだけれど、私はなんとか少しでも元気に長生きしてほしいなとまず素朴に思う。実は先月の下旬に父方の祖母が亡くなり、祖父母はみな故人となった。先日の文フリで出した小説は祖母の遺品整理の話であった。もう孫の立場は卒業だろうか。
事故の処理が終わって妻をピックアップして家に帰り、手羽元と白菜を蒸し煮にて食べた。美味しかった。最近忙しすぎて料理から離れていたのだが、久しぶりに作って家で炊いたご飯で食べると店屋物とは全く違う美味しさがあった。今日も論文を書かねばならず、教官からのプレッシャーもあるのだが、こうやって日記を書いたり、料理を作ったりして何かを摂取したほうがいい。今日も早めに幼稚園に迎えに行く。それまでに論文を少し進める。
最後に読んでいる本についてメモ。伊藤潤一郎『「誰でもないあなた」へ:投擲通信』、最初の二章で「誰でもないあなた」という「不定の二人称」(未確定だが現前しているという矛盾を孕む)や、「待ちながら」という未決定で宙ぶらりんな状態、そして「庭」という「外部」を招き入れる一意に確定しない空間について語られる。このような矛盾するものの共立とそれをそのままに保持する構造が一般的な意味の「外部」から個別的な意味を招来するための前提になるということは、郡司ペギオ幸夫『創造性はどこからやってくるのか』で述べられた「トラウマ構造」と相似形である。小林聡幸『うつ病ダイバーシティ』でさらっと治療の中で「待つ」ことの重要性を述べた箇所があり、この伊藤・郡司の論点はこのような臨床的な経験の背後にある構造を考えるのに必要なものだ。ある種の創作と同じ構造がうつ病の回復にもあるのではないかと思う。
もう一つ、斎藤環『「社会的うつ病」の治し方』。社会に瀰漫する軽症うつ病をレジリアンスと自己愛という点から考え、人間関係、「人薬」という対処法を提案する。10年以上前のとても大事な論点なのだが、おもしろいなと思ったのが、「グルーミング」という言葉を「毛づくろい・身づくろい」という意味で肯定的に語っているところである。「グルーミング」といえばここ数年もっぱら年長者が年少者を性的に懐柔して支配する行為を指し、悪魔化されていると言ってもいいくらい擁護の余地のない行為に対して使われる言葉になっている。かたや、うつ病やPTSDや引きこもりなど領域横断的に重要な要素として捉えられ、かたや深刻な人権侵害を指す。どちらも「親密な接触」が核にあり、一方に人を生かす力が、一方に人を殺す力が顔をのぞかせる。この10年で「親密な接触」はその暴力的な側面がより重要視されるようになったのだと言えるかもしれない。当事者研究の団体でハラスメントが告発されたこともそのような二面性を表しているのだろう。今の時代に『「社会的うつ病」の治し方』を語りなおすとしたら、そのような危うさがすでに知れ渡った世界であることを考慮に入れないといけないだろう。人が人と生きることは無味無臭無色透明な善性に支えられているのではなく、摩擦や痛みのある生々しい危険なものでもある。人はそのような領域から上手に距離を保って安定するために人ではなく何らかの物を「対象」として保持する。それが欲望の原因でありそうやってうまくやっていくこと自体が一種の創造であると考えたのがラカンであり、そのレベルのことまで臨床的に、生活に根ざした形で考えるべき段階なのではないかと思う。こうして、創作的な構造で「待ちながら」生活することとうつ病の治療が同時に考えられるようになる。
今日もいい現実逃避ができた。これから論文を書く。