学習性無力感

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別冊クライテリオン「コロナ」から日常を取り戻す を読んだ。
動物の認知行動学、動物福祉学を専門とする上野吉一博士と編集長藤井聡の対談が興味深かったので以下一部抜粋。

上野「病気だから人にうつさないように離れてなさいよ、治るまでだからね」と言われれば、隔離されても、何とか大丈夫でしょう。
でもそれを常態化しなさいと言われるのは、相当きつい。近づきたいと思うものに対して、「離れよう」って自分で言い聞かせるのは大変なことです。そもそも人間は思っているほど「考えて」生きてはいない。だから、身体は近づきたいのに頭で離れるべきだとやると、すごく心理的なストレスがかかる。結果、いろんなところでひずみが出ます。」
藤井「感染症の専門家たちが、人間の暮らしとか心とか動物としての性質とかを全て無視して、単に感染症を広げないという一点だけを考えて「新しい生活様式」なるものを提案し、その中で、「二メートルの距離を確保しましょう」と言っているわけですが、これは極めて大きな問題だ、ということになるわけですね。人類が種として持っている本能的な図式を無視すると、人類の秩序は大きく乱れるし、我々個体の幸福が大きく毀損することになるのは必定なわけですね。」
藤井「新しい生活様式」に対する違和感は世論で必ずしも表明されない。それはなぜなんでしょう?普通なら皆が激しく反発することのはずなのに、皆唯々諾々と従っている。」
吉野「断定的に言うのは難しいのですが、それは極端な例で言うと「学習性無力感」でしょうね。何をやっても無駄な状態が続くと、一切反応しなくなる。この場合、反応しなくなるのはそのことに対してだけじゃないんです。ありとあらゆることに対して無関心・無反応になる。動物で普遍的に起こる現象です。そして、その状態を自覚することはほとんどないでしょう。」

教室にお越しになっているYさんのお子さん(小1)は、登校中はマスクを外して良いと伝えても、怖いから外したくないといって付けているそう。小学校に上がった途端、大人の馬鹿騒ぎに巻き込まれた子どもの未来を感染症の専門家は考えているだろうか?
twitterやnoteでは出来るだけオブラートに包んだ表現にしているが、感染症の専門家はやはり賢すぎる馬鹿、一周回った馬鹿なのだと申し上げたい。

そろそろ彼らを引っ込めて動物学者、経済学者、心理学者、社会学者、文化人類学者など各分野の学者の意見を総合的に聞いて従うべき。感染症以外の原因で人が死ぬ。今まで積み重ねてきた文化が死ぬ。

いろいろ変わったけど新しい自分に出会えた!とかキラキラした投稿はfacebookに転がっているが、もっと怒りはないのか?

僕は早くライブに行きたい。ライブハウスで汗まみれでもみくちゃになりたい。聴くだけならオンラインで良いが、生きている実感を得るために行くんだよ。どんな人間でも受け入れてくれるあの場所に帰りたい。

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