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2種類の「ただの風邪だから」

今年もあと二ヶ月というところですが、第三波に備えて予防を続けねばという人たちと、ただの風邪なんだからもうやめようという人たちの分断が埋まる気配はありません。

整体を学ぶ人たちは風邪はひけた方が良いと考えますから、もともと肩身が狭いというか、ある意味コロナはただの風邪と主張する人たちより過激で、整体の考え方を身につけた結果逆に世間の人と話を合わせるのが難しくなったと感じる人もいるかもしれません。整体の考え方はどちらかというとただの風邪という主張と近いのかもしれませんが、ただの風邪の後に続く文脈は巷のただの風邪論とは異なります。

ウイルス性の風邪の一種であることは厚労省のHPにもそう書いてありますから、コロナは風邪という主張自体に間違いはありませんが、コロナだろうが他のウイルスだろうが、「体の状態の良し悪し」が重症化するか体を活かす風邪になるかの分かれ道になります。コロナは危険だけどそれ以外の風邪なら大丈夫ということはありません。コロナで死なない人もいれば、ただの風邪で死ぬ人もいます。

ウイルスが粘膜に付着して感染する、という感染症の基本から考え直す必要があります。以前、感染症の専門家は賢すぎて一周回った馬鹿だと書きましたが、飛沫がどう飛ぶかをスーパーコンピューターを使って可視化するというのも、なんだか滑稽な映像だなと思ってしまいます。

感染して発症する人としない人では体がどう違うのか。
重症化する人としない人では体がどう違うのか。
感染症の基本に居ついている限り、話は一向に前に進みません。
自分の体が風邪が重症化する状態なのかそうでないのか、調べることができるだけで不安感は大きく減るはずです。人間にとって風邪を引くことにどんな意味があるのか、もっと深く考えていたらこんな騒動にはならなかったのです。コロナが風邪であるかどうか以前に、風邪とは何なのかを学び直せば、「風邪だから軽視しよう」ではなく「風邪だから風邪同様に気をつけよう」に変わるのではないでしょうか。

ウイルスの猛威よりも、自分が無症状で感染していて人に移すかもしれないという不安、感染して差別されるかもしれない不安、同調圧力と世間の暴走の方がよっぽど人を苦しめています。分断が続いても国民に語りかける言葉を政治指導者は持たず、新しい生活様式という戦時スローガンと、値引きするから旅行行け、外食しろという号令だけが虚しく響きます。

自分が好きだった作家・識者たち、それも教育や子育てを語っていた人が毎日の感染者数に一喜一憂し、マスクや生活様式がこどもの発育に及ぼす影響には全くノーコメントだったりして、幻滅している人もいるでしょう。

結局誰も信じられないと孤独を感じたら、自分の体を見つめてみましょう。
自分の体を変えても世界は大きく変わらないけれど、周りに気持ちの良い人が増えれば少しはこの世界が楽しくなるかもしれません。

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