病的に心配性すぎて‥
小さい頃からかなりの心配性です。病的に心配性なので「心配症」とでも言っておきましょう。最近はさらに酷くなってきました……。
少しどこかが痛いだけで「生死にかかわる病気なのでは?」と不安になってしまいます。一度不安になるとそこことばかり考えてしまい、何も手につかなくなるし、ネガティブ思考が強くなるので良いことはありません。
もちろん、病院に行って精密検査しなければ真実はわかりませんが、年齢的にも若いですし、高血圧や糖尿病などの基礎疾患もないので、わたしの心配度は過剰すぎると自分でもわかってはいるんです。
今では笑えるエピソードですが、『胸が苦しいだけで肝臓疾患だと思い救急病院に電話したこと』もあります。そのときは一通り電話で状況を説明すると、「明日の朝も痛みが続いていたら病院に来てください」とだけ言われました。今思うと、迷惑電話でしたよね……。
「病は気から」とは有名なことわざです。病気とは「気が病んでいるからかかるもの」という意味。
わたしは気から病みやすい性格なのでこれからも苦労するだろうな、と我ながら先が思いやられています。様々な疾患の原因を見てみましたが、ほとんどの病気に『ストレスによる免疫の低下』と書いてありました。
ストレスにも環境的なもの、人間関係に対するものといった感じで種類があります。これらは完全にゼロにすることはかなり厳しいと思います。
しかし、今のわたしのように「自分で自分にストレスを与えている状況」というのはよろしくないです。特に、『自分は重い病気』かもしれないというストレスを与えていては、かかっていなくても時間と共に何らかの影響が出てくることでしょう。
心配性になる事柄には共通点があって、『生死に関わること』のようです。
病気、食べもの、空気の汚れ具合、放射能、災害、ヘルメットなどの安全具などなど、ここに挙げる例を考えるだけで胸がズーンとなってきました……。
確かに心配性のおかげで対策は練っている方でしょうけど、どれだけ対策を練っても心配し続けていては気が病んでしまいます。それ以上のことはできないので、腹をくくるしかありません。
まったく対策をしないのもどうかなと思うので、出来る限りのことはすべきだと考えています。
登山をするにしても、「全く水を持っていかない」というのは準備不足。「10ℓの水を持っていく」というのは過剰すぎて余計に危険。「2ℓの水を持っていく」というのが正解といった感じ。
わたしの場合は10ℓの水を持っていきながら、さらに道中も水の心配をしてしまい登山を楽しめないタイプです。。
とある知り合いの陶芸家の先生が「いい加減」という言葉をよく遣われます。「いい加減」とはテキトーな感じがするネガティブな意味で使われることが多くなってますが、本来は『ちょうどよい塩梅で』という意味です。
心配性も「いい加減」を心がけます。性格なのですぐには変わらないでしょうから、『病気について心配ならすぐに検査を受ける』、『経験者や専門家に質問する』、『心配していることがらについて調べまくり対策を十分にする』『人間関係の心配事は無理やり頭からかき消す』といった感じの対策を考えました。
ふう、深呼吸も忘れずに。。
いつもありがとうございます。 また読みにきてくださいね(^^)