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気になるドラマ

▼Netflix で『MESSIAH(メシア)』というドラマを見始めました。

▼現代社会に突如現れたカリスマ的人物・アル・マスィーフをめぐるミステリーサスペンスで,シーズン1の全10話が公開されています(シーズン2の制作は中止になったとのことです。表向きはコロナによって撮影が不可能になった,ということですが,どうやら,宗教上の問題が生じたこともその理由の一つではないか,という声もあります)。

▼まだ途中までしか見ていないのですが,面白いセリフがあったので引用してみます。主人公アル・マスィーフが不法入国により裁判にかけられた時,裁判官に向かって言ったセリフです。

No one decides where they were born.
(生まれた場所は誰にも決められない。)
Our birthplace was decided by fate.
(私たちが生まれる場所は運命によって決められた。)
You were born here.
(あなたはここで生まれた。)
I was born there.
(私はあそこで生まれた。)
What divides us?
(私たちを隔てるものは何だ?)
A border ... is an idea decided by the lucky.
(国境…とは,幸運な人々が決めた考え方だ。)
Today you sit in the seat of the fortunate.
(今日,あなたは幸運な人々の席に座っている。)
Just remember what put you there.
(何があなたをそこに置いたのか思い出してみよ。)
Fate.
(運命だ。)
What is fate but the hand of God?
(神の御手以外の何が運命だというのだ?)
(『メシア』シーズン1-4「試練」より)

▼20世紀の後半,日本は「一億総中流社会」と言われました。「一億総中流社会」とは,「頑張れば上に上がれる」という「夢」を持つことができる社会でもありました。普通のサラリーマンの家庭に生まれても「良い高校,良い大学」に入れれば「良い会社」に入って,「エリート」になるのも夢じゃない,という「物語」がまことしやかに信じられた時代,と言えるでしょう。

▼しかし実は,たとえば佐藤俊樹氏が『不平等社会日本』(中公新書)で指摘したように,日本の社会にも厳然たる階級格差が存在しており,バブル崩壊後,日本の景気が低迷する中でその格差がさらに先鋭化されました。

▼階級格差のある社会とは,いわゆる「生まれガチャ(親ガチャ,出生地ガチャ)」によって人生のかなりの部分が決定されてしまう社会でもあります。その意味では,アル・マスィーフが言う "No one decides where where they were born.  Our birthplace was decided by fate."(生まれた場所は誰にも決められない。私たちが生まれる場所は運命によって決められた。)というのも一面の真理だと言えるでしょう。もっとも,"What is fate but the hand of God?"(神の御手以外の何が運命だというのだ?)というのはキリスト教的な考え方であり,無宗教の私自身はそう思ってはいませんし,「こんな理不尽な『生まれガチャ』を引かせたのが神だというのなら,そんな神はいらない」とさえ思う人もいると思うのですが。あるいは,理不尽な「生まれガチャ」を引いたのは自分の責任ではなく,神の「せい」だと考えて留飲を下げるためのものなのかもしれません。

▼このドラマを見ながら,ふと,「日本で聖人が復活する,という物語を作るとしたらどうなるだろうか」と考えました。漫画では既に『聖☆おにいさん』という作品がありますが,現代の日本社会の状況を踏まえて,サスペンスタッチで映像作品を作るとしたら,どんなものが創れるでしょうか。

▼たとえば,もし,空海,最澄,法然,一遍,親鸞,日蓮,道元,栄西など,仏教の様々な宗派の開祖たちがいっぺんに現代に転生し,日本を,そして世界中を訪れたとしたら? 彼らの目から見て,現代社会はどのように映るのか? 彼らは現代で何を説くのか?人々は彼らにどう反応し,彼らをどのように扱うのか?そして,彼らの正体は何なのか…? そんな物語を創れたら面白いのではないか,と。

▼『MESSIAH』では,現代のアメリカ社会や世界情勢が反映された物語が展開されています。もちろん,フィクションではあるのですが,風景や人々の動きはとてもリアルです。その意味では,この物語は,あるカリスマ的人物を道化回しとした現代アメリカ社会論なのかもしれません。

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