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「善い話」は「正しい話」か


"あとしまつに頭を使うのは、だれもがいやがっていたのだ。"

星新一の代表作といえば『おーい でてこーい』[1]ではないでしょうか。

台風で壊れた社の跡に底なしの穴が現れた。「おーい、でてこーい」と声をかけても反響はなく、石ころを投げても音もしない。人々はこの穴を便利なごみ捨て場として活用し、あらゆるものを廃棄していった。年月が経ったある日、空から「おーい、でてこーい」と声が聞こえ、石ころが落ちてきた。

『おーい でてこーい』あらすじ (文献[1]を元に作成)

この作品のテーマは「問題の先送り」です。最後は活動の主体 (ごみを捨ててきた人々) が被害を受けることが示唆されて終わります。

現実でも、活動の結果として悪影響 (被害) が生じる場合がありますが、被害を受けるのは活動の主体であるとは限りません。また、活動の主体と被害者の距離が遠いとなかなか被害に気付けません。この「距離」は時間的に遠い場合や、関係性が遠い場合も悪影響に対する意識が希薄になります。これは、現金よりクレジットカードの方が支払いに対する心理的な痛みが小さいため、その結果お金を使ってしまう現象[2]に似ています。

世の中には被害者が遠いために気づくのが難しいけれど、深刻な影響を及ぼす場合があります。また、その活動が良かれと思って、つまり善意によるものだとしたら、活動の主体が被害者の存在に気づくことはなおさら難しいでしょう。

善意の悪影響と遠い被害者

以下に被害者が①時間的に遠い場合と②関係性が遠い場合の例を記します。

① スケアード・ストレート・プログラム

これは米国の、非行少年を更生させる目的で刑務所で受刑者との交流を体験させるプログラム[3]です。

自分と同じようにはなって欲しくないという受刑者が非行少年を恫喝してみせ、非行少年は恐怖から更生を誓う。甘美なストーリーからこのプログラムは一時もてはやされ、日本のテレビでも紹介されました。

図1 テレビで紹介された内容に基づく筆者のイメージ

しかしその後の調査では、このプログラムで刑務所を訪問した子どもたちは後年、再犯率が高くなることが明らかになっています。つまり、良かれと思っていたスケアード・ストレート・プログラムは無意味どころか有害だったことになります。

このプログラムのように、追跡調査で害が明らかになったのは幸運なケースで、時間的に遠い被害を追跡することは難しいと思います。意識的に追跡を始める必要があり、継続が必要な上、事情があって追跡不可能な場合もあるでしょう。

②『水からの伝言/水は答えを知っている』の教育利用

2000年前後に、水が言葉を理解するという疑似科学[4,5]が流行しました。

"「ありがとう」という言葉を見せた水は美しく均整のとれた六角形の結晶を作ったのに対し,「ばかやろう」では汚らしい氷になったという.このような「実験」結果を真に受ける読者はいないと思うが,"

文献[4]より

なんと、これを利用した道徳の授業が広まりました。その授業では以下のようなロジックが述べられています。
 ・水は言葉を理解する
 ・人体の6~7割は水である
 ・よって人に悪い言葉をかけると人体に影響する
 ・だから悪い言葉を使うのはやめましょう

図2 確かに人体の6~7割は水ですけれども

これも甘美なストーリーで、「悪い言葉を使うのはやめましょう」という主張に問題はないように見えます。しかし、根本である「水は言葉を理解する」という点がそもそも間違っています。

この教育利用の背景には「善い話」だから「正しい話」なんだ、という思い込みがあったように思います。一見正しそうで誤っているロジックを肯定することは、科学リテラシーを低下させ、オカルト商法 (端的に言えば疑似科学を利用した詐欺) への導入に繋がります。実際に「水は言葉を理解する」という言説は波動水商法の入口になっており、これはソフトドラッグをハードドラッグの入口とする構図にも似ています。

悪意がないなら能力がない

上記の2例は「非行少年に更生してほしい」「生徒に悪い言葉を使うのをやめてほしい」という善意に基づいて、誤った説が広まったものです。これらの背景にある甘美なストーリーは、言説を信じさせることにかなり寄与したのではと思います。人間は下記のように伝聞から主観を形成する[6]と言われています。

"次に示すのは、大まかな主観の形成過程だと「私たちが考えるもの」である。
 (1) 何かを耳にする
 (2) その内容を吟味し、真実か嘘かを判断する
 (3) 判断を下したのち、主観を形成する

だが、「実際の」主観形成は以下の経過をたどる。
 (1) 何かを耳にする
 (2) それが真実だと信じる
 (3) その後、ほんのたまに、時間があったり気が向いたりすれば、その内容を吟味して真実か嘘かを判断する"

文献[6]より

甘美なストーリーを聞いて「善い話」だと感じた人は (2)それが真実だと信じる ところで満足してしまい、なかなか (3)その内容を吟味して真実か嘘かを判断する には進まないのではないでしょうか。しかし「善い話」が必ずしも「正しい話」とは限りません。これらを混同すると問題が生じます。

上記の2例では第三者への悪影響、つまり加害が生じているわけですが、良かれと思った善意によって、生じてしまった加害が浄化されることはありません。加害は加害です。活動の主体に悪意がなかったのだとしたら、それは加害が発生することに気づくだけの能力がなかったということです。

図3 加害者は「知りませんでした」と口を揃える

まとめ

の前に少し脱線を

2024年1月1日現在、X (旧Twitter) 上では2023年末の紅白でのYOASOBI『アイドル』のパフォーマンスの考察が多く観測できます。視聴者が演出 (文脈モリモリ過ぎて最高) から、背景にあるストーリーを見出しています。しかし、視聴者が見出したストーリーのある程度の部分は、プロデューサーや演者はそこまで考えていなかったのでは、つまりは深読みではないかと筆者は考えます。

X (旧Twitter) は開かれた場ですが、アルゴリズムを考えるとその実はエコーチェンバーです。ゆる言語学ラジオでも指摘されています[7]が、このような場では深読みを含む考察が議論され、成立する形に淘汰され、甘美なストーリーが磨かれていきます。考察の過程はとても楽しいもので、磨き上げられた異説はとても美しい形をしています。これは多様な解釈が許容される創作やエンタメにおいては素晴らしいことだと思います (創作やエンタメについての議論は別の機会に)。

本当の本当にまとめ

一方で、サイエンスにおいては「甘美なストーリーができた」で終わってはいられません。サイエンスでは議論の末に見出したストーリーが妥当であったか、活動に実効性があったかの検証が必要です。

サイエンスに携わる者として、筆者は「検証すること」、「検証結果が失敗であればそれを認めること」、「失敗を反省して次に活かすこと」のいずれが欠けてもいけないと考えています。これらは当たり前のようですが、実行するのは本当に難しいです。

実行するには、例えば「ここのピースが成立さえすればキレイな一本のストーリーが出来上がるのに」という時に、検証したピースがダメだったらストーリーごと捨てるような勇気が必要だと思います。LEGO社の再利用PETを用いた材料開発の中止発表[8]は、まさに検証の結果、失敗を認め、次に活かす例であり、勇気をくれました。

失敗を認め、そこから努力できる。今年こそ、そういうものにわたしはなりたい。それではまた。

参考文献

[1] 星新一, "おーい でてこーい (ボッコちゃん (新潮文庫) 収録)" , 新潮社, (1971).
[2] Dilip Soman, "The Effect of Payment Transparency on
Consumption: Quasi-Experiments from the Field
" , Marketing Letters, 14, 173 (2003).
[3] マシュー・サイド, "失敗の科学" ,ディスカヴァー・トゥエンティワン, Kindle位置 2249, (2016).
[4] 天羽優子, 菊池誠, 田崎晴明, "「水からの伝言」をめぐって" , 日本物理学会誌, 66, 342 (2011).
[5] 左巻健男, "水はなんにも知らないよ" ,ディスカヴァー・トゥエンティワン, pp. 55-58, (2007).
[6] アニー・デューク, 長尾 莉紗, "確率思考 不確かな未来から利益を生みだす" , 日経BP, Kindle位置 789, (2018).
[7] ゆる言語学ラジオ, "小林・益川理論は腐女子の妄想と同じ?偉大な科学者と腐女子の共通点について【雑談回】#199", (2024年1月1日視聴).
[8] BBC News, "Lego axes plan to make bricks from recycled bottles", (2024年1月1日閲覧).


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