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【8月23日開催】『帰納する音楽会』を過去6回7公演と共にまとめ予習してみた件 - 落合陽一×日本フィルハーモニー交響団プロジェクト

クラウドファンディング実施中!

2018年4月に始動した落合陽一×日本フィルプロジェクト。
テクノロジーを活用してオーケストラの可能性を広げ、新しい音楽体験を生み出す「オーケストラの聴き方をアップデート」を目的としています。最先端の技術を用いて、オーケストラの演奏や音響効果を向上させ、観客がより身近に感じることができるような空間を創出することを目指しています。

落合陽一さんはメディアアートやテクノロジーと伝統的な文化(ダイバーシティー)が融合することで新たな価値を生み出すことができると考え、プロジェクトを通じてオーケストラが今までにない形での表現を可能にし新しい聴衆層にもアプローチできることを願っています。
また、デジタルテクノロジーが音楽に与える影響についても研究しており、それを活用してオーケストラの音楽体験を進化させることで、より多くの人々がクラシック音楽やオーケストラの魅力に触れる機会を増やすことができると信じています。

主役はオーケストラの皆様
テクノロジーを駆使してオーケストラの伝統的な枠組みをアップデートし、新しい音楽体験を提供することで、クラシック音楽の魅力をより多くの人々に広めるプロジェクトです。

今回は過去6回7公演の取り組みを振り返りまとめつつ、今年8月23日(水)に東京オペラシティ コンサートホールで開催される講演についても考察します。


プロジェクトのきっかけ

落合陽一さんが共同開発で進めていた「ORCESTRA JACKET」。数十の小型スピーカーを搭載した特殊なジャケットで、着用すると身体中に音が響く体験ができる。これを試着したデフサッカーの仲井健人選手がツイッターで以下のように感想をツイート。

このツイートを日本フィルハーモニー交響団(以下、日本フィル)関係者の目に留まり、「これならば聴覚障害の方にも音楽が届けられるのではと落合陽一さんに話を持ちかけ、新しい音楽体験を作りたいという想いが一致しプロジェクトがはじまりました

VOL. 1:耳で聴かない音楽会

2018年4月22日(日) 開催

音楽を単なる聴覚体験ではなく、身体全体で感じられるものとして捉えることを目的とし、オーケストラの演奏を聴覚だけでなく、視覚や触覚を通じても楽しめるような独自の演出が行われました。
落合陽一さんは、音楽は五感全体で体験するべきであり、それを実現するためにデジタルテクノロジーを活用することが重要で、伝統的なオーケストラの演奏を、視覚的な表現やインタラクティブな要素を取り入れることで、新たな価値を生み出すことができると考え開催されました。

ダイジェスト

Vol.2:変態する音楽会

2018年8月27日(月) 開催

オーケストラは約300年間、基本的なスタイルを変えずに楽しまれています。しかし、メディアや娯楽が多様化する中、クラシック音楽は敷居が高く感じられ、オーケストラ離れが進んでいます。日本フィルと落合陽一さんは、現代の人の心に響く確かな力があるオーケストラ音楽をもっと身近にできないかと考えました。
通常、オーケストラは主に聴覚で体験されますが、コンピュータを使えば視覚や触覚にも変換できるのではないかという発想で、落合陽一さんと日本フィルはプロジェクトを展開。Vol.1では音楽を光や振動、触覚と結びつける新しい体験を模索し、Vol.2では80人を超えるフルオーケストラでそのアイデアを拡大させます。
テクノロジーを活用してオーケストラの聴き方や楽しみ方をアップデートしました。

ダイジェスト

VOL.3:耳で聴かない音楽会2019 / 交錯する音楽会

2週連続のW公演で開催されたVOL.3。
方向性の異なる2つの公演が、東京オペラシティと東京芸術劇場と異なる会場で開催されテクノロジーでオーケストラを再構築(アップデート)されました。

第1夜 Diversity《耳で聴かない音楽会2019》

2019年8月20日(火) 開催

「耳で聞かない音楽会」は、ジョン・ケージ「4分33秒」の第二楽章に集約されており、時間と空間に存在するもの全てが音楽であるという考えから、多彩な解釈が可能だと考えられ開催されました。サウンドハグ、オンテナ、ボディソニック、ピクセルなどを使って、楽器の動きを視覚化したり、タイプライターやサンドペーパーを使った音を演奏したり、映像を演奏者として組み合わせることで、音楽がどのように複雑に感じられるかを探求する音楽会でした。
楽曲構造、楽器の構造、光と音の相関性、身体と器具を使った表現、匂いと音と聴衆の体験を含む前半パート、動物に戻した映像と音楽の対話を含む後半パートで構成されました。耳だけでなく目でチューニングするか、耳以外の要素でチューニングするかが難しい点であり、練習とリハーサルの時間制約も課題だったと落合陽一さんはイベント後に振り返っていました。

ステートメント

オーケストラの持つ質量について考えていた.
デジタルのもたらす原始的な共感覚化,感覚の変換,音と光と身体性のシナスタジア.
オーケストラが輸入されて90余年,標準化と工業化の末に到来したデジタルの自然は質量を伴う日本の原風景とどうやって融合し,音の持つ感覚の軛と帳をトランスフォームするのか.耳だけでなく,目だけでもない,デジタルは時空間の情報を他の感覚へと変換可能にする.そんな時代にオーケストラを構成する身体と一回性の織りなす集中力を形容する言葉はなんだろうか.それは祈りに近しいのかもしれない.
多様化する感覚とデジタルの持つ原点回帰の中にアナログへの憧憬を探している.日本の風景の中にも日本的美的感覚に接続されたオーケストラやデジタルの風景が存在するはずだ.
一昨年からの日本フィルとの取り組みの中でデジタルが拡張するオーケストラの感覚的な軛と帳からの突破を身体性に求めて探索してきた.その共感覚的な風景を日本の原風景に接続する祈りの場を作りたい.
プラスチック・鉄・農村・自然・工業・鉄道・近代インフラ・電気・マスメディア,石の文化と隔絶された島国に見える美意識はデジタルと融合することでことなる美意識を作り出すのではないだろうか.そういったコンテクストを更新することで音から始まる共感覚の憧憬をデジタルを用いて描き出す.

落合陽一

ダイジェスト

落合さんのnote

第2夜 Art《交錯する音楽会》

2019年8月27日(火) 開催

アートの観点からオーケストラを再構築し、映像演出を進化させて聴覚以外の感覚も刺激する音楽会でした。このイベントでは、アナログとデジタル、自然と工業、主体と客体、そして洋と和の交錯がテーマとなり、明治期から約100年の日本のオーケストラ史を辿り、新しいページを加えることを目指しました。
オーケストラの質量とデジタルがもたらす原始的な共感覚化、感覚の変換、音と光と身体性のシナスタジア(共感覚)。オーケストラが90年以上の歴史を経て、デジタル技術と融合し、音の持つ感覚を変換することに焦点が当てられ、多様化する感覚とデジタルの原点回帰の中で、日本の風景とオーケストラやデジタルの美的感覚を結びつけることを目指しました。

ステートメント

オーケストラの持つ質量について考えていた.
デジタルのもたらす原始的な共感覚化,感覚の変換,音と光と身体性のシナスタジア.
オーケストラが輸入されて90余年,標準化と工業化の末に到来したデジタルの自然は質量を伴う日本の原風景とどうやって融合し,音の持つ感覚の軛と帳をトランスフォームするのか.耳だけでなく,目だけでもない,デジタルは時空間の情報を他の感覚へと変換可能にする.そんな時代にオーケストラを構成する身体と一回性の織りなす集中力を形容する言葉はなんだろうか.それは祈りに近しいのかもしれない.
多様化する感覚とデジタルの持つ原点回帰の中にアナログへの憧憬を探している.日本の風景の中にも日本的美的感覚に接続されたオーケストラやデジタルの風景が存在するはずだ.
一昨年からの日本フィルとの取り組みの中でデジタルが拡張するオーケストラの感覚的な軛と帳からの突破を身体性に求めて探索してきた.その共感覚的な風景を日本の原風景に接続する祈りの場を作りたい.
プラスチック・鉄・農村・自然・工業・鉄道・近代インフラ・電気・マスメディア,石の文化と隔絶された島国に見える美意識はデジタルと融合することでことなる美意識を作り出すのではないだろうか.そういったコンテクストを更新することで音から始まる共感覚の憧憬をデジタルを用いて描き出す.

落合陽一

ダイジェスト

落合さんのnote

VOL.4:__する音楽会

2020年10月13日(火) 開催

コロナ禍により当初の企画が見直され、オーケストラの未来を模索する挑戦と捉えられました。ディスタンスを保った音楽会の形として、ホールでの鑑賞とオンライン鑑賞の2つのスタイルが提供され、ライブ配信ではホールでの体験と同等の体験が提供されることを強調しています。また、8Kでの収録も行われ、後から鑑賞する楽しみ方も用意されています。
分断されたオーケストラと新しいデジタルの地平をテーマに掲げており、時空間的な分断に対して実験と共有を重視されました。デジタルの地平から再び世界の触覚や調和を取り戻す作業は、赤子が世界を認識する姿に似ていると述べられました。オーケストラの原義に立ち戻りながら、デジタルの触覚や共有空間に対する想いを実現させることを目指しました。

白紙の状況から新しい演奏会を模索する「試行錯誤」の状況もYouTubeにアップされました。

ステートメント

計算機時代の赤子のような,分断されたオーケストラと新しいデジタルの地平Reborn to Digital Nature

オーケストラが分断される.今までと同じ形を作れなくなる.メロディも,ハーモニーも,体験も,感覚も,分断された世界で今まで通りに味わうには難しい.
距離の制約を電子技術を経由して取り戻そうという動きがある.多くの試みが流刑状態にある人々を癒すために,空間を超えて行われている.不意に現れたデジタルの自然への橋梁を前にして,世界の手触りを失ってしまっていることに気がつく.世界が今や質量への憧憬の中にあり,その憧憬がもはや郷愁へと変わりつつある.この現状に我々は満足していない.
我々はこの時空間的な分断に対して,実験と共有の連続こそがこの新しいデジタルの地平に生まれ直した時代にとりうる,手立てだと真摯に考える.我々は身体性を切り離したデジタルの地平で,オーケストラを聴くこと,見ること,共有することについて,実はまだ何も知らないことを,毎日明らかにしていくのだ.デジタルの地平から,改めてこの世界の触覚や調和を取り戻す作業は,世界を赤子が認識していく姿に似ている,初めてバイオリンを習ったときのあの窮屈さや,初めてピアノを褒められたあの奥ゆかしさに似ている.
繋がること,隣人を愛すること,夢を抱くこと,希望を持つこと,様々な大切さがある.我々はその中で,世界に生まれ落ちた赤子が,世界を触りながら愛していくように,オーケストラの原義に立ち戻りながら,デジタルの触覚や共有空間に対する想いを結実させていく.今我々が目指すのは,実験と共有の繰り返しからたどり着くはずの,名前のまだない,幼子の初めての発表会だ.

落合陽一

ダイジェスト

落合さんのnote

VOL.5:醸化する音楽会

2021年8月11日(水) 開催

五感をフルに活用し、新しい音楽体験の共有を試みました。音楽会のために特別に調合された香りと味覚を刺激するアイテムが提供され、落合陽一さんと指揮の海老原光さんが時間をかけてテストを重ねて決まったものです。
コロナ禍によって分断された中で深まった独自の価値観や土着の文化から継承されたDNAのようなものをテーマに、五感をフルに使って分断された五感体験を呼び覚ます方法を探求しました。
デジタルのもたらす新しい自然や原始的な共感覚化、感覚の変換、音と光と身体性のシナスタジア(感性間知覚)を探求。コロナ禍によって分断された身体性と、それぞれの文化圏における土着の発酵性から生まれる新しい可能性を追求しました。東洋的美的感覚と西洋的美的感覚の対比構造、発酵の意味性の違いに目を向け、持続可能性との対話に入り、科学技術と人間性の調和の夢を反芻することを目指しました。

ステートメント

SOUND OF DIGITAL FERMENTATION

このプロジェクトを通じて,オーケストラの持つ質量について考え続けて早5回目となる.デジタルのもたらす新しい自然,それによる原始的な共感覚化,感覚の変換,音と光と身体性のシナスタジア.耳だけでない可能性をいつも最高のチームとともに探している.
本年度コロナ禍によってそれぞれの地域に分断された身体性のことを考えていた.分断によって気がついたもの.それは我々が土着の文化の中で継承されたDNAのようなものであり,それぞれの文化圏における土着の発酵性から生まれる新しい可能性である.
今我々の周囲にあるもの,そして今我々から距離があるものについて考えたい.東洋的美的感覚と西洋的美的感覚の対比構造,その中にある発酵の意味性の違いに目を向け,成長の限界を超えて,持続可能性との対話に入った今,かつて高度経済成長期にあった科学技術と人間性の調和の夢を反芻する.
電子的に記録された1964年の鐘の響きはこの時代にどう鳴り響くのだろうか5回目のオーケストラ,土着性・民藝性.この時代に醞醸し出される新しい自然の風景を,新しい感覚とともに切り拓き,深化して行きたい.

落合陽一

ダイジェスト

落合さんのnote

醸化するモノリス

音楽会開催時に「醸化するモノリス」が展示されました。
コロナ禍で分断された風景と人々の身体について考えています。巨大なモノリスは、デジタル技術がもたらす新しい自然の風景を調整しながら物質化しています。このモノリスは、人工の滝や岩、水しぶきに囲まれた都市の中で、本来の自然とつながり、新しい身体感覚を表現しています。

オーケストラと質量

音楽会開催時に「日本フィル落合陽一写真展」が展示されました。

VOL.6:遍在する音楽会

2022年8月25日(木) 開催

「音楽の身体的体験」を再評価し、音楽の持つ身体性や祝祭性を探求しました。イベントは3つの見どころ・聴きどころがあり、

  1. 映像と音楽がライブで共演する新作を発表。藤倉大氏による新作が初演され、映像と音楽によるライブパフォーマンスが行われました。

  2. ジョン・ケージの《ミュージサーカス》を通じて、観客は自由にさまざまなパフォーマンスを体験できる「遍在」の楽しみ方を披露。

  3. 縄文の「焔」をテーマに、音楽の持つ身体的な祝祭性を問い直しました。

コロナ禍を通じたデジタルとオーケストラの統合を総括し、定在遊牧性やグローバルヴィレッジの観点からジョン・ケージのアイデアを再評価し、時間の制約のない音楽をどのように捉えるかがキーワードでした。
音楽と光の関係、デジタル技術と現代社会、森林生態系や縄文社会の重要性、そしてジョンケージの音楽について検討し、耳だけでなく他の感覚を使って音楽を楽しむことについて言及しました。また、デジタル技術が私たちの生活にどのように影響しているか、そしてそれがどのように大きな変化をもたらしているかについても考察しています。
森林生態系と人間社会の関係性、きのこがネットワークを作るように、音楽という観点で考えました。さらに、縄文時代の人々が持続可能な社会を築いたことに学ぶべきことがあると考えています。そして、ジョン・ケージの音楽の中で「キノコの音楽」と呼ばれる作品に触れ、物質や時間を超えた音楽の体験について考えています。
最後に、私たちが過去と現在、そして未来の中でどのように平和を求め、文化や歴史を通じて新たな価値観を見つけることができるかを問いかけました。

ステートメント

音と光の共感覚を探ることは時間と空間の中に縁起を探していくことに似ている.日本フィルハーモニー交響楽団との協働を続けて数年.《耳で聴かない音楽会》®を始めとして,耳だけでない音楽を探し続けてきた.マルセルデュシャンが網膜のための絵画を抜け出て,思索探求と哲学の自由を芸術にもたらしたように,我々も耳だけの音楽から離れたとき,オーケストラの構成要素となるものが何かという問いを持ち続ける試みを続けてきた.この古典的とも言える問いをオーケストラと共に実直に探求する活動を続けてきた.当時代性を持ってこの問題にどういう答えを出すことができるのか,時代と社会と共に歩んできた.初回から4分33秒というジョンケージの作品を扱ってきたものの,メインで彼の作品を扱うのは初めての試みとなる.いよいよ時は満ちたというべきか,それとも時間芸術を受容する我々そのものが変容しつつあるというべきだろうか.今回の演出の過程ではいつものような時間と空間ではなく,時間なき音楽と向かい合うことになった.
ナムジュンパイクが1980年に述べた「定在する遊牧民」のコンセプトやポストコロナの祝祭・身体性を込めて昨年の醸化する音楽会を開催した.定在する遊牧民とはデジタル技術によって人の知的活動は遍在し,あたかも遊牧民のように世界中に出現しながら,物質的な身体は定在しているという状態を指す.デジタル技術による定在遊牧性と現代社会についての思考を続けているうちにこの変化は,狩猟採集社会・農耕社会・定在遊牧社会と続くような千年レベルの大きな変化なのではないかと考えるようになった.ゆえに,大きなパラダイムの変遷として農耕社会以前について,身体性について,規範や倫理について,そして森林や炭素循環について思考を続けていた.
森林に多く存在するきのこはネットワークを張り巡らせる生き物である.ジョンケージは4分33秒:無音の音楽のことを「きのこの音楽」と呼んだが,耳もなく目もないきのこにとっての音楽とはなんだろうか.その補助線として考えられるのは仏教的世界感覚であると思う.ケージの作風は鈴木大拙の禅の講義を受ける以前と以後で大きく変化したことが知られている.空海風にいえば山も水も木々も空も鳥も我々も全てのものは変化し,そして繋がっている.自分が今の時代に補足をするならばそれは波動も物質もデジタルも計算機も含めた大きな流れを体得することかもしれない.熟考を続けるうちに,それは物質的,触覚的なグルーヴ,そして森林生態系にとっての音楽そのものではないだろうかと考える機会が増えた.この森林生態系としてのグルーヴを人に置き換えてみたらどうなるだろう.社会で生まれるさまざまな音,ネットワーク,社会的生物としてのヒト,そして音でも光でもない味覚や触覚や嗅覚的なグルーヴ.それは奇しくもコロナ禍で失ったコンヴィヴィアルな体験の構成要素そのものではないだろうか.
森と共にコンヴィヴィアルな要素と共に生き,非言語的脱論理的な体感知を希求する上で定在遊牧的な縄文社会のことをリサーチするに至った.縄文人は近年の遺伝学的調査によれば,東アジアの人々から派生し,琉球人・アイヌ人・縄文人と三つに分かれた遺伝的特性を持つ人々であったとされている.サステナブルな社会を思考する上で1万年以上にわたる持続可能社会,そして戦乱なき比較的平和な安寧を営んだ上記の人々の文化や生活を見逃すわけにはいかない.土器や土偶をめぐる調査やアイヌ音楽を伝承する人々との協働など多くの事例を通じて,大いなる自然から何かを紡ぎ,育て,それを還し,また受け継ぐことの重要性を感じている.集団における未来の情報を価値とし,時間や金銭という概念を導入すると失われてしまう持続可能性があるのだろう.例えるなら茶道の茶禅一味・即今のように,過去現在未来という時間の流れの中に身を置くというよりは,今それそのものへ着目し,時間という概念を超えた空間芸術としての音楽への回帰と理解が,現在向かいつつあるポストインターネットの定在遊牧社会と共鳴しうると考えた.
我々は今空間的に遍在し,資本や時の流れとはまた違った価値観を揺籃しつつもあり,物質的身体的なものへの飢えから回復しつつある中で,平和を希求し,分断を乗り越えるための何かを,文化や歴史の営みの中から紡ぎだそうとしている.ケージの時代に描けなかったキノコの音楽・そしてキノコの楽器とは何か.そんなことを思いながらこの空間に生きる遍在する身体の共感に想いをはせてほしい.

落合陽一

ダイジェスト

落合さんのnote

VOL.7:帰納する音楽会

2022年8月25日(木) 19:00 開演( 18:00 開場 )

テクノロジーを活用してオーケストラを再構築し、音楽と身体性を回復するという取り組みをさらに深化させます。
今回の見どころは

  1. フィールドワークによる「新しい民俗と伝統の発見」を音楽に取り込む:落合陽一は6月上旬に沖縄でフィールドワークを実施し、8月の公演ではその成果を取り入れた演出を予定しています。

  2. 藤倉大とのコラボレーション「オーケストラでの日本文化探訪」を開始:英国在住の作曲家・藤倉大とのコラボレーションが始まり、日本各地の伝統的な音素材を長期的に探訪します。今年は「琉球古典音楽」に焦点を当てます。

  3. クラシックの「あたりまえ」を揺るがすプログラム:通常のクラシック音楽とは異なり、日本人の現代作品集を前半に、そしてクラシックの辺境の地でクラシックを目指したものや、いずれ「古典」(クラシック)と呼ばれるに違いない作品を後半に集めました。

  4. AIを取り入れた演出、一体となる客席:AIによる画像生成手法を活用した演出と、客席がオーケストラと一体となる「マンボ」を計画しています。さらには、会場では泡盛の試飲体験も提供します。

  5. 室内楽サテライト公演で「音楽の喜びあい」をより広く:本公演後、初の室内楽サテライト公演を実施し、東京以外の地域でも音楽の体験の機会を提供します。

このプロジェクトは、音楽とテクノロジー、そして文化的探究を融合させた挑戦的な試みで、様々な視点から音楽の可能性を探求します。

今回は「帰納する音楽会」ということで、ふつう「帰納」って考えると、演繹と帰納は帰納なんですけど、Recursive(再帰的)であるとか、あとは時は循環だしまた繰り返すと世の中ではよく言われるわけでございますけれども、時間はある一定の周期をもって繰り返していくんですが、我々ステップが早いので6、7回目にやったら、もう戻ってきたっていうのが結構面白いテーマかなと思っていて。
なぜ今年を民俗なのかというと、昨今、AIの進化っていうのはすごく目まぐるしく、例えば言葉や、もしくポエムやハーモニーや、様々なものを抽象的な言語でしか規律できなかったものが、一旦、数学的なものに戻すことによって、あらゆる芸術は2.0に移行していく。そうなってくると、最初に言ってた「耳で聞かない音楽」っていうのは、実はそのクレンジング自体はアップデートされるべきで。もはやコンピューター自体は耳以外の音楽をすでに聞いているわけですよね。だから、音も聞いているし。文学だって音楽のように捉えてるわけですし、逆に言うとハーモニーは料理かもしれないし料理は音楽に変わるかもしれない。人生は映画だし、映画はDNAになってしまって、また子供として生まれてくるかもしれない。そうなってくると、最初に戻って、「我々が日本でオーケストラやる意味って何だって?」もう一回、立ち戻ってくる。

オーケストラはすごく文脈性が高いんですよ、実は。つまり1公演しか毎年やらないくせに、去年やったあれまではとりあえず俺たちは理解したので、次はこの実験をしてみようよ力がすごい高い。同じことは二度やらないのは結構ポイントなので、ぜひ、毎年の違いを楽しんでもらえたらな。

あらゆる感覚をあらゆる感覚と共にあれば、毎日はハーモニーである。こんな喜ばしいことはないってことですね。そしたら、それっていうのは「デジタルネイチャー」だし「帰納する音楽」だし、我々が『自然を見て人間としてどう感じるか』ということも、極みがさっき広がる風景であれば、人間っていうある種のコンピューターに音楽を入力した波の映像が出てくるし、波の映像を、沖縄を入力したら音楽が出てくるっている、その間の関係性を突き詰めていけば、いつの間にかすごく気持ちいいところにいけるっていう話なのかもしれないなと、私は思っており、そういったことが最後きれいにあがったらいいなって思います。

総合演出 落合 陽一

今回、ひとつ主軸になってるのが、AIに実際にオーケストラを聞いてもらって、もしくはオーケストを解釈してもらった時に、一体どういうビジュアルが生まれるんだろうっていうのは、一つの新しい試み。すごく実験的だし、ビジュアルもまさに本番の時に生まれる可能性があって、ここまで楽曲が素晴らしいものになってるから、やっぱりAIも頑張ってもらって、いいビジュアルが生まれるように、ちょっと制作していきたいなと。

映像奏者 近藤 樹

作曲家って自分ではない、自分から来てない違うものからインスパイアされたいっていった時に、あえて数学とかそういうのをわざと使って、面倒くさいので使って。そこからインスパイアされて書くというのはある。

作曲家 藤倉 大

多様性とか、『あ、これって聞いていんだ』って思える空間のあり方みたいなもの。去年感動し、今日聞いても感動。

指揮者 海老原 光

ステートメント

帰納する音楽会
Recursive Orchestra

人間を含むすべての生命の連鎖は,広大なデジタルの世界へとその活動領域を広げつつある.それは生命が新たな探索領域と揺籠を獲得し,肉体的な生死を超えてさらに洗練されはじめたことを意味する.この現代の生命の多彩な模様が動的に立ち上がる中で,我々は今,生命の歴史の重要な瞬間に立ち,計算機技術が世界および時空間にとらわれない自然の理解を再形成しつつある中にいる.今年,日本フィルハーモニー交響楽団との共演を通じて,私,落合陽一は長年根底に抱き,考え続けてきた理念,計算機自然(デジタルネイチャー)に回帰し,そのビジョンをより磨き輝かせながら,喜びを共有することを目指したい.
2015年に名付けた計算機自然(デジタルネイチャー)は,物理的な自然界と生命活動の探索によって生まれた非物質の領域≒デジタル領域が絶えず融合し,その探索や可能性が物理的な限界に囚われることなく進展を続けることを示している.これは自然に対し,我々人間の創造力と我々が可能性の境界を再定義する共同能力へ自然の展開を意味している.この新しい世界の森羅万象に対する理解が拡大するにつれて,それは一滴から大河全体に広がるように,端点が瞬時に人間的経験のあらゆる側面に与える変革的な影響が生み出される可能性に満ち溢れている.これは創発の喜びに満ち溢れた世界だ.
我々は今,計算機自然(デジタルネイチャー)の進化の加速を目の当たりにしている.現在,その影響は人間存在のすべての隅々に浸透しつつあり,日常生活から専門技能に至るまでの随所で顕著な力となっている.人工知能と人間知能の動的な創発と高速な展開がもたらす成果は,芸術や文学から時間や空間の理解まで,留まるところを知らず,このいわば生命の慣性のような力は,我々の時空間的な世界認識を非連続にし,昨日と今日の価値観の間に跳躍を齎し,今日と明日の間に新しい世界を生み出しつつある.
この世界の変容を受け,この計算機自然(デジタルネイチャー)が落合陽一のバックグラウンドの一つである,メディアアートに関連する多くの側面を探求する旅を始めた.ここで便宜的に述べればメディアアート1の時代は終わりつつあり,メディアアート2を迎えつつある––ピクセルや数学的進行だけでなく,森羅万象を形成するすべてが他のすべてに変換可能な,未踏領域に我々の技術は踏み込んでいる.今この世界は全てのものが物化し,万物は跳躍を重ね,全ての言葉は一つのフレーズから文脈を補って文に変化し,その呪文は絵画や映像を生み出し,絵画は音楽に変わり,音楽は彫刻に,彫刻は文学に変容する.このデジタルネイチャーの進化に導かれた滑らかで流動的な舞踏は,生命の全ての連鎖の末端に展開され,プログラムで定義されたピクセルの硬直的な数学的定義を超えて,言語の曖昧さや抽象性や普遍性をも加味した文学的な領域に足を踏み入れ始めた.メディアアートのみならず全ての芸術表現にとっても歴史的な転換点を迎えている.
変容する森羅万象が常態化した,新世界の入口に立つ今,私たちはどのようにしてこの急速に変化する状況を人類が航行するのかという問いに立ち向かわなければなりません.計算機技術と自然の結合から新しい言葉が生まれるのか?計算機自然(デジタルネイチャー)の理解を深めながら,我々の文化的要素はどのように進化するのかについての展開を占う時期に来ている.
これらの問いに答えるため,我々は計算機自然以後の新しいバナキュラーの芸術的探索,人類の経験を形成する豊かな文化の土壌の探索に着手する.これは今までの民藝的展開や縄文的展開,文献の調査のみならず,民族的調査も含む活動への展開を意味する.今回は沖縄でのフィールドワークを通じて,琉球音楽の魅惑的な旋律の中に現在の変容する自然観の中に新しい民俗と伝統を見出そうとしている.歴史的な通俗的な人々の生み出してきた響きを通じて,計算機自然(デジタルネイチャー)と人が共に織りなす音楽の可能性を探している.
日々未踏の領域は伸長し,未開な領域はその深度を深めている.この計算機自然への道程に乗り出す中で,計算機自然(デジタルネイチャー)の心臓部にある世界の再魔術化と新しい自然の驚異を受け入れ,その喜びに浸ることが日々を生きる上での活力に変わる.生命の慣性のような力が,古代の伝統と技術の無限の可能性に導く.
最後に,落合陽一と日本フィルハーモニー交響楽団との共演は,これまでもこれからも計算機自然(デジタルネイチャー)が生み出す,人間の可能性の展開を称えるものであり,芸術・技術・自然が融合するものである.その喜びを共有したい.

落合陽一

落合さんのnote

まとめ

今年も本公演が楽しみですね
そして、東京以外の場所で開催される室内楽サテライト公演もさらに楽しみです。私は「《帰納する音楽会》サテライト公演 in TAKAYAMA Yoichi Ochiai ✖ JPO Project Satellite Performance in TAKAYAMA」のチケット予約しました。ぜひ、皆さんも!


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