日記2023年8月②
自分のSNSを見返しながら日記を書くとどうしてもSNSの切り貼り的な日記になってしまってあんまりおもしろくないので一から書くものも混ぜていく。そうすると乱雑なものを並べるという編集的なおもしろさが出てきたりする。
大学院のほうの進捗
8月の頭、大学院の研究のために頭部MRI画像をカルテから抽出するためのリストを作ろうと思ったのだが、何せけっこう量があるものでなかなか手が出ず、二週間ぼんやりと過ごしてしまった。徐々に罪悪感が募ってきてもうやめてしまいたくなるのだが、別に急いで進捗出さなくても卒業だけはできるしな、と思って自分をなだめる。そうするとむしろ多少やる気が出てくるから不思議なものである。結局教官に報告をする当日にばーっと仕上げて間に合わせの進捗を作ってはいどうぞと教官に見せたら、意外なことに結構順調に進められたじゃないですかと評価された。まあそんなもんである。気分がいいからそのままもう少し作業を進めて、次はまたギリギリで進捗を間に合わせられるように準備だけしておいた。そういうのが大事。ランチに肉を食べた。来月には正式な復学の書類が必要なので忘れないようにしないといけない。
うつ病の薬物療法に関する根拠として最も広く参照されてきた研究論文(STAR*D)が、正確に再解析したら結果が変わったよという論文が出て精神科の世界では話題になっている。STAR*D論文では薬物療法を工夫することで最終的な累積の寛解率が67%程度得られるということだったのだが、この度当時のデータを丸ごと再解析したら実際には35%だったよ、ということである。どうしてそうなったかというと、一つは寛解判定の基準として当初の研究デザインとは別の基準で評価されたデータも寛解ということにしちゃっていいでしょうと途中で変更したこと(それが妥当かという検証やその過程を明記しなかった)、もう一つは治療を中断したりして研究から脱落した人たちも恣意的に寛解率を予想して寛解者に含めたことによって、寛解した人の割合を増やしたからであるようだ(私が十分に正しく再解析論文を読めたかどうか怪しいので間違っていたら指摘してください)。大雑把に言えば、これまでうつ病は抗うつ薬で3分の2が治るとされていたのが、実際は3分の1しか治らないという理解に変更する必要があるということだろう。再解析論文はもし当時正確な解析で発表されていたらうつ病治療はもっと他の選択肢を探索されていただろうと指摘していて、つまりSTAR*Dの論文がこの17年間のうつ病治療の進歩を妨げたと言っているのに近いわけでこれはかなり厳しい批判だと思う。私の解釈だと、この結果は抗うつ薬が効く人が3分の1しかいないというわけではなくて、抗うつ薬だけで治る幸運な環境と状況が整っている人が3分の1で、残りの人は心理的社会的な変化が必要だということなのだと思う。さらにこの辺りは寛解という症状スコアによる判定と、「回復」という主観的・社会的なものを含んだ概念との違いも取り扱う必要があるので、議論が難しくなってくるように思う。うつ病の「回復」とは何であるのかということから考えないといけないので難しい。我々臨床医というのはそういうことを考える専門家なのではないかと思う。https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/37491091/
あれこれ
児童手当に関する書類を妻が記入してくれたので郵送した。子供がお月様にジャイアントカプリコをあげると言っていた。
今年も原爆の日、終戦記念日が来た。ダイ・インによる抗議運動が話題にあがっていた。ダイ・インで調べると「死者になりきる」等の説明が出てくるのだけど、その説明でいいのだろうかと思った。ダイ・インについては死者を想うことと生者が公的な場所で横臥することの関係を問うという難問があるように思う。私は死者に擬することよりも生者が集まって公的な場所で横臥することのほうに固有の価値があるように思う。
妻が小学生のときに盆踊りを教えにきた地元のばあさん達がすごい体が大きかったらしい。青森の私の祖父母の家にはお手伝いさんがいて、その人も体の大きな人だった。夏休みなんかで祖父母の家に行くと、その人の名前を呼ぶときだけ私は自然と青森のイントネーションを使っていた。祖父母もその人も亡くなってしまって長い。祖父母は大人として戦争を経験した人だったけれど、戦争について話を聞く前に亡くなった。今の私ならどんな話ができただろうと思うことがよくある。母方の祖父母は明治生まれと大正生まれで、小学生の私が社会の教科書の中の人じゃん、と言ったら歳の離れた従姉妹にそうなんだよと言われたのをよく覚えている。
パンツが破れたので新しいのを買った。私の頭に入る帽子を買った。キャップは絶望的に似合わなかった。
昔のファミリーレストランはこういう感じだったよなとロイホに来ると思う。ロイホはいつ行ってももっと食べたかったと思いながら満腹になる。
オアフ島の山火事が大変なことになっている。偶然読み始めた柴崎友香の短編集『週末カミング』のひとつめ「ハッピーでニュー」で、帰省先の男性が電話で、実家はハワイのオアフ島なんです、と言ってドキリとした。そこで暮らしていた人の声が一斉に響いてきたような気がした。
柴崎友香さんのツイートがよかった。
文章を書くことについて。鳥羽和久さんのツイート。世界を言葉にすることはラクダを針の穴に通すようなことだ。学校の読書感想文で、何を書いても自分の思っていることと違ってしまい、泣きべそをかきながら徹夜でなんとか原稿用紙を埋めて提出したのが私が文章を書きたいと思う原体験である。
そういえば柴崎友香さんがストレッチャーで救急車に運ばれていく夢を見た。たぶん『わたしがいなかった街で』という柴崎さんの作品の主人公と混ざっている。無事なようだったのでよかった。
髪を切った
6月の散髪の予定が子供の風邪で流れてしまい、私も美容師さんも忙しくて着る予定を組めず、今週ようやく髪を切ることができた。しかし当日、二度寝したら遅刻した。ふと目が覚めて、こういう目の覚め方をするときはたいていまだ朝なんだと思って寝返りを打ったけれどスマホが目に入って、とっくに出かける時間を過ぎていた。飛び起きた。歯磨きだけして着替えて3分で家を出た。本当は髪を切る前にお昼ご飯を食べたかったけれど、昼ご飯抜きが決定したけれど、電車の接続がうまくいって遅刻を最小限にできそうだった。駅で電車をビデオカメラで撮影している小学校一年生くらいの子供がいた。線路沿いにいつまでも空き地の広大な土地がある。何年もそのままになっている。コンクリートの基礎みたいなのが土地を四角く六つほどの区画に分けていて、その境目のところだけが土になっていて、草が高く生えている。車窓にはずっと住宅街が続く。切り通しに差し掛かると本当に線路沿いの家しか見えず、いかにも建売住宅という判で押したような同じデザインの家が並んでいることがある。私はマンションにしか住んだことがない。しかし住宅というのは多様といえば多様だ。屋根の傾斜や素材が微妙に違う。家を建てるというのはグローバルに最適化されるものではなく、ローカルな営みなのだろう。そのときその場所で手に入るもので建てる。
15分遅れで美容室に着いた。髪を洗ってもらうときに隣のおばあさん(私はおばあさんも来るような美容室で切ってもらっている)が首の位置大丈夫ですかと訊かれ、おたくが洗うのに不自由しなければいいわよ、と答えていて、担当の人は、私はこれでバッチリです、と瞬時に答え、首つらくないですか、と聞き直した。ここで「私はこれでバッチリです」と返せるのが実はすごいことなのではないか。機械的に訊ねることもできる。しかし私は訊ねられる立場に入れ替わった。私という主体が問題にされる。私はいまこの状況に対してどう感じているのかと問われる。私という存在が急に立ち上がる。そして、私たちになる。おばあさんと私という私たちになる。共同的で、相互的になる。私はおばあさんと関係する。強制的に。その準備ができているかどうか。この人はできていた。
仕事中のコミュニケーションを支える「ふつうの」応答というものについて考える。お金にならない部分だが、これなしでは仕事が成り立たない。お金が発生しないことをサービスとして求める権利は客にはないと考えるのが資本主義的なのだが、しかしゼロにはできない。そういう仕事の条件になっている感情的な基礎について考える。特に私の精神科医のような仕事は、こうした「ふつうの」ことが質を左右するし、むしろそういうことの専門家である可能性もあるわけだが、暗黙知のようなかたちで意識化されず、秘匿されている。
資本主義を支える非経済的な条件(それは補填されることなく収奪され消尽される)についてはナンシー・フレイザー『資本主義は私たちをなぜ幸せにしないか』(江口泰子訳、ちくま新書)を参照。資本主義は人種的収奪、社会的再生産、地球のエコロジー、政治権力という前提条件をもつ、経済にとどまらない「制度化された社会秩序」であり、これら自らの依ってたつ条件を喰らい尽くし不安定化する性質を、構造的に見ても歴史的に見ても持っている。現在の世界的な様々な危機はこのように拡張された資本主義の概念のもとで総合的に反資本主義という形で展開されなければならない。対抗的な制度は社会主義という形をとるだろう。すでに私たちにとって身近な危機となった問題を、ともすれば私たちとは直接の関係のないと思われる問題と、(拡張された)資本主義の概念のもとに結びつけ、我々の危機として巨視的な視座を与える内容だった。
精神科医の「ふつうの」応答に関しては、東畑開人『ふつうの相談』(金剛出版)を参照。心理療法を「ふつうの相談」という「原石」から捉えなおす試み。実はまだ読んでいる途中。精神科の日常診療で行われていることを理解するのに非常に大事な内容だと思う。
髪を切って15時過ぎにお昼を食べた。焼きそばにお酢をかけていただいてもよろしいかしらと何度も丁寧に訊ねていらっしゃる高齢のご婦人がいた。私はお粥を食べた。帰りの電車の中で動画を見ながら声を出して爆笑し続けているおじさんがいて、みんなから嫌がられていたが、本人は幸せそうだった。激しく笑うという意味での爆笑というのは普通の笑いとは違って、社会秩序への動議になりうる不穏なものをもっている。
最近Apple Musicのおすすめするプレイリストの調子がいい。
読んだもの、観たもの
文藝秋号、滝口悠生「恐竜」、夏号の「緑色」に続く連作短編で、これまた素晴らしい。子供を見守る人の経験を、良心を、人との繋がりを、丁寧に追うと、目の前の子供の視点にいつのまにかなっている。親が子を思う。保育園の目の前で寝そべって動かなくなった子供は、空の向こうに恐竜がいるのが見えてきた。恐竜はもういないなんてそんなことはない。いないものなんてないじゃないかと。ちょっと泣いてしまった。生きることを言祝ぐ、育つことを言祝ぐ。それは人を想うことなのだと。
群像9月号山本圭「誇示考」。「誇示」について歴史的に外観し、現代の自慢・誇示の民主化、誇示の資本主義の論理との親和性を述べる。著者は差異化のゲームから抜け出すような「自らの特異性をありのままに肯定する、そうした純粋な誇示」を「誇示のパレーシア」と呼び、くまのプーさんの「ぼくはチビでデブだけど、それが自慢なんだ」という台詞を挙げる。これは鳥羽和久『君は君の人生の主役になれ』で資本主義について書かれたことと同じ発想だ。「競争に最も強いのは競争していない人、他人との差異を持て余している人じゃないかな」、「いちいち個性とか言わなくても、差異はすでにそこにあるからその次元で戦えって言ってるの」(188頁)と。鳥羽さんの書いたものはお金についての対話篇であった。山本さんの言う「誇示のパレーシア」が一人称的な宣言としてまさに「誇示」の文脈で考えられているのに対して、鳥羽さんの対話編では個人の特異性や「すでにそこにある」差異が二人称的な、他者との関係の中で自然と析出してしまうものとしてパフォーマティブに書かれている。両者には資本主義の差異化のゲームが浸透しきった世界で「逆説的に」ありのままの特異性やすでにそこにある差異がなんらかの特異点になりうるという共通した視点があり、しかしそれを一人称的な文脈におくと逆説性が強調され、二人称的な対話として展開するとさもありなんという自明性が腑に落ちるという違いがあるように思う。
群像9月号、鳥羽和久さん「BTS 救済の文学」。ニーチェ的ダブルバインドの表現を多元的に展開する総体としてのBTSを、自己の土台を欠く現代人の救済の媒体=文学と捉える。彼らはARMYという強い共同体を創出しつつ同時に個人の弱い連帯を提示し、個々人が自己を愛するための道具として自らを差し出す。かく形成された巨大な総体としてのBTSは政治的な力を得、その危うさに自覚的な彼らは一旦グループ活動を止め、自由なソロ活動をすることを選ぶ。ファンも同様に、甘美なファンダムに還元されない、冷たく孤独な個人の小さな輝きを感取し、海=希望と砂漠=絶望の波打ち際で自らのBTSを物語り直す。鳥羽さんのBTS論の集大成のような一編。希望と絶望のダブルバインドという動力で駆け抜ける主体化の道を、個人としても共同体=ファンダムとしても常に「私たち」と共鳴しあいながら進んできた「総体」としてのBTSが描かれる。仮象として輝くことで個人がかすかに繋がることを彼らが示す、その希望があるから私たちは絶望の崖っぷちに立つことができる。私たちも私たちであるまま仮象としてか細くつながることができるのではないか。そういう希望を持ち、不確かな世界に不確かな自己を溶かしながら抱きしめている。
尾上右近自主公演「研の會」観てきた。夏祭浪花鑑と京鹿子娘道成寺の二本立てを二日で四公演やるという超ハードなスケジュールで気合い入っていた。夏祭は団七よりもお辰がいい。団七は好青年すぎて、もっと喧嘩っ早いところや粗忽さが滲むと泥場の舅殺しに凄みが出るように思う。道成寺は体がよく動くぶん動きすぎになってしまうのは若い役者にありがちだけど菊之助や七之助も昔はそうだったからきっと大丈夫。しっとりと踊る意識が出やすいクドキのところがよかった。やはり右近さんは踊りの心がある人だと思う。
高野文子『棒がいっぽん』どれも素晴らしい短編集。「私の知ってるあの子のこと」はいい子悪い子、幸せな子不幸せな子の境界線に疑問を抱いた子供のお話。
群像9月号、松永美穂のアウステルリッツ評「記憶の貯蔵庫としての駅」。ギッシングの『キンダートランスポートの少女』という第二次大戦中にユダヤ人の子供が親から離れて外国に避難した運動の手記を参照しながら、同じくキンダートランスポートでアイルランドに渡った設定であるアウステルリッツの物語を読む。実在のキンダートランスポートの子供であったギッシングは姉が近くにいたり戦後には「再会の集い」に参加できたり、故郷を訪れ記憶の再生を果たすことができたが、アウステルリッツは長きにわたって幼少期の記憶を思い出すことを(無意識に)避け続け、リヴァプールストリート駅で「偶然の」出会いをすることでようやく劇的に記憶を想起する。実際の世界では想起のトリガーはあるときは意図的に、本人の健全な心身のために、用意されるものだが、小説ではそれは劇的に訪れる。それがアウステルリッツを小説たらしめている。
天竜川ナコンさんのエクストリーム作曲浅草上野編、浅草の地下街でナコンさんが入った「福ちゃん」ていう店、同級生の実家かもしれない。
ナコンさんのこれもいい。
そのほか
研修医のとき当直室でクロノトリガーとかFFVII、FFIXのサントラを聴いてつらいのを必死に耐えていたから今聴くと子供の頃と研修医の頃の感情が混ざってえらいことになる。
タトゥーを入れる想像をすることがあるんだけど、なぜだか自分のタトゥーを見て猛烈に悲しくなる。
散歩中の犬が尻尾を立ててこっちを見ているので行けると思ってしゃがんだら尻尾を振って寄ってきて、飼い主さんもいい人で、ちょっと撫でたりさせてもらった。とても賢いワンちゃんで、うちの子もビビりながらお尻のところを撫でさせてもらった。
夢の中だと呂律が回らなくて一生懸命しゃべろうとするから、すごい全力の寝言を言っていたような感触が起きたあと残る。
お盆から少しずらして夏休みをとる。