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通信制限はあった方がよかったのかもしれない

昨年の7月、わたしは通信制限から完全に開放されました。

つい1年と1ヵ月前までは、月50GBまでのモバイルWi-Fiを使っていたなんて信じられません。今はYouTubeを垂れ流しにしていますし、アプリのダウンロードやアップデートも自動更新。

スマホで撮った写真も自動でGoogleフォトに上がるようにしていますし、一眼カメラで撮った写真もGoogleフォトとAmazonフォトにアップしており、オンラインバックアップも十分。本当、便利な世の中になったものです。

今は一人でだいたい200GB近く使っている月もあります。それでも月額3,357円。数年前までは考えられないプランですよね。3年前の自転車旅中は月25GBのデータSIMを使っていたため、なるべくマクドナルドのWi-Fiを使ってブログを更新したり、アプリをアップデートしたりしていました。

今はそんなことをする必要もなく、好きな場所で好きなだけインターネットを使えます。1年も経つとマヒしてしまいますが、改めて考えるとすごいことです。

しかし、通信制限があったころの方が「古き良き時代」だったような感覚もあって、データ難民だったあのころを、ふと懐かしんでいました。

YouTubeを見るにもデータ通信量が足りなくなるので、1日1時間までと決めて残量を確認したり、アプリのアップデートは早急にしなくてはならないものを除いて、イオンやコンビニ・マクドナルドのFreeWi-Fiを使ったり……。

今は暇さえあればずっとYouTubeを見ていられます。それはそれで時代の進歩なのは嬉しいことですが、データ通信制限さえあれば強制的にでも他のことができていたよな、という面もあります。自制できれば問題ないことですが、むつかしいのも現実です。

とはいっても、いまさらデータ通信量無制限からは離れられません。仕事でもバリバリ使っているのが一番の理由です。通信制限を気にして仕事をするのは、辞める以外不可能。というか、政府がテレワークを推進する時代になりましたから、ますますネット社会は普及するばかりでしょう。


昭和生まれの人が、「あのころはよかった」という理由が少しわかった気がします。便利なモノからは離れられないけど、不便だったからこそよかったこともあるんですよね。ありきたりな言葉を使っていますが、身に染みて感じられたすえつぐでした。

では。

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