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理論武装の罠

理論武装という言葉について。この言葉は、何かを説明する際に落ち度がないよう、ロジックを一貫させ、相手に指摘する隙を見せないことを意味する。

理系の学生からすると、理論武装することは望ましい。理論武装できていれば、自分の研究に論理的な飛躍がないことを意味し、それはすなわち科学的に正しいことを意味するからだ。

しかし、日常生活や会議では、理論武装することが必ずしも正しいとは限らないのではなかろうか?

そもそも、研究発表などにおいて相手が自分に対して質問や指摘をするのは、決して嫌がらせをしたいからではない。より良い研究にするためのアドバイスとして、矛盾点を教えてくれているのだ。

会議や日常生活においても同様だ。お互いに意見を出し合い議論することで、議題についての知見を、より深めようと試みる。そのための手段として、質問や指摘をしているに過ぎない。

理論武装という言葉は、武装して相手を撃破、すなわち論破しようとするニュアンスが含まれているように思う。

相手を論破することを目的にしてしまうと、本来の目的である議題を多角的に捉え、より良くすることを蔑ろにしてしまう。

話し合いの場において、勝ち負けは存在せず、あくまでも対話することでより良くしていくということを忘れずにいたい。

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