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俳優か、女優か、役者か。

何日か前に。
"女優"という表記について話題になっているのを目にしました。

ぼくは"俳優"だろうが、"女優"だろうが、"役者"だろうが、"声優"だろうが…自分が名乗りたいものを名乗れば良いと思いますし、他人がどう呼称しようが誰にも規定されることはないと考えています。

▼俳優・女優・声優・役者

ぼくは昔から、男女関係なしに座員を紹介する時は「うちの俳優です」と紹介しています。

これはあくまでぼくの好みであり、ぼくの習慣です。
本人たちが”女優”と言おうが”俳優”と言おうが”声優”と言おうが”役者”と言おうがそれは本人の自由だと考えています。

何故、ぼくが”俳優”と紹介しているかと言えば、座に所属していて、演じることを基本的な仕事としているものは、『俳優』だと考えているからです。
そこに男女の区別があるわけではなく、肩書ではなく、職種だからと考えているからです。

ただ、例えば、劇団の座員が「自分は女優です」と名乗っていれば女優という時もありますし、我が座以外の現場で「役者さん」という呼称が慣例となっていればそれに従います。

ですから、ぼくは、『演じることをする人』が俳優"だろうが、"女優"だろうが、"役者"だろうが、"声優"だろうが…自分が名乗りたいものを名乗れば良いと考えています。

▼世の中にある男女の区別

今では世の中に浸透しましたが、”看護婦”を"看護師"という呼称に代わった時がありました。

しかし、ぼくはこの呼称にも未だに違和感を覚える時があります。
誤解を恐れずに言いますが、ぼくには”看護婦さん”と言う事がしっくりする時があります。
ただ、該当の職業の方々が「看護師」と名乗る事には何の違和感もありません。

これは長い間、ぼくの人生の半分以上、「看護婦さん」と言ってきたから”慣れている”という部分もありますし、ぼくの根底の中にある、『女性には勝てない』という考えもありますし、女性を差別する気持ちなんて毛頭もありません。
ただ。女性にしかできない事もあると考えていますし、男性にしかできないこともあると思っています。
さらに女性の特性もあると感じていますし、男性の特性ももちろんあります。

ですので、現在言われているのジェンダー平等やジェンダーバイアスに対する考え方からはだいぶかけ離れていると思いますが、職種の呼び方として、男性特有のもの、女性特有のものがあっても良いと思いますし、少なくともぼくは、そうした職種を呼ぶときに尊敬の念は持っているつもりです。

▼舞台演出家、照明さん、音響さん、制作さん・・・

ぼく自身、自分のことを”舞台演出家”と名乗っています。
「演出家さん」と言われる時も言われる時もありますし、「脚本家さん」と言われる時もありますし、「制作さん」「照明さん」「音響さん」「先生」と言われる時もあります。

ぼく自身は、自分の事を”舞台演出家”だと自称していますが、他人がぼくをどう認識してどう呼ぼうがあまり気にしていません。

といいますのも、ぼくはぼくを「舞台演出家」だと考えていますし、それを行う上において必要な仕事はすべて自信をもって行っているからです。

ありがたいことに、俳優さんからも他のスタッフからもお客様からも”舞台演出家”として選ばれています。
もちろん、著名ではありませんが、それでも選ばれていると自負しています。
そのぼくの『演出活動』に制作業務"だったり、"照明・音響業務"だったり、"書く"事であったり、"先生"の役割だったり…が必要なのであれば、それはぼく自身がやるべきことだと思っています。

先ほども申しましたが、ぼくは『有名』ではありませんので、中には「『自称・舞台演出家』でしょ」と感じている人間もいるようです。
しかしながら、常にぼくは”舞台演出家”であると意識しておりますので、それに役立つこと、付随することはやるべきだと思っていますし、もし、やったことのない作業内容であれば調べますし、チャレンジもします。


今まで生きてきて―――無論、生きる糧を得るためでもありますが―――タクシーの乗務をしたり、鉄骨現場で働いたり、システムエンジニアをしたり、ライターをしたり、音響、照明の仕事というのはぼくの演出活動の糧になっていますし、そのどれが欠けても、ぼくは存在していないと感じています。

逆に言えば、ぼくの生きる目標とか演出活動にまったく繋がらない事は死んでもやりたくありません。
つまり。ぼくの舞台演出家としての活動、新和座の活動に繋がらないものは一切やってきませんでした。

▼呼称の大切さ

少し話は逸れましたが、こうしたぼくの考え方から他人がぼくを『舞台演出家』と認識していなくてもあまり気になりません。
お仕事を頂いた先の方が『舞台演出家』と認識されていたらそれはとっても嬉しいですが、そうでなかったとしても嫌な思いをすることはありません。

ただ、その先に『演出活動』に繋がることが見出せることがこの世の中には多いと感じています。
ですので、色々な仕事をさせてもらっています。

とはいえ、自分自身で名乗る”呼称”はとても大事だと感じています。

つまり、自分の根本が何者であるか、ということは名乗るべきだと考えているのです。
自分の生きる目的を表す呼称だとも考えています。

件の『女優』という呼称についてもそうですが、自分自身で自分を表す言葉については大事にしていく事が必要だと感じています。

ただ。
他人がその人のことをどう呼ぶかは干渉すべきではないのではないかとも考えています。
つまり、その人の仕事を表す”肩書”であろうが、”呼称”であろうが、”職種”であろうが、大事なのはその人が行う仕事なのではないか、と考えているからです。

▼何ができるか、何をしてきたのか

例えば、八百屋さんに行って、「魚をください」という人は少ないと思います。
何故ならば、八百屋さんには野菜や果物を基本的に売っていると思っている人が多いからです。

しかし、中には『魚コーナー』がある八百屋さんがあるかもしれませんし、そういう八百屋さんしか知らない人が居たら、他の八百屋さんに行って違和感を覚えるかもしれません。

ぼくはその人の職業や生き方を表す”肩書”や"呼称"や"職種"は、自分自身大事にしていくべきだと考えていますし、他人の呼称・職種・肩書も大事にしていきたいです。

何故ならば、そういったものはその人が『何ができるか』『何をしてきたか』ということを端的に表すものだからです。

だからこそ、例えば「女優です」と名乗っていても、ぼくは『女を前面にだしている』とも『性差を誇張している』とも思いません。
『女性の特性を活かしている』とは感じますが、それはけして悪い事だとは考えていません。

ぼくは職業や仕事を他の人が評価する事が呼称や肩書に繋がると思いますし、その場合場合によって使い分けることも必要な時があると考えています。

呼称や肩書が独り歩きしたり、空回りして中身が伴っていないのであればそれは空虚なものになってしまうと考えています。
呼称はとても大切です。ですので、自分自身が大切にすることは非常に肝要ですし、如何に名乗ろうと自由です。
そういった中で他人が自分をどう呼称しようか、捉えているかは、やはり、その方の自由であると考えています。
他の人がどう感じるかよりも、自分自身の大切にしている職種に誇りを持ち、自分の仕事への考え方や内容を磨いていく事が大切だと感じています。



舞台演出家の武藤と申します。お気に召しましたら、サポートのほど、よろしくお願いいたします!