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いのち

この2週間くらいでしょうか。
『いのち』ということについて考える時間がありました。

ぼく自身や仲間、家族、近しい人に”何か”があったわけじゃありません。
ぼく自身体調が悪くなったわけでもありません。

しかしながら……
――『いのち』が急に終わってしまったらどうなってしまうのだろうか。
そういうことを漠然と考える時間が――ぼくにしては珍しく――たくさんありました。

こんなぼくでも、人生の目標があって、それに向かって一つ一つ進めている事があります。反面、なかなかできないなぁ~と思う事があります。
基本的には『チャレンジ』だと思って色々な事に挑戦しているつもり
ですし、この歳ですから、成果を手に入れたこともありますし、未だに実現できないこともたくさんあります。

普段はこうした目標ややる事をやっている時に『いのち』が急に終わってしまうということはあまり考えません。

ただ、この2週間くらい……頭の片隅に『いのち』ということを漠然と考えていました。


ぼくの母親は15年ほど前に亡くなりました。
1年ほど闘病してからのお別れでしたので、悲しかったのはもちろんなのですが……ぼくら家族にとって「突然」ではありませんでした。

無論、闘病している時も「必ず治るんだ」という強い気持ちを家族は持ち合わせていましたし、今も母の教えや考えが――合わない部分があったとしても――心にあります。

今でも思い出すことがありますし、ぼくは父と母の子として生まれてきて良かったなと心から感じています。
生まれ変わったとしてもまた、ぼくは父と母の子として生を受けたいと強く思っています。


もし、明日、急にぼくの『いのち』が終わってしまったら、という事を考えた時に。
ものすごい不安に襲われました。
急に終わってしまってたら・・・
ぼくの今している仕事はどうなるのだろう。
ぼくの演出作品はもうできない。
あ、エロ動画どうしよう。
あ、パソコンの中身まずいな。
あ、手帳はもっとまずいな…

それと同時に家族や仲間のことをたくさん思い出しました。

とっても冷めた書き方をすれば、ぼくの『いのち』がなくなってしまったとしても、家族や仲間は悲しんでくれるかもしれないですが……
彼ら彼女たちの人生や人生の目的に向けてはぼく無しでも進みます。
ぼくが居ても居なくても進むわけです。

ただ、やっぱり、ぼく自身は寂しいな、とは思います。

こんなことをこの2週間くらい、グダグダと頭の中で考えていました。

本当に明日にでも消える『いのち』であったとしても。
会いたい人に会っておこうとかやりたいことをしておこうという気持ちには今はなれないのです。
何故ならば、今、世界はコロナ禍であり、行動が制限されているところが多い。
そして、ぼくが会いたいのは……守りたい人々なわけですから、ぼくの都合だけで会いたいとはどうしても思えないですし、ぼくの都合だけで何かをする、ということに腰はあがらないのが正直なところです。

もちろん、このコロナ禍でもお目にかかっている人もいる事もあります。
しかし、それはこの新型コロナウィルスが蔓延する前のように自由に、頻繁に、制限なく、ということはありません。
仕事であっても、余暇であっても……最大限の感染予防をして、お目にかかってからの2週間は会った人たちの健康を気にしてきたつもりです。
その方々もぼくにとってとても大切な方々です。

今、忘れがちになっていることですが、
新型コロナウィルスというのは、正体が完全に把握できているとは認識していません。
ぼくにとって、わけのわからないウイルス――目に見えない敵が未だ猛威をふるっている状態だ
と考えています。

もちろん、ワクチン接種もどんどん行われて、
自由に制限なく、活動できる日は必ず来るとさらに感じています。
おそらくは、治療薬も近い将来できるのではないでしょうか。

とはいえ…今、たった今はまだ未知のウイルスを相手にしているわけです。


もちろん、『いのち』が終わる原因は新型コロナウィルス感染症によるものだけではありません。
色々な原因があります。
今、ニュースや自治体の報せなどでも『感染者』『重傷者』『死者』の数を知ることができます。
しかし、数を知ることが出来ても、その人たちの人生や思いを知ることはできません。

ぼくなんかよりも頭の良い人や偉い人たちにはもちろん、こうした”数値”を元に、これらを限りなく”0”に近づくように色々な知恵を出し、実際に施策をとってほしいと強く感じています。

ただ、それと同時に。
やっぱり、数値だけではなく、その人たちの『人生』だとか『家族』だとか『仲間』だとか『仕事』だとかということに少しでも良いから思いを馳せてほしいなぁとも思っています。

今、本当におかしい事が多いと感じています。
ぼく自身は一つ一つの事象に是々非々で考えていきたいと思っていますが、それでも納得できない事が多い現状ではあります。


ぼくにも『人生』『家族』『仲間』『仕事』『いのち』があるように、ぼく以外の人にも『人生』『家族』『仲間』『仕事』『いのち』があります。

そして、人間の以外の『いのち』も。

ぼくは人でも動植物でも『いのち』が尽きて一番寂しいのは…音が聞こえなくなることだと思っています。
人や動物であれば声が聞けなくなること。
植物であれば、花や葉の音が聞けなくなること。
もちろん、音声や動画を撮っておくことは可能ですが・・・生の音が聞こえなくなる、ということに寂しさを感じてしまいます。

今のところ。健康で生きています。
だからこそ、ぼく自身、『人生』『家族』『仲間』『仕事』『いのち』を大切に思い、感じ、人生の目標にさらに近づいて行きます。
そして、今できることをして。
このコロナ禍を乗り越えて。
必ず大切な人に会いに行きます。
そして、その人の声と音を聞き、ぼくの声と音も伝えたいのです。





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武藤賀洋
舞台演出家の武藤と申します。お気に召しましたら、サポートのほど、よろしくお願いいたします!