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なぜ組織にはルールが存在するのか ~DIALOGUE CARDより~

本日はDialogue Card第三弾として、『なぜ組織にはルールが存在するのか』というお題について書いてみます。
先日来、コーチをしている学生と面談する中で「今の部活のルールを変えたい」という意見を聞いたりもしており、自分自身も会社の仕組みの変更などに携わる立場にもあるので、この問いを選んでみました。

私が一言でこの問いに回答するとしたら『ルールを設定することで効率的・効果的に組織活動を行うことができるから』という回答になります。

私自身、ずっと体育会という旧態依然とした組織の中で過ごしてきており、その中で良い経験も積めた一方、「なぜこんな意味のないルールが?」と疑問を呈したくなるようなものもそれなりにありました。
そして、今は自身が運営サイドとして「ルール」についてあれこれ考えたりする状況にもありますが、現時点では『ルールは必要』というのが私なりの意見です。

ではなぜ、ルールというものは存在するのでしょうか?
遥か原初の時まで遡れば、ルールというものは存在していなかった、もしくはとても弱いものだったように思います。それは、「群れ」の規模が非常に小さく、おおよそ個の行動が組織の行動と同一と言えたからなのでしょう。個であること以上のことが求められていなかったのです。
それが時代を経て、ムラや街、国など、組織の規模が大きくなっていくにつれ、組織に求められる成果の達成がより難しくなってくる一方、様々な考えを持つ人々を束ねなければそれが達成できない、という状況になったがために、組織に一定程度の横串を差す必要が現れ、それが「ルール」として制定されていったのではないでしょうか。
すなわち『組織の規模拡大によって生じた、ハイレベルな目的を達成するためにチームを一定方向付ける力』としてルールが位置付けられている、というのが私の考えです。

では次に、今現在『意味のないルール』と思われるものがなぜ存在しているのでしょうか?これに関しては、「ある時は『必要』と思われていたルールが、時代の変化によって陳腐化してきているが、その意義について議論されていない」ことが要因でしょう。
例えば、部活に遅刻した時の「罰則」というものは多かれ少なかれ、どの組織にも一定程度存在しているはずです。昨今の考え方は『罰を与える』という行為自体を批判し、撤廃を求める声が上がっていたりします。それ自体が悪いことではないですが、撤廃する前に「なぜそのルールが生まれたのか」という背景は考察の余地があるように思います。
「遅刻」という行為が発生することで、
・当初予定していたチーム・個人としての成果が達成できないこと
・常習化することによってチームにそれを許容する雰囲気が生まれ、高いパフォーマンスを生むために必要な良い緊張感が失われること
などの不利益が考えられます。それを防ぐために当初は『罰則』なるものが方法の1つ(ディスインセンティブ)として制定されたのだと考えられます。
そうであるならば、単に「時代に合っていないから・必要ないからルールを撤廃する」ではなく、「当初の目的と照らし合わせ、今や最も適切な手法で無いから、より適切なものに『アップデート』する」という観点でルールを見直すべきなのではないでしょうか。

ルールというのは、ある意味先人たちの経験という貴重なものを土台にした「集合知」であるとも言えるはずです。それをハナから全部否定してひっくり返すのではなく、温故知新よろしく、古いものと新しいものをmixして、より良いルールに作り替えてあげることが大切だと思います。

今は、「自らの頭で考え抜くこと」が素直に受け入れられる時代になりました。昔からのルールを何も考えずに踏襲するのでもなく、短絡的に無意味・無駄だから無くすというのでもなく、メリット・デメリットを自分たちの頭で考え抜いた上で、より良いものにアップグレードしていきたいものですね。

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