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推して押されてmiComet。


 以前の悩みや気づきをもとに、再構成してまとめ直そうと思い立ちました。きっかけは人との会話で出た次の言葉です。

推しているというより、背中を押されてる。

知り合いとの会話より

本質的な魅力はどこに。

 その通りだなと思います。また一つ、考えていたことが良い言葉にされたなと感じます。推しは、その輝きを通して僕らの背中を押しているなと思う訳です。

 こういうところに魅力を感じて推す。推している私にも、そういう良いところを身に付けたい。そう思えるなら、近づくことはできるだろうから動いてみようか。内側ではそのような気持ちの流れが起こっています。

 ただ、その何に魅力を感じているかをしっかり掘り下げないとおかしなことになるとも感じていて。例えば、真摯に出来事に向き合う姿勢に魅力を感じているのに、その手前にある口調をはじめ表面的な部分を真似ようとしてもズレると言いますか。

苦もなく無理もなく。

 本質的に魅力を感じているものには近づけても、表面的な近づき方は人それぞれ向き不向きがあって。だからこそ、本質的に何が自身を惹きつけているのかを理解しようとする姿勢は常に推す中では意識していたいという。

 あくまでも、人は良いと思ったことでないとエネルギーが湧かないようで。何を良いと感じるかを、可能な限り端的に表現することで指針としての効果が最大限に発揮されるという。それがある基準以上になると、苦もなく無理もなく活動し続けられるのでしょうね。別の表現をするならば、自然体ということでしょう。

遠くの星も近くの花も。

 裏を返せば、関わるもの全てを適切に推すことができれば全てが私の背中を押してくれるということであり、ここが私にとって重要なのだと思います。

 そう考えられるからこそ、遠くの星も近くの花も等しく私の背中を押す動機として活かせるような気がしています。何より、そういう生き方に今の私は納得感をもつことができます。

 その生き方って、ある意味では、いや短期的にはサイコパス的なのかもしれません。当人の中にだけある、自他ともに最高のイメージに向けてひた走り。その道中を見る他人からは、なんかやけに動いているなとも振り回されているなとも。

 でも、そういったことを思われているということも感じつつ、多少の塩梅は調整しつつ。案外、その調整も込みで最大の結果が出ることもあり。そこを面白がり、喜怒哀楽を抱えて進んで行けたらなと思うわけです。

推して押されてmiComet。

 具体例かつ個人的な話として、推しているさくらみこと星街すいせいの本質的に惹かれている点を言葉にして整理してみようと思います。

 どちらも前提かつ当然ですが、ビジュアルと声がそもそも好みなのはあえて語りません。普通にオタクの癖に刺さっているだけです。

 さくらみこには、周りを活かす振る舞いに魅力を感じていたりします。ただ、それを支える根本的なものを掘り下げると、咲くまで待てる我慢強さに魅力を感じているのかなとも最近は思い直しています。

 この可愛いキャラで、そのフラットな姿勢を維持するのは中々に大変なのではないでしょうか。良く言えば柔らかい雰囲気ですが、裏を返せばキツいことも平気で言われそうといいますか。色々な人から様々な意見が飛んでくる、器の大きさが求められるポジションといいますか。

 舐められてもいいから自身の姿勢を維持して、フラットな立場で関わり続けて。結果的に環境が整うことで咲き誇る。開花までスタンスを変えない辛抱強さこそが、彼女に尊敬と嫉妬を感じる根本的な魅力なのだと捉えています。

 星街すいせいには、出来事に向き合う真摯な姿勢に魅力を感じているのだと思います。最後は独りになっても、進むのを止めなさそうといいますか。現在に至るまでの孤独で苛烈な道中が思い浮かぶのは、私の妄想なのでしょうか。

 もちろん夜空を想起させる黒と、空色にも寄せられる裾野の広い青を基調としたイメージも好きですし。他にも声やキャラなど魅力はありますが、やっぱり尊敬と嫉妬を抱いたのはその真摯な姿勢なんだと捉えています。

 周りを受け入れ咲くまで耐え続け、出来事に真摯に向き合い続ける、それぞれの姿を見せつけられていると、なんか悔しいというか自分はどうなんだという気持ちが嫌でも湧いてきます。

 以上のことを踏まえると、やはり誰かや何かを推すということは自身の背中を押してもらうことに繋がっていると感じる訳です。 

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