【短編小説】焼き鳥屋の煙
1,024文字/目安2分
俺の家の近くには、小さな焼き鳥屋がある。
大将が一人でやっているようなこじんまりとしたところで、駅から離れた場所にあるから客も少ない。大将は最低限の接客をして、あとは黙々と焼き鳥を焼くタイプらしい。だから店内はわりと静かになっていて、落ち着いて飲みたい時によく使う。味は普通だが、なかなか気に入っている。
ここが会社帰りに寄れるところでよかった。一人で飲むなら、うるさくない店がいい。
今日は自分の他、カウンター席に二人と、座敷のテーブルに二人組。それぞれがそれぞれの時間を過ごしている。
座敷の二人は行けばだいたいいつもいる。家族の愚痴やら仕事の愚痴やら今の日本がどうだとか、そういう話ばかりしている。カウンター席、自分の左側に座っている作業服の男もたまに見かける。つくねが好きなのか、常にテーブルに置いてある。右隣のスーツ姿の女性は初めて見る。何やら思い悩んでいる様子だ。
まぁ、人には何かしら事情があるもんだ。
いい具合に酔いがまわって、ぼーっとしていると、ガタッという音と共に、右のもものあたりに冷たさを感じた。何かがこぼれたようだ。
「あっ、ごめんなさい」
すぐに女性が立ち上がった。
「ごめんなさい。大丈夫ですか?」
こぼれたと言ってもほとんど床に落ちたので、確かに冷たいが大したことない。大丈夫です、と一言で答えた。女性は俺のズボンが濡れているのを見つけると、そこにハンカチを置いた。屈んだ時にできたシャツの隙間から、膨らんだ肌が一瞬見えた。
「本当にごめんなさい。クリーニング代お支払いします」
「大丈夫ですよ。本当に」
一瞬と言うには少し長いが、それでもかなり短い時間、お互いに見つめ合った気がした。
「これ、ありがとうございます」
ハンカチを返す。
「本当に、大丈夫ですから」
すると女性は少し間を置いて、
「わかりました。本当、すみません」
そう言って元の向きに戻り、大将に差し出された追加のグラスに口をつけた。
これも何かの縁だ。これで終わってしまうのはなんだか寂しいし、多少の下心もあって、話しかけてみることにした。
「よくここに飲み来られるんですか?」
「そうですね」
「じゃあ、この辺りに住んでるんだ」
「えぇ、まぁ」
「ずいぶんお疲れのようですが」
「あー、ここのところ立て込んでいたので。大丈夫です」
その後は特に会話も続かず、目が合うこともなくなった。
やがてその女性は会計を済ませると、そそくさと店を出て行った。
まぁ、そんなもんだよな。
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