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目をつぶって引き金を引いても (「善い話」は「正しい話」か Part 2)

目をつぶって引き金を引いても、目を開けばそこに人が倒れていますよ。

あなたが撃ったのだから。

※本ページは以下の記事の続編です(本ページ単独でも読めます)。


女子高生はメインキャラとモブキャラを区別して生きている

もう10年以上前か、電車で化粧をする女子高生 (いわゆるJK) が社会問題としてテレビに取り上げられた時期がありました。化粧を人前でするなんて恥ずかしくないのか、ということです。若者が恥知らずになったのはなぜか?という疑問については認知科学の観点から以下のような指摘があります。

"彼らは、そもそも他人の存在というものを認知できないんじゃないでしょうか。自分の行動が周りに見られているという意識がない。ましてや他人にどう思われているかなんて、思いも及ばない。"

文献[1]より

しかし、少なくとも1929年の新聞には既に電車での化粧を批判する記事が載っていたようで[2]、近年の変化というより、元々の若者の特性が顕在化しただけに思います。

筆者は上記の引用に近い考えですが、もう少し若者の主観に立っています。自身の人生の主人公である若者にとって、他の乗客はモブキャラなのだから人目に値しないのでは。つまり電車は人前でもなんでもないわけで、気にしないのがむしろ普通のように思います。不快に思う乗客もいるのでしょうが (昔は嫌だと思う人が多かったことは理解できます)、その乗客は若者にとってメインキャラではないので、多少嫌な顔をされようが彼ら彼女らの人生、その後のストーリーには影響しないというわけです。

これって公害?外部不経済

筆者はこれが外部不経済[3]の問題に当たると考えています。ある経済活動が無関係な第三者に影響を与えることを外部性と言いますが、中でも第三者に「悪影響」を与えることを外部不経済と言います。

例えば公害がこれにあたり、ある製品を生産するのに環境汚染を伴う場合、取引に関与する生産者Aと購入者Bとは別に、取引に関与しない者Cがその環境汚染の影響を受けます。

これを電車での化粧の例に当てはめると、以下のように対応します。
 ・電車で化粧をする女子高生 (主人公) ・・・ 生産者A
 ・これから会う友人 (メインキャラ) ・・・ 購入者B
 ・他の乗客 (モブキャラ) ・・・ 取引に関与しない者C

電車での化粧の場合、他の乗客への影響が「イヤだなぁ」で済むので、取り立てて騒ぐ問題ではないかもしれません。しかし、公害のように、世の中には似た構造の問題があって、中でも取引に関与しない者への加害が深刻な場合があります。

無自覚な加害と意識的な加害

筆者の考える、似た構造の問題は大きく分けて2通り、加害が (1)無自覚に行われる場合 と、(2)意識的に行われる場合 があります。(1)無自覚な場合 については以前の記事でいくつか紹介しましたが、本記事では (2)意識的な場合 についての例を挙げます。

①ポジショントーク

間接民主制の日本では、国会議員は国民の代表として選出されているはずですが、それぞれ所属政党や出身の組織、選出された選挙区があり、政治家一人一人は国民全体を代表しているわけではありません。国会議員はいったい「誰に見られていると思っている」、つまり「誰をメインキャラクターだと認識している」のでしょうか。

  • 例えば野党の政党の提案には、実現性を考慮していないのではというものが見受けられます。これは国民のうち、政党に既に共感している票田 (メイン) への宣伝で、国民全体 (モブ) の生活に寄与するものではないでしょう。実効性がないのですから。

  • 国会での演技がかった野次も、国民 (モブ) 目線では恥ずかしい振る舞いですが、ボスや仲間 (メイン) に向けたポーズと思えば納得がいきます。早い話が「親分が気にくわなそうな奴がいたんでシメておきましたよ。俺、えらいでしょ。」というムーブです。

  • 中傷にあたるような発言[4,5]も、先鋭化した支持者 (メイン) に向けての慣れが生み出すもので、誰か (モブ) への加害を黙認しています。これは、同級生を下げて友人から笑いをとる、残念な学生カースト強者の振る舞いと同じです。

図1 「俺、えらいでしょ。」ムーブ

②裏撮り不足

近年マスメディアの質の低下への指摘、特に裏撮りの不足に関するものをよく見かけます。ネットの発展により相対的に速報性が下がり、マスメディアへのニーズが変化するなか、市民のファクトチェックによりエビデンス軽視が顕在化し正確性にも疑問が持たれています。

  • エビデンス軽視への批判を、エビデンスを武器に叩くな[6]と正当化しようとした藁人形論法が炎上しましたが、エビデンスは十分条件でなくとも必要条件です。主観 (いわゆる「お気持ち」) は確かに重要ですが、主観を大切にすることと裏撮りの努力とは相反せず、努力を怠ることを正当化できません[7]。

  • 過去はメディア=権威が発信したものを一般市民は受け取るだけでしたが、近年はSNSなどを通じて専門家が検証・発信できるようになり、ある程度はブレーキの役割が果たされているように見えます。例えば、メディアが理解できていないまま「新発見」を囃し立てる[8]様子にも疑問の声が挙がり、それが可視化されるようになりました。

箱の中の猫は既に亡くなっているのに?

政治家の根拠のない非難や、メディアの誤報は不勉強で済む話なのでしょうか。そして、なぜ検証する努力を怠るのでしょうか。

たしかに、本当に信じているものを検証の途中で発信することもあるでしょう。しかし、本当に信じているのでしょうか。筆者の目には違うように映っています。

"逆転主義者は、消費する以上の圧力差を発生させられる機械、失われた活力を宇宙にとりもどす永久動力源をいつか建造できると確信して、努力を続けている。

わたしは彼らの楽観を共有していない。"

文献[9]より

勘ぐりすぎかもしれませんが、不勉強を通り越して「目をつぶっている」と言えるケースがあるのではと思います。

  • 根拠のない非難や誤報の元ネタを検証して、もし間違いであることが確定してしまうと、もう発信できなくなり、それまでの労力がムダになります。

  • 一方で、意図的に検証しないことで「間違いかどうかはまだ分からない」という状態のままで発信できるというメリットがあります。

この「目をつぶる」という行為はある種の捏造だと私は考えます[10]。倫理的な議論は一旦横に置いておいて、この捏造には当然ながら、間違いが明るみになるリスクが伴います。これは発信の数が多いほど、そして広くリーチするほど間違ったことを指摘される可能性が高まるということです。

一方で、政治家やメディアやタレントの仕事は情報の発信であり、多くの人に情報が届くほど彼らの価値が高まる、トレードオフの関係です。彼らにとって発信はメシのタネですから「言わない」という選択肢はないわけで、そんな中での最善手は指摘に対して「耳をふさぐ」ことになります[11]。どうせ叩いてくるのはモブ、つまり彼らにとっての「外部」なのですから。

図2 二ざる着飾る

まとめ

限られた時間の中で競争社会で戦うために「バレない」ことに賭けるという戦略を選ぶことは理解できます。一方で、前述のように疑問や指摘の発信も広がりつつあります。情報交流のコストが低下した現代においては、健全な批判が当然のこととして受け入れられ、議論が活性化し、人々が全体最適や長期的な視点を持つようになる可能性はあります。

これは「目をつぶり」「耳をふさいで」もモブを意識しなければならない状態、逃げ場のない健全な監視社会とも言えるかもしれません。

図3 健全な監視社会

筆者は、上記のような社会が実現し、誠実な行動が奨励されるような未来になることを期待します。簡単に言えば「ズルが割に合わない社会」が実現することを願って。それではまた。

参考文献

[1] 澤口俊之, 南伸坊, "平然と車内で化粧する脳 (文庫版)" , 扶桑社, pp. 10-15, (2004).
[2] 斗鬼正一, "鉄道車内という空間と日本人のアイデンティティ ──なぜ車内通話,化粧,飲食は嫌悪されるのか──" , 江戸川大学紀要, 26, 83 (2016).
[3] N・グレゴリー・マンキュー, "マンキュー経済学I ミクロ編 (第4版)" , 東洋経済新報社, pp. 294-297, (2019).
[4] J-CASTニュース, "山本太郎議員「国会議員に出す弁当はベクレてる」 西日本、九州、海外から食材「お取り寄せ」" , (2024年5月3日閲覧).
[5] 産経電子版, "「放射線」に過剰反応 コメ新品種「あきたこまちR」の開発手法に誹謗中傷、福島瑞穂氏も" , (2024年5月3日閲覧).
[6] 朝日新聞デジタル, "「エビデンス」がないと駄目ですか? 数値がすくい取れない真理とは" , (2024年5月3日閲覧).
[7] エビデンス軽視の報道は、先日のニュースにあった、工期短縮のためにコンクリが薄いままトンネル工事を進めた事件と同じ構図でしょう。※毎日新聞デジタル, "完成したはずのトンネルは「張りぼて」 ほぼ全工程やり直しに" , (2024年5月3日閲覧).
[8] 東洋経済オンライン "「ヤバい温暖化」に本気で挑む23歳化学者の生き方10歳からはじめた研究活動はもうすぐ14年目" , (2024年5月3日閲覧).
[9] テッド・チャン, "息吹 (文庫版)" , 早川書房, p. 90, (2023).
[10] 似た構造の問題としては、死亡届を出さないことで年金を不正受給するというものがあります。自分が一時の得するための行為が元で、回りまわって遠くに迷惑をかける、まさに外部性のようなものです。※厚生労働省 "高齢者の所在不明問題について" , (2024年5月3日閲覧).
[11] 多くの人に届いた後で目をつぶっていることを指摘された場合、耳をふさぐことで当座を凌げます。その指摘が自身の客層に届くまでの間だけですが。※大阪市, "水と大気中のCO2等から生成する人工石油(合成燃料)を活用した実証実験について", (2024年5月5日閲覧) ※朝日新聞デジタル, "CO2回収サブスク賛否 手がける村木風海さんの主張と専門家の批判" , (2024年5月5日閲覧).
  戦略として、積み上げた虚構を短期的なポジションと捉え、腹を括ってやる分には効率的なのかもしれません。これはテレビで持て囃された占い師の末路に似た話です。


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