美学

「鍵盤の人は、手ぶらでラクでいいですね。」

全くそのその通りである。

まったく奴らときたら、自前の楽器は持ってこず、店の鍵盤を借りて演奏することが多い。
手ぶらでのうのうと現場に入ってきやがる。

荷物と言えば、せいぜい譜面くらい。
気楽なもんである。

って、え? 俺のこと?
ハイ~、ごめんねごめんね~

俺、不真面目な鍵盤弾き。

対して、自前の楽器、「愛器」を自宅やスタジオなどからわざわざ持って現場に入る、真面目な鍵盤弾き。
頭が上がらない。

まあ、そういう奴らは大体、割りと大きな車を持っていたりする。
さらに、駐車場まで持っていたいりする。少なくとも駐車場を借りる「財力」のある奴らだ。
仲良くなれない。

失礼。久々の投稿で、早速、不適切発言。
勢い余って、偏見たっぷりの汚れた人間性を吐露してしまった。
これも、毎月毎月月末になると「今月は投稿しないの?しろよ。」とせがんでくるnoteに急かされたせいだ。俺のせいではない。

もとい。
そういう真面目な鍵盤弾きでも、必ずしも金持ちぼっちゃんじゃなく、カツカツで頑張っている有能なプレイヤーはたくさんいる。
仲良くさせてもらっている連中もたくさんいる。

彼らの多くは、安定感があり且ついつでもちゃんといい「仕事」をする「職人」だ。

「職人」は、自分の仕事のための「道具」にこだわる。


考えてみれば当然のことかもしれない。
しかし、この当たり前をちゃんとできるプレイヤーは、意外と少ない。
それができる奴は、エラい。
そういう奴らの演奏は、エロい。

鍵盤弾きだけじゃない。他の楽器のプレイヤーだってそうだ。

ギターやベースはもちろんのこと、加えて、エフェクターやらなんやらがいくつも入ったハードケースを抱えてくる弦弾きもいる。
重たいスネアやシンバルをいくつも抱えてくる太鼓叩きもいる。

「持ってくるの大変だけど、ちゃんと扱い慣れている普段の楽器で、ベストなパフォーマンスを」ってことだ。

そういう音楽、ステージ、演奏に対する姿勢、心意気。
素晴らしい。見習うべきだ。

いや、でもちょっと待ってほしい。

俺たち、不真面目な鍵盤弾きは、単に「ラク」をしているだけなのか?

バカいっちゃいけない。
こっちだって、それなりに頑張っているのだ。
手ぶらで現場に入るということは、実はそんなに「ラク」なことばかりでもないのだ。

当然だが、自前のものに比べて弾きなれていない店の楽器は、扱いにくかったりする。

また、店によっては、ボロボロの楽器だったり、信じられない型落ちの楽器だったりもする。
音がでないキーがあったり、ペダルがぶっ壊れていたり、とんだ「びんてーじ(笑)」なこともままある。

何年も何十年も何の手入れもしていない生ピアノなんかは、最悪だ。
単なる「オブジェ」。
そういう店に限って、弾いてみて、弾いてみて、とごり押ししてきたりする。
んで、「鳴り」が全然よくない楽器をぬる~く弾く。
そんでもって、「いや~、こういうのは、あるだけでカッコいいですよね~」と、実質全く褒めていないコメントで楽器を褒め、お茶を濁す。

新しい店に行くのも、割と「博打」だ。
「ピアノ」と店のHPには書いてあるのに、行ってみたらフルの88鍵ないペコペコの「キーボード」だったこともある。

そういう、必ずしも良好ではない、良好かどうかわからない、千差万別な環境下。
そこでそれなりの演奏をするのは、実はそんなに「ラク」じゃないのだ。

「なら、重くてもなんでも、ちゃんと自分の楽器を真面目に現場に持って行けよ」って?

その通り。正論だ。
そう言われてしまうと返す言葉もない。
そして、手ぶらという点では、確かに「ラクをしていること」も否定できない。

ただ「ラク」をしたい以上に、昔から結構、こんな風にも考えている。

弘法筆を選ばず。
本物の「職人」は、「道具」などにはこだわらない


ピアノ以上に、貸出用の置きギターのある店は、フォーク酒場をはじめたくさんある。
オープンマイクやステージ開放に、ギター弾き語りや、リードギターのプレイヤーはたくさんいる。

そのなかでもいい演奏をする人は、あくまで俺の肌感覚だが、大体店の楽器を使っている。

店に何本か楽器がある場合でも、颯爽とテキトーに楽器を選び、チューニングや準備などほとんど時間をかけない。
速やかに演奏に入り、いい感じの演奏をし、終わったあともさっと片づけて、酒席に戻り、再び談笑をする。

かっこいい。クールだ。
そして、美しい。

いつぞやか、このイメージがどこか自分の中の「プレイヤー観」「演者観」にこびりついている。

そう、自分にプレイヤーとしてのきちんとした演奏力や練度があれば、「楽器」は基本的になんでもいいはずだ。
もちろん程度の問題ではあるが、いくらなんでも音の出ない楽器とかでない限り、なんだっていいはずなのだ。

どんな楽器でもその癖に応じて扱う力量、そして、どんな音環境でも対応する幅のある柔軟性があれば問題ないし、それがクールでかっこいい。

「単にラクをする」という消極的な理由ではなしに、積極的にそういう方向を目指すのが美しいと思うのだ。

と、ついつい、なんとなくわかったようなカッコよさげなことを吐いてしまった。
思い起こせば俺も、やれどこの店の楽器がどうだ、音がああだ、と好みをうるさく言っている気がする。

やっぱり、店の楽器を使うのは「単にラクをしたいだけ」なのかもしれない。

まあ、「ラク」でなければ何事も続かない。
アマチュアの現場に出始めて、15年くらいか。
「ラク」じゃなければ続かなかっただろう。

理想は、結局、コレか。

筆を選ぶ弘法。
「職人」として本物でありながら「道具」にもこだわる。


これまた当たり前のことに、たどり着いてしまった。
まったく身も蓋もない。

ああ、だれか。
「免許」と「車」と「駐車場」の3点セットをくれ。
タダで。

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